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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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僕固懐恩・2

吐蕃が大震関に侵入した。

蘭州、廓州、河州、ぜん州、とう州、岷州、秦州、成州、渭州など、河西節度使、隴右節度使の土地を、奪い尽くした。

武徳年間以来、唐みずから、辺境を開拓し、西域の地に連ね、都督、府、州、県を置いた。

開元中は、朔方節度使、隴右節度使、河西節度使、安西節度使、北庭節度使を置き、統治させた。

山東地方から、若者を国境を守る兵士として、毎年送った。

絹織物を軍の資金とし、屯田を開かせ、食糧とした。

牧場を設け、馬や牛を飼った。

軍が留まり、防備を固める町は、国境を警備する兵士で守られていた。

見渡す限り広々とし、遠くの人と、お互いが見える程であった。

安祿山の反乱に及び、国境の精鋭の兵士たちは、皆、賊軍に対する官軍の応援として集められ、行営に行かされた。

留まった兵士たちは、弱い兵士だけであった。

残された兵士たちは、吐蕃の捕虜となり、唐の領土は、吐蕃に次第に、侵食されていった。

数年間で、西北地方の数十州は、相継いで滅びていった。

鳳翔より西、ひん州より北の地方の人々は、衿を左前に合わせる、未開人の着方をした。

吐蕃の風習であろう。

かつて、僕固懐恩は、詔を受け、回鶻の可汗と太原に出かけた。

河東節度使の辛雲京は、回鶻の可汗が僕固懐恩の婿だから、二人で謀り事をして軍府を襲って来るのではないかと恐れて、みずからを守ろうと、城を閉めて出て行かなかった。

また、僕固懐恩と回鶻の可汗と云っても、二人だけではなく、各々が部下を連れているので、本来ならば、犒師こうしといって飲食物を贈り、将兵の労苦をいたわり慰めるべきなのに、しなかった。

二人の司令官に対して無礼な事であった。

回鶻は、国の客である。

当然、歓迎すべきである。

辛雲京は、勝手に謀反を想像して行動していた。

これは、史朝義を平定する前の話である。


その後、史朝義を平定してからも似たような話がある。

詔で、僕固懐恩は、回鶻の可汗を国境まで送って行っていた。

回鶻と僕固懐恩は、娘が可汗の嫁であり、姻戚関係がある。

だが、唐と、回鶻を最初に結び付けたのは、郭子儀である。

どうしても、安祿山の兵力に負けるので、回鶻の力を借りるように、粛宗に提言したのである。

その時、使いに出されたのが、僕固懐恩であった。

娘を可汗の嫁にしたのも、粛宗であった。

回鶻と僕固懐恩を結んだのは、唐なのである。

河東節度使の辛雲京は、また、城を閉じて、声を掛けても返事もしなかった。

この度、回鶻は、唐に頼まれ、戦の応援のために招かれたのである。

だのに、敬意も示さず無礼であった。

僕固懐恩は、怒った。

回鶻だって、いい気はしなかったであろう。

わざわざ、史朝義の誘いを無視し、唐のために来たのである。

部下の前で、面目を潰されたと思ったであろう。

僕固懐恩は、その時の状況を具体的に書状に書いた。

だが、代宗には届けなかった。

告げ口をするようで、気がとがめたのであろう。

報告だと、考えれば良かったのだが。

僕固懐恩の朔方節度使の数万の兵士は、汾州に駐屯していた。

僕固懐恩の息子、御史大夫の僕固ちょうは、万人の兵士を楡次に駐屯させていた。

副将・李光逸は、き県に駐屯していた。

李懐光は、晋州に駐屯していた。

張維嶽等は、沁州に駐屯していた。

李懐光は、もとは勃海の靺鞨である。

姓は、茹である。

朔方節度使の将軍となり、姓を賜ったのである。

辛雲京は、平気で無礼を働くが、僕固懐恩は、多くの兵を動かせる実力者なのである。


中使・駱奉先は、太原に着いた。

そこで、辛雲京と厚く契りを結んだ。

そして、僕固懐恩が回鶻と一緒に謀り事をしていると云った。

だが、謀反の状況は、あらわさなかった。

露せなかったと、云った方がいい。

辛雲京と駱奉先の考えは、証拠がなくても同じであった。

さぞ話は、はずんだ事であっただろう。

駱奉先は、帰る途中、僕固懐恩の処を通った。

そして、寄った。

様子を探ろうとしたのかもしれない。

僕固懐恩と、懐恩の母親の前で一緒に酒を呑んだ。

母親は、駱奉先を責めて云った。

そなたは、我が子と兄弟の約束をした。

だのに、今は、辛雲京と親しくしている。

何て、二心のある人なの!

