僕固懐恩・3
我、僕固懐恩は、安祿山を討つ兵を起こした時から、あらゆる場所で力を尽くして戦いました。
唐王室に関する事柄で、一門の者、四十六人が死にました。
娘は、遠く離れた蕃族、回鶻の可汗に嫁ぎました。
安祿山との戦いのため、手助けを頼もうと、回鶻を説得しました。
だから、長安と洛陽の二つの都を取り戻せました。
河南地方と河北地方を平定しました。
功績は、比べるものがありません。
だが、人によって、無実の罪に陥れられました。
憤り、恨む心は、特に深いです。
我の訴えを陛下に書き伝えます。
臣は、かつて、詔の通り、帰国する回鶻の可汗を国境まで、送って行きました。
神仙の道を横目で見ながら(戦わずにすませる生き方もありますが)、家は傾き、財産はもう有りません。
山北の太原の地に着きました。
太原の河東節度使の門を叩きました。
辛雲京と駱奉先が城の門を閉じて、迎えに出て来ません。
無視されて、まるで、人目を避けて行く、盗人のようでした。
回鶻は、腹を立てて恨み、兵を放ち戦いたいとしましたが、臣は、回鶻を宥め、力いっぱい取り繕いました。
難しい、その状況を脱することが出来ました。
辛雲京と駱奉先は、我を恐れて、先に用意した出鱈目を、李抱玉と組んで上奏しました。
臣は、静かに考えました。
この様な状況になったのは、我に六つの罪が有るのだと。
一つ、
昔、同羅が反乱を起こした時、先帝のために、河曲を掃き清めたこと。
二つ、
臣の息子・ふんが同羅の捕虜になり生きて帰り、臣が兵士に命じて斬らせたこと。
三つ、
臣に二人の娘があり、一人を遠く蕃族の回鶻に嫁がせたこと。
国同士の和睦のためであり、外敵を平定するためでもありました。
四つ、
臣も息子・ちょうも、戦いにおいて、死を顧みたりしません。
唐に命を捧げたのです。
五つ、
河北の新しい役所、節度使は、田承嗣、李宝臣、李懐仙たちで、皆、強い兵士を持っています。
臣は、反乱した安祿山側にいた彼らをその気にさせ、味方に付けました。
六つ、
臣が、回鶻に道理を説いて、史朝義との戦いに赴かせました。
天下は、すでに平定されました。
臣は、すでに六つの罪を負っているのです。
誠を合わせて、すべての罪ある者を殺したのです。
まさに、地の底までの恨みを呑みこんだのです。
だのに、未だに、無実の罪を受けながら釈明出来ません。
また、何を訴えましょう!
臣が陛下から受けた恩は、深くて重いものです。
夜の未だ明けない時、(朝廷に参内しようと、集まっている臣下たちを想像すると)臣も、天顔を奉じたいと思います。
ただ、来てんが誅殺されてから、朝廷は、その罪を公表していません。
諸道の節度使は、どうして、疑い、恐れないでしょうか!
皆、怖がっているのです。
近頃、詔で数人を追っていると聞きました。
皆、捕まりません。
実は、宦官の讒言が恐ろしいのです。
嘘を知らされ、陛下がその一族全てを殺す。
どうして、郡臣は、忠実でないのでしょうか。
まさに、邪な人が、側にいるのです。
それに、駱奉先が上奏した前後に、臣も上奏しました。
言葉の情けは、真実を拾わないことはありません。
陛下は、終わりのない処にいます。
寵愛して任せて、ますます深みにはまる。
皆、へつらい、組みする似た者同士です。
愚かで道理に暗い話を、陛下は聞くのです。
四方に人を遣わして、上奏する事を盗み聞いているそうですね。
陛下は、何でも皆、驃騎大将軍(程元振)と相談されているそうですね。
宰相にするかしないか、任さないか。
数か月、留めて、還さないか。
遠く、近く、益々決めかねて、躊躇うとか。
臣のような朔方の武士の手柄は、最高です。
先帝の中興のために、中心として働く人となり、陛下の蒙塵(天子が変事のために都の外に逃れる事)ゆえに、役人になりました。
別れ無くても、手厚くもてなし、謗り妬む言葉は、信じないで下さい。
かつて最初に、郭子儀が、嫉みの被害にあい、その時辞職しました。
臣は、今、謗られています。
鳥が取りつくされれば、弓は、終われます。
悪者の嘘を、信じる。
陛下は、事実を曲げて誤魔化し、人を欺く者を信じる。
どうして、鹿を指差し、馬とするのですか!
