騙された劉展
十一月六日、
けい州が、党項を破った。
御史中丞の李銑は、宋州刺史・劉展と二人で淮西節度副使をしていた。
李銑は、貪欲で法に反する事をした。
また、劉展は、気が強くて自分の遣りたいようにしていた。
だから、その上司は、多くの悪事を働いた。
上司とは、節度使と同等の節度大使、その下に副大使がいるが、大使は赴任しない。
現場にいる上司とは、知節度事と行軍司馬である。
節度使・王仲昇は、先ず、李銑の罪を報告して、罰したいとした。
その頃、ある流行り歌があり、その中に気になる言葉があった。
“手に金の刀を持ち、東に起こる。”
金の刀と、云えば、卯のない劉の字である。
王仲昇は、監軍使を使いに送り、内左常侍のけい延恩に奏した。
皇帝に伝えて欲しかったのである。
劉展は、気が強くて命令に従いません。
名前に関しては、今の流行り歌の予言に合っているのではないかと。
取り除く事を願います。
けい延恩は、粛宗に因縁を説明した。
劉展と李銑は、よく似た一人のような人物です。
今、先に李銑を殺しますと、劉展が不安になり、もしかして、去らないで乱を起こす恐れがあります。
おまけに、劉展は、精鋭の兵士の心を掴んでいます。
去らせるやり方が宜しいかと。
おもむろに、都統の李こうに代え、贋の江淮地方の都統とするよう願います。
役職の赴任地に、兵と共に行かせるようにし、途中で捉えるのです。
これが出来るのは、強者一人の力のみ。
粛宗は、この言葉に従った。
だから、劉展を淮南東、江南西、浙西、三道節度使の都統とした。
秘密の詔で、先の都統の李こうと淮南東道節度使のとう景山とで計画を立てさせるようにした。
けい延恩は、わざわざ出かけて、劉展に詔を授けた。
劉展は、余りの昇進ぶりに、疑って云った。
我は、陳留の参軍から、数年かけて刺史になりました。
この詔、突然、急に偉くなると云うことです。
江、淮地方の年貢を長安に送り出すのは、今は、重い任務です。
我は、力を尽くせません。
また、賢人に親しんでもいないので知恵もありません。
このように特別に、引き立てて用いてくださる有難いお言葉、我を謗る人が居るのでは無いでしょうか?
と、泣いた。
けい延恩は、ただ喜ばず、疑った事を畏れた。
そして、云った。
そなたは、元々、才能も人望もある。
陛下は、江、淮地方の事を憂えているのだ。
だから、そなたを次に用いようとしたのではないのだろうか。
そなた、反って、何か疑っているのか?
劉展は、云った。
仮りそめにも、騙したりはしないでしょう。
“印節”を先ず、頂きたいのですが?
けい延恩は、
宜しい。
と云って、すぐに、都統のいる広陵に走った。
そして、李こうと策を巡らした。
疑いを解くためには、印節を劉展に授けるようにした。
先任の李こうから、印節を預かった。
印節とは、その官職で使う印章であろう。
けい延恩は、李こうの印節を渡した。
劉展は、印節を得た。
だから、粛宗に、昇進の感謝の上奏をした。
江、淮地方の昔馴染みに、“ありったけの力で努める。”と、牒を送った。
三道の役所から、祝いの使いが遣わされた。
その地方の地図や人民の戸籍を届けるように頼んだ。
劉展は、宋州の七千の兵士たち皆と、希望をもって任地・広陵に向かった。
けい延恩は、すでに、劉展の心を得たと知った。
すぐに、広陵に走った。
李こうと、とう景山は兵を出発させるのを断り、触れ文を州県に送った。
そして、劉展は謀反を起こしたと云った。
触れ文の存在を知った、劉展も、また、李こうが謀反を起こしたと、触れ文を送った。
自分が任じられたのに、まだ、都統と称しているからである。
州県の者は、誰に従ったらいいのか分からなかった。
李こうは、副使、潤州の刺史・韋けんと、揚子江を渡った。
浙西節度使の侯令儀は、京口に駐屯した。
とう景山は、一万人の兵士の大将として、徐城に駐屯した。
劉展は、元々、人に恐れ敬われる評判があった。
その軍も厳然としていた。
江、淮地方の人は、その人望と威風を恐れた。
劉展は、早く着くよう益々急いだ。
とう景山の駐屯を知った。
とう景山に人を遣って聞いた。
我は、詔を奉じて、任地に赴いている。
これは、何の兵だ?
