宰相、元載
史朝義が、澤州にいる李抱玉の城を囲むように、兵を遣わした。
郭子儀は、李抱玉を救うべく、定国軍を出発させた。
賊軍は、すぐに去った。
粛宗は、山南東節度使の来てんを長安に呼んだ。
来てんは、今、住んでいる襄陽が居心地が良くて、また、その部下である将士たちも、襄陽の地を愛していた。
だから、いろんな部所の武官文官たちが、粛宗に、
襄陽に留め下さい。
と、書状を奉った。
だが、担当の地、及び、とう州の根拠地に帰るように命が下った。
荊南節度使の呂しんと淮西節度使の王仲昇と皆の間を往き来した中使(宦官)は、
来てんは、民の心を得て、心が真っ直ぐでなくなっています。
恐らく、制御するのは難しいでしょう。
粛宗は、商州、金州、均州、房州に、観察使を別に置いた。
そして、来てんの治める州を六州に止めた。
謝欽譲が申州で、数か月、王仲昇の城を取り囲んだ時、来てんは怨んでいたので、救いの兵をわざと出さなかった。
王仲昇は、遂に、敗れて捕らわれた。
行軍司馬の裴じゅうは、来てんの地位を奪うことを企んだ。
密かに、
来てんは、屈強で制御が難しいでしょう。
だから、兵士を奪い取りたいと思います。
と、請うた。
粛宗は、
然り。
と、承諾した。
三月十四日、
来てんは、淮西、河南の中の十六州の節度使となった。
外部の人には、寵愛しているから任じたと見せ、実は、襄州から引き離す謀り事であったのだ。
密かに、来てんに代わり、裴じゅうを、襄州、とう州などの防御使に任じた。
三月十五日、
奴刺が、梁州に侵入した。
観察使・李勉が、城を捨て逃げた。
だから、ふん州刺史、河西の臧希譲を山南西道節度使にした。
三月十七日、
党項が、奉天に侵入した。
李輔国は、宰相になりたかったが、蕭華に邪魔されてなれなかった。
だから、蕭華を怨んでいた。
三月二十日、
戸部侍郞・元載を京兆尹とした。
元載は、李輔国の元に行き、固く、固辞した。
かつて、同じ事があったので、李輔国には、元載の気持ちは解っていた。
李輔国は、笑って、
悪いようにはしない。
委せなさい。
と、云った。
三月二十三日、
元載に代え、司農卿・陶鋭を京兆尹とした。
李輔国は、云った。
蕭華は、専ら一人で権力を握っています。
宰相を辞めさせるように、請います。
だが、粛宗は、許さなかった。
再び、李輔国は、辞めさせるように堅く請うた。
ついに、粛宗は、李輔国の言葉に従った。
そこで、京兆尹にならず、行き場を失ったように見える元載を、蕭華の代わりに、宰相にした。
(粛宗が病で寝ていたので、李輔国が嘘の命令で、蕭華を辞めさせた、との話もある。)
三月二十九日、
蕭華は、宰相を辞めて、礼部尚書となった。
元載は、宰相になり、同平章事、領度支、転運使は、今まで通りであった。
四月一日、
澤州刺史・李抱玉が史朝義の兵士を、城下で破った。
四月三日、
楚州刺史・崔せんが、
真如と云う尼がいて、恍惚として、天に登りました。
と、上奏して誉め称えた。
その尼を、粛宗の前に連れて来た。
粛宗は、尼を上に見て、宝玉十三枚を賜った。
尼は、云った。
中国に災いあり。
だから、これを鎮めます。
臣下たちは、
お目出度いことです。
と、上奏した。
皇太子・豫は、あれから毎日、玄宗を訪れた。
見舞いより、お世話をするためと云った方が相応しい。
薬さえ、まともに飲まないのを見たのだ。
俶が薬を勧めると、“仕方が無い。”と云う表情で、飲んだのだ。
それからは、毎日、花を手折って訪れた。
もう、こんな花が咲きました。
一輪だけの花は、玄宗に季節を知らせた。
そして、薬を飲んだ。
玄宗は、俶を見ると、微笑んだ。
そして、
俶なら、来てくれるのが、嬉しいな。
だが、父上の所だけでも、大変なのに。
悪いな。
会いたい人に会うのですから、嬉しい事です。
大変ではありません。
俶、周りには、名さえ知らぬ者ばかり。
高力士に会いたい。
我と、高力士は、長い仲だ。
十才になるか、ならない内から、朝廷で我に関する情報を、高力士は、頼みもしないのに声を掛けて教えてくれた。
高力士は、武后様のお気に入りでな。
一時、疎まれたこともあったようだが、各所に伝える命令を正しく伝えられる者が、(難しい言葉が使われているものだから)居なかったのだ。
高力士でなければと、云うことになってな。
武后様の下に呼び戻されたのだ。
だから、情報は、早く、正しかった。
武后様が、体調を崩すまで、武后様の傍にいたのだ。
それから、まっしぐらに我の所に来たのだ。
側仕えを任せた。
悩んでる事には、聞けば答えてくれた。
誰よりも、信じられた。
いつも、朕に良くしてくれた。
だから、感謝を表すために、どんどん偉くさせた。
太宗様の、禁止事項を破ってまでな。
宦官は、三品以上にするな。
だが、高力士の伏し目がちな様子を見れば、規則なんてどうでも良くなった。
だが、高力士が珍しい男だったのだな。
他の宦官は、欲に目か眩んだ者ばかり。
李輔国みたいな連中ばかりた。
そなたたちに悪い事をした。
いずれ、あの者たちに、苦しめられる事になるのだろう。
そうならないように、子孫の為にも、早めに手を打っていおいてくれ。
後漢の滅亡の原因は、宦官だと云われている。
太宗様は、予防策を打っていたのだ。
申し分け無いと思う。
高力士とは、六十年一緒に居た。
高力士と離れ離れになって、体の一部がもがれたようだ。
あの時も、我の威信を守るために、李輔国を捩じ伏せ従わせたのだ。
だから、罪に問われると分かっていた。
今、思う。
何の権威もない上皇だ。
威信なんかより、高力士を選ぶべきではなかったか?
俶、我が死んだら、高力士を陪葬(皇帝の陵墓の側に、有功者の墓を造る事)してくれ。
他の者はいらない。
高力士なら、我が、“あれ”と云っただけで、話が通じる。
頼んだぞ。
何を仰いますか。
上皇様は、偉大な皇帝でした。
誰もが認めるでしょう。
陪葬者が一人だなんて、寂し過ぎます。
太宗様には、百人以上の陪葬者がいます。
他の方は、どなたにしましょうか?
我は、唐を滅ぼすところであった。
選ばれた者は、どうやって断ろうか、悩むだろう。
高力士だけを、出来るだけ近くに埋めてくれ。
俶、頼んだからな。
俶は、玄宗の手をぎゅっと握って、頷いた。