あるいは、愚かな真心を納めないのですか。
かつ、煮え切らないのが、貴いのですか。
臣は、あえて、家は保ちません。
陛下は、どうして、国を安全にしているのですか!
忠言利行
(忠言は、耳に逆らえども、行に利あり。
自分のためになる忠告は、すんなりと受け入れにくいものだと云う事。)
ただ、陛下には、考えがおありでしょう。
臣は、正々堂々と朝廷に参内したいのです。
恐らく、将士たちは、先に進めないように、邪魔をするでしょう。
陛下、今、晋州、こう州を巡る者を遣わす様にお願いします。
その地では、愚図愚図させて下さい。
謀反を起こそうとしているならば、様子がおかしいと、警戒するでしょう。
陛下、特に、取るに足らない人物をこう州に行かせ、そこの臣に問わせて下さい。
一緒に出かけないかと。
その臣は、云われた通り、一緒に出発するでしょう。
謀反を起こそうとしているならば、出かけたりしません。
皆で、集まり、どうするか、相談するでしょう。
陛下、お試し下さい。
代宗は、華陽を抱き、靖羅の元に出かけた。
いつも、華陽のために、乳をありがとう。
華陽、母上だ。
いつも、華陽のために、乳を届けてくれている。
代宗は、華陽を前に抱き、お辞儀をする振りをさせた。
靖羅は、ちょっと驚いたようであった。
この子、顔、ましになったわね。
その云い方は、ないだろう。
前から、可愛いよな、華陽。
代宗が、鼻と鼻を合わせた。
華陽は、ケラケラ笑った。
礼は、云ったからな。
今から、華陽のために乳を搾るのだな。
ご苦労様。
こんな事になるなら、まだ、直接、授乳をするんだった。
大変なのよ。
そなたが、大変な訳がない。
二人の按摩が大変なのだろう。
今から忙しいだろうから、朕は帰る。
按摩の梅と桜、乳母の松に目配せをして、部屋を出た。
帰り道、庭に出た。
空気が冷たいな。
華陽、早く帰りたいか?
庭は、久しぶりだな。
鼻を赤くして、華陽ははしゃいでいた。
そなたも、外が好きなんだな。
赤子の時から、散歩してたからな。
葉っぱが黄色や、赤くなっている。
紅葉と云うのだよ。
母上、失礼だな。
“顔がまし”だなんて。
父上がとっちめてやるからな。
華陽は、こんなに可愛いのに。
黄色や赤くなった葉っぱは落ちるのだ。
今に木は、裸ん坊になるのだよ。
じゃあ、華陽、帰ろう。
靖羅の部屋で、成されている事が気にかかっていた。
代宗の命令であった。
靖羅は、朕の母上を侮辱した。
そなたたち、胸の形が崩れたと靖羅が云っていたと、云ったな。
母上が朕と妹に母乳を与えたのは、靖羅は知っていた。
かつて朕に、農家の女の乳は長いのだってと、膝を叩いて、笑って話した。
今回、胸の形が崩れると、気に病んでいた。
朕は、母上のことに思いが走った。
二人は、まるで違う。
華陽の事がなければ、こんな事は、考えなかっただろう。
朕は、靖羅に罰を与えると云った。
いろいろと考えて、毎日、華陽のために、靖羅の乳を搾って欲しいとした。
母上は、妹にやる乳の出が悪いと気に病んでいた。
あいつと、正反対だな。
沢山出る人は、乳を全部出さなければ、乳が残っていれば、次の授乳の時から、出が悪くなくなるそうだと云っていた。
