史思明の死
史思明は、妬み深くて無慈悲で、人を殺すことを好んだ。
部下たちの、思うようにならない些細なことで、その一族を誅殺したりした。
周りの人は、心穏やかでいられなかった。
史朝義は、史思明の長子である。
常に、部下たちと、史思明に従っていた。
すこぶる謙虚で慎み深かった。
部下である兵士たちを愛した。
多くの兵士の心は、史朝義に付いていた。
史思明は、史朝義を可愛がらなかった。
史思明の愛する史朝清は、補佐と共に、范陽節度使を守っていた。
史思明は、いつも、史朝義を殺そうとしていた。
史朝清を皇太子に立てたかったからだ。
その謀り事は、左右から頻繁に漏れてきた。
史思明は、七人の息子を持っている。
長子を愛子のために殺すのは、やはり、躊躇があった筈である。
次子、三子とは、違った筈である。
史思明は、史朝義を跡取りにしたく無い事を暗に告げて、史朝義の方から皇帝位を辞退して欲しかったのではないか?
だから、謀り事が頻繁に漏れたのではないか?
殺したくないから。・・出来なければ殺す、と云いながら、先送りにしていたのでは?
だから、きつく当たっていたのでは?
人の気持ちは、分からない。
口に出したものが、全てとは限らない。
史思明は、すでに李光弼を破った。
勝ちに乗じて、西の潼関に入りたい思った。
史朝義の将兵を前鋒として使い、陝城を北の道から襲わせ、史思明は、南の道から大軍を率いて、続こうとした。
三月九日、
史朝義は兵と、きょう子阪に着いた。
そこに、官軍の衛伯玉が現れ、逆に史朝義に襲いかかり、撃ち破った。
史朝義は、数名の兵士たちと進んだが、皆、陝城の兵士たちに敗れた。
史思明は退き、永寧に駐屯した。
そして、史朝義を意気地が無いとした。
史思明、曰く、
最後まで、我が事を成すには、朝義では足りないな。
軍法で罪を問いただし、史朝義とその諸将たちを殺したいとした。
三月十三日、
史思明は、史朝義に、軍の食糧を貯えたいので、三角城を一日で造り終えるようにと、命じた。
史朝義は、一日で造り終えた。
ただ、史思明が来た時、まだ壁が塗り終えて無かった。
約束が守られていないと、怒った。
謝罪して云った。
兵士たちは疲れているので、ちょっと休んだだけです。
汝は、兵士を惜しむ。
我の命令とは、違わないか?
左右の者に命じて、馬の上に立ち、壁を塗らせた。
そして、
終わるの待って斬る。
と。
史思明は、また云った。
陝州を手に入れたなら、最後に、こいつらを斬る。
史朝義は、憂い怖れた。
殺されるのが、目の前で先送りされていく。
目の前に、いつも“死”が、ぶらさがっているのだ。
恐怖の中で生きている状態だった。
どうしていいか、分からなかった。
史思明は、永寧宿舎にある、鹿橋驛に居た。
腹心の曹将軍に命じて将兵を、護衛に付かせていた。
史朝義も、宿屋に泊っていた。
史朝義の武将の駱悦と蔡文景が、史朝義を説得して云った。
駱悦と懐王は、死ぬにしても、残りの日はそんなにありません。
昔から、帝位の廃立はあります。
曹将軍をお召しになって、一緒に謀り事をするよう、お願いします。
史朝義は、首を垂れて応じ無かった。
陛下のあの様子では、懐王は、仮りそめにも許されません。
駱悦たちは、今から、李氏のもとに投降して、唐に帰ります。
我々が意志を変えるように、懐王もまた、なにかを全う出来ません。
懐王は、全うしましょう。
史朝義は、泣いて云った。
諸君は、善い事をする。
聖人だ!
我は驚かない。
駱悦たちは、許叔冀の子・許李常に曹将軍を連れて来るよう、命じた。
曹将軍が来た。
そこで、その謀り事を告げた。
曹将軍は、諸将たちの史思明への怨みが、良く分かっていた。
だから、禍が、己に及ぶのを怖れて、あえて反対はしなかった。
この場で反対をして、口封じされるのを怖れたのである。
酷薄な史思明に、命を掛ける気は無かったであろう。
その夕方、駱悦たちは、史朝義の部下の兵士たちに武装させ、史思明の宿屋に行かせた。
護衛の兵士たちは、怪しんだが、側にいる曹将軍を畏れて、敢えてなにもしなかった。
駱悦たちは兵士たちを引き連れ、史思明の寝室に行った。
史思明が、厠にいるか、左右の者に聞いた。
未だに、その状況に対応出来ず、すでに、数人殺していた、
左右に指示を出した。
史思明は、人の囁き声がするので変事があると分かった。
垣根を越えて厩に行った。
馬に乗った。
駱悦の従者の周子俊が史思明を見つけ、矢を射た。
矢が尻に当たり、馬から落ち、遂に捉えられた。
史思明は、問うた。
反乱者は誰だ?
駱悦はいった。
懐王・史朝義の命です。
我は、朝来て、語ったことをしなかった。
“殺す、”と云ったのに、殺さなかった。
だから、こんな事になったのだ。
仕方がない。
我を早く殺すのだ。
だが、我が長安を手に入れるのを、何故待てない!
今のやり方では、成功しないぞ。
駱悦たちは、史思明を柳泉驛に送った。
そこで、監禁した。
報告を聞いた、史朝義は云った。
事は、成功したのだな。
史朝義は、また、云った。
我が“聖人”と云っても、驚かないのか?
駱悦は、云った。
そんな事はない。
この時、周摯と許叔冀たち後軍は福昌にいた。
駱悦らは、許季常に報告に行かせた。
周摯は驚きの余り、卒倒した。
史朝義は、軍隊を率いて帰ってきた。
周摯と許叔冀は、迎えに出た。
駱悦たちは史朝義に、周摯は捉えて殺すように、勧めた。
軍隊が柳泉に着いた時、駱悦たちは、兵士の心が未だ一つでないのでは、と怖れた。
指導者が二人いるのは良くない。
遂に、史思明の首を絞め殺した。
その遺体は、毛氈に包まれ、袋に入れられ、駱駝の背に乗せられ、洛陽に帰って行った。