事情を知っているとう景山は、相手にしなかった。
劉展は、人を使って呼んで、前に並ばせて云った。
そなたらは仲間であり、そして、我の民でもある。
我の軍令に背くなかれ。
と云って、その将・孫待封と張法雷に、とう景山の軍を討たせた。
劉展の兵士は、とう景山の一万の兵士たちと戦った。
とう景山の兵士たちは、敗けた。
とう景山とけい延恩は、寿州に逃げた。
劉展は、兵を率いて広陵に入った。
劉展の将・屈突孝ひょうは、三千の兵で濠州、楚州を服従させた。
王こうは、四千の兵で淮西を奪い取った。
李こうは、劉展との戦を覚悟して、戦いの場として、北固を開拓していた。
伐った木を絡ませて、江口を塞いだ。
劉展の軍は白沙にいて、瓜州で疑兵を設けた。
多くの松明と太鼓で、北固の者に、さも多くの兵士が幾日もいるように見せかけて、行かざるを得ないようにさせた。
李こうは、全ての精鋭の兵士で京口を守らせ、待っていた。
劉展は、自ら揚子江の上流を渡り、下蜀を襲った。
李こうの軍は、これを聞いて、敗けを知った。
李こうは、宣城に逃げた。
十一月八日、
劉展は、潤州を落とした。
昇州の軍士一万五千人が、劉展に対する謀り事を考えた。
昇州にある金陵城を攻める事にした。
だが、勝たずに逃げた。
侯令儀は怖れた。
だから、以後の事を兵馬使・姜昌郡に託して、城を棄てて逃げた。
姜昌郡は、部下の宗犀に劉展の処に遣わせ、降伏を伝えた。
十一月十日、
劉展は、昇州を手に入れた。
そこで、宗犀を潤州司馬と丹楊軍使とした。
姜昌郡を使って、昇州を治めさせるようにした。
甥の伯えいを補佐に付けた。
李光弼は、懐州を攻めた。
百日余りで城を落とした。
安太清を生け捕りにした。
史思明が将軍・田承嗣に五千人の兵士を従えさせ、淮西に遣わした。
王同芝に三千人の兵士従えさせ、陳州に遣わした、
許敬江に二千の兵士を従えさせ、えんうんに遣わした。
薛鄂に五千の兵士を従えさせ、曹州に遣わした。
十二月二十日、
党項が美原、同官に進入して、大いに盗んで去って行った。
賊の頭の郭いん等が、姜族、胡族たちを率いて、秦隴防禦使・韋倫を負かした。
そして、監軍使を殺した。
えんうん節度使・能元皓が、史思明の兵を撃ち、破った。
李こうは潤州を去った。
副使の李蔵用は李こうに云った。
役所に仕えない人の地位は高く、人を食べる人は高い奉祿です。
世の中は矛盾だらけです。
しかし、難に臨み逃げるのは、忠ではありません。
三十州の兵食をもって、三江、五湖の険しくて守りが固い地を、一本の矢も発しないで棄てるなんて、勇ではありません。
忠と勇を失い、君は、どうするのですか!