酒盛りの最中、僕固懐恩は立ち上がり、舞った。

駱奉先は、祝儀に綾絹を贈った。

僕固懐恩の方が、地位は上である。

物品が欲しくて、舞ったわけではない。

だが、僕固懐恩は、もっと舞いの褒美を欲しがって、云った。

明日は、端午の日。

更に、もう一日、楽しく呑もう。

もう一日の、滞在を請うたのだ。

駱奉先は、“もう行く”と、強く云った。

僕固懐恩は、たわむれに駱奉先の馬を隠した。

僕固懐恩は、余程、幼なじみの駱奉先と一緒に過ごしたかったのだろう。

悪意はない。

駱奉先は、左右の者に云った。

朝が来たら、我は責められる。

それに、我の馬を隠した。

我は、もう殺される。

夜、垣根を越えて、走った。

僕固懐恩は、驚いた。

すぐに、その馬で追いかけ、駱奉先に馬を返した。

帰り道、僕固懐恩は、昔からの友を一人失ったと、悟ったであろう。

八月十三日、

駱奉先は、長安に着いた。

そして、

僕固懐恩が謀反を起こしました。

と、上奏した。

僕固懐恩も、また、上奏した。

具体的にその状況を書いた。

その中で、

辛雲京と駱奉先を誅殺するように請うた。

しかし、代宗は、二人に質問する事もなく、優しく、仲直りするよう、詔を下した。

代宗は、僕固懐恩の上奏に答えず、二人の肩を持っているように見える。

僕固懐恩は、代宗に自分は信任されていないと感じたであろう。

僕固懐恩が、謀反をおこした。

という上奏は、僕固懐恩にとって、名誉の問題だけではない。

その謀反の疑いを調べるようにとの、話になると、僕固懐恩は、拷問を受ける事になるのである。


代宗は、辛雲京を咎めなかった。

雍王・かつの事で、回鶻の可汗と僕固懐恩を怨んでいたからだ。

自分もそうだが、他の人も回鶻に対しても、僕固懐恩に対しても怒らせるようなことはしない。

代宗は、長子・かつの事を侮辱した回鶻に腹を立てていた。

二人の側近も、鞭打たれ死んだ。

二人は、回鶻の者ではない。

越権行為だ。

許される事ではない。

僕固懐恩は、その後も、回鶻に謝罪するように説得した気配はない。

何事も無かったような態度である。

だのに、こと、自分の事となると、相手を殺せと騒ぎ立てる。

雍王・かつへの、回鶻の態度は、唐の臣たちの心を凍らせた。

その心をはっきり見せたのが、辛雲京である。

だから、回鶻を平気で怒らせる。

辛雲京を小気味よいと、思っていたのかもしれない。

長子・かつの事を想ってくれているなら、とても、怒れない。

僕固懐恩の立場は、宙ぶらりんになった。

唐の功労者か、謀反人か?

代宗の詔の

仲良くするように。

との命は、僕固懐恩としては、とても守れない。

自分の言葉をくつがえす事になる。

僕固懐恩は、この時点で、皇帝の詔に従わない、謀反人となったのである。


僕固懐恩は、草原の金微都督の跡取りとして生まれた。

都督は、世襲であった。

幼い頃から、周りに、気配りされ育ったのだろう。

それが食事であれ飲み物であれ、配慮され、欲しい時には、すぐに望みの物が目の前に出されたのだろう。

口を利かずとも済んだのである。

だから、寡黙であったのかもしれない。

その分、周りに心配りは出来ない。

だが、蕃族の誰も、僕固懐恩に心配りは求め無い。

求めたのは、“勝ち戦”だけである。

生まれながら、その一族の上の立場の人・僕固懐恩の悲劇である。

僕固懐恩は、代宗の心を理解しなかったのである。

戦に勝てば、それでいい。

多少の事は、許されると考えていたのかもしれない。

人の心を読む。

そんな習慣は、持ち合わせていなかったのである。

だから、この世でたった一人、身も心も捧げ、尽くすべき人である代宗の心を失ったのである。




代宗は、金魚を部屋に持ち込んだ。

華陽は、長い間、眺めていた。

代宗は、じっとしている華陽を描きやすくなった。

だが、見ている金魚も書きたくなった。

今までは、水墨画のように、黒色しか使わなかったが、赤い墨も使うようになった。

華陽が関心を持ち、絵を書きたがった。

もう、自分では、書けなかった。

華陽が周りを汚さないように、華陽の世話だけになった。

だが、赤と黒の墨の配色を見ていて、何故か、浮き浮きした。

この子、朕をときめかせる。

一緒に絵をかいたのは、母上だけだ。

華陽となら、また、あんな時間を持てるかもしれない。

母上が亡くなってから、絵を書く時は、一人だった。

しゃべりながら、笑いながら、書けるのだ。

昔みたいに。


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