どっちも、困るわね、とね。
靖羅は乳は出るのだ。
だから、朕は、(形を崩すためにも、)搾るように罰を命じたのだ。
乳を搾るのは命令で、形を崩すのは密命だ。
二人の元乳母である、按摩がしてくれている。
当然、自分ではしない。
分かっていたから、按摩に命じた。
靖羅のことだ。
金はある。
母乳を外から買おうとするだろう。
華陽の二人の乳母の内の一人に、按摩を買収出来ないように立ち会わせ、その実、靖羅の乳を持って帰ると見せかけ捨て、その乳母の乳を、さも靖羅の乳のように持ちかえり、華陽に母上の乳だよと、飲ますのだ。
靖羅の乳、あいつ何を食べているか分からない。
どうせ、酒も呑んでいるはずだ。
だから、とても華陽には飲ませられない。
朕は、悪企みが長けて来たな。
生きる知恵と云おうか。
珠珠、蓮蓮、少しは、気分がいい。
何もしないよりは。
あいつを、もっともっと、苦しめたい。
そなたと母上の胸を侮辱した。
蓮蓮は許せないのだ。
蓮蓮は、身びいきな人ね。
かつの事で、僕固懐恩も許せないしね。
仕方がない。
気持ちは、どうにもならない。
あいつを、悪い奴だとは思わない。
だが、許す言葉が口から、出てこないのだ。
自分を制御出来ないのだ。
蓮蓮、珠珠、最近、野暮用で忙しいの。
蓮蓮も、華陽の世話で忙しいみたい。
珠珠が来た時は、いつもくたびれてる。
前は、暇で珠珠がくるのが楽しみだったのね。
今は、珠珠来るのを止しとくわ。
父子の時間がを楽しんでね。
でも、時々は、寄らせてね。
珠珠、君に感謝してる。
靖羅に子供を生ませてと云われた時は、ぎょっとしたが、華陽が生まれてからは、華陽が生き甲斐になっている。
珠球のお蔭だ。
ありがとう。
でも、時々は、来てくれよ。
蓮蓮、暫くは会えないけど、またね。
珠珠は、いつでも歓迎だから、待ってるよ。
九月二十二日、
代宗は、裴遵慶を僕固懐恩に趣旨を云い聞かせるように遣わした。
それと、今後どうするのか進退を探るようにとも命じていた。
僕固懐恩は、裴遵慶を見ると駆け寄り、その足を抱いて、激しく泣きながら無実を訴えた。
かつて、回鶻の葉護王子が代宗に初めて会った時、走り寄り、足を抱いた同じ礼儀である。
裴遵慶は、優しく厚い天子の恩を云った。
僕固懐恩に、朝廷に参内するように命令を伝えた。
僕固懐恩は、承知した。
その後、副将軍の范志誠が、“行けません”と、云った。
云う事には、
僕固公は、その甘い言葉を信じています。
朝廷に入れば、すなわち、来てんになります。
もう、帰って来れません!
次の日、僕固懐恩は裴遵慶を見た。
恐れで死んでしまいます。
だから、朝廷に行くのは辞めます。
裴遵慶は云った。
それでは替わりに、息子の一人が入朝するのは、どうかな。
范志誠は、また、“行けません”と云った。
裴遵慶は、長安に帰った。
御史大夫の王翊が回鶻に使いに行っていたが、還ろうとしていた。
僕固懐恩は、その前から可汗と往き来していた。
王翊に見られていた。
王翊が長安に帰ってから、その話をして、回鶻と僕固懐恩が結託していると、代宗や程元振に疑われるのではないかと恐れた。
だから、王翊を回鶻に留めて、帰さなかった。