李蔵用は、散った兵士を集めるように頼んだ。
ありったけの力で事に当たりましょう。
李こうは、後事を李蔵用に悉く頼んだ。
李蔵用は、散らばった兵を集めた。
七百人を得た。
東に行って、蘇州で荘士を募った。
二千人を得た。
柵を立て、劉展を防ごうとした。
劉展は、配下の将・伝子昴と宗犀で宣州を攻撃させた。
宣歙節度使・鄭けい之は、城を棄て逃げた。
李こうも、淇州に逃げた。
李蔵用と、劉展の部下・張景超、孫待封は、郁野で戦った。
李蔵用の兵は破れた。
李蔵用は、杭州に逃げた。
張景超は、遂に、蘇州を拠り所として住みついた。
孫待封は、進み、湖州を落とした。
劉展は、部下の将・許えきを潤州刺史とし、李可封を常州刺史とし、楊持壁を蘇州刺史とし、待封には湖州の事を治めさせた。
張景超は、杭州の傍まで進んだ。
李蔵用は、部下の将・温晁を余杭に駐屯させた。
劉展は、李晃を泗州刺史とし、宗犀を宣州刺史とした。
伝子昴は南陵に駐屯していた。
部下は、江州を下り、江西に行った。
ここにおいて、屈突孝ひょうが濠州、楚州を落とした。
王こうは、舒州、和州、じょ州、盧州などを落として行った。
向かう処、挫け、靡かない者は無かった。
兵士を一万人も集めた。
馬は三千頭いた。
揚子江と淮水の間を、気ままに移動した。
寿州刺史の崔昭が、兵を出すのを断った。
だから、王こうは、西に向いて進めなかった。
止まり、盧州で駐屯した。
粛宗は、平盧兵馬使・田神功に命じて、田神功の精鋭五千人を任城に駐屯させた。
とう景山は、すでに敗けている。
けい延恩は、田神功に淮南を救ってくれるように詔で頼んで欲しいと、粛宗に上奏した。
返事は、まだ着いていなかった。
とう景山は、様子を見に人を遣った。
そして、淮南地方の金、絹、女子を袖の下として贈るから劉展を殺すようにと、頼んだ。
田神功やその部署の皆が、喜んだ。
略奪の許可が下りたのだ。
まだ、詔は届いていなかったが、群がって、南、淮南の方に下って行った。
彭城の田神功に劉展を討つよう、命が下った。
劉展は、この話を聞いた。
畏れの様子が見え始めた。
劉展のこの畏れは、戦う相手が唐の敵ではなく、賊軍・史思明と敵対する、官軍の一人であるからだった。
自分、劉展は官軍の敵と見なされていると、分かったからである。
皇帝陛下の期待なんて、嘘だったと知ったのである。
騙されたのだ。
“印節”まで渡して、信じさせたのだ。
心が挫けていくのがわかった。
他人に見えないように、涙を拭った。
標的は、自分だったのだ。
広陵の将兵八千人は、劉展の部下として戦ったとわかると将来を潰すと思い、断り、自ら選んだ昔からの知己、二千人の兵士と共に、淮水を渡った。
我は死は覚悟していても、みっともない敗け方はしたくない。
そなたたちは、形だけの戦いでいいから、怪我をしないようにと、伝えた。
そして、投降するようにと。
部下たちの方が劉展に、
公、死なないで下さい。
と、云った。
我々は、公と一心同体だと思っています。
劉展は、“巻き込んで申し訳ない。”と、声を振るわせた。
戦が終ると、そなたたちは、家に帰り農作業をしなければならない。
だから、戦果など考えずに、怪我をしないように気を付けるんだ。
我、劉展の事など考えるな!
田神功と都梁山で戦い、劉展は敗けた。
逃げて、天長に着いた。
五百騎で、橋の処で敵対して戦った。
皆には、橋から水に落ちて、怪我をしないようにと声をかけていた。
又、敗けた。
劉展は、皆、巧く敗けてくれたと、喜んだ。
兵士たちにしてやれる事は、こんな事しかないのだ。
もっと、いい思いをさせたかった。
そして、一人、馬と共に揚子江を渡って逃げた。
各地に、刺史などに任命した部下がいる。
部下と云うより、仲間だ。
我は、死ぬ訳にはいかない。
あの者たちは、劉展に加担したと、罪に問われるだろう。
あの者たちを助けなければ。
劉展は、何故自分は殺されなければならないのか、今でも分からない。
だが、そんな事は、もうどうでもいい事だ。
軍の仲間が一番だ。
生きてやる。
田神功は、広陵、および、楚州に入った。
多くの物を略奪し、商湖の者、千人以上を殺した。
城の中の地下は道が掘られていたと云う。
この年、吐蕃が廓州を手に入れた。
史思明に対するのに手一杯で、唐は、地方にまで手が回らないのである。