白孝徳と劉龍仙
李光弼は、黄河の川上の其々の陣営を巡り、色々話を聞いた。
東の卞州に引き帰す話をした。
卞州に行き、卞滑節度使の許叔冀に云った。
大夫、卞州を十五日間、良く守って下さい。
攻められたら、兵士と共に助けにきます。
許叔冀は、承知した。
李光弼は、洛陽に帰った。
史思明が卞州に来て、許叔冀と戦った。
許叔冀は勝てなかった。
許叔冀は濮州刺史・董秦とその将・梁浦と劉従諫と田神功等と投降した。
史思明は、許叔冀を中書令とした。
そして、その将・李詳に卞州を守らせた。
董秦は、厚く持てなされた。
その妻子は収監され、長蘆に人質として置かれた。
その将・南徳信や梁浦、劉従諫、田神功たちを使って、江・淮地方で官軍の兵士数十人を見せしめの為に殺した。
田神功は、南宮(范陽から南に少し離れている冀州)の人である。
いずれにせよ、山東地方(太行山脈の東)で、河北地方(黄河の北)の人なのである。
それもあってか、史思明は好意的に平盧兵馬使に任命した。
しばらくして、田神功は南徳信を襲い、斬り殺した。
劉従諫は脱走した。
田神功は、平盧節度使の兵士らを率いて投降した。
最初から、逃げるつもりであったのだ。
だから、史思明に仕える気の南徳信を殺したのだろう。
田神功の行動を密告されないように。
田神功の働きに、朝廷は大喜びした。
史思明は、勝ちに乗って西にある鄭州を攻めた。
李光弼は、兵士たちを整然とさせ、ゆっくりと進んだ。
洛陽に着いた。
洛陽の留守役の韋陟が云った。
史思明は勝ちに乗って来ます。
兵士を、ここに押し留めるほうが利があります。
速戦は不利です。
洛陽城は守れません。
今は飢饉。
洛陽には、食糧がないのです。
李公は、何か謀りごとが有るのですか?
韋陟は、せん州に兵士を留めて欲しいと頼んだ。
退いて、潼関を守って欲しいと。
潼関を堅く守って、攻める苦しみで、史思明の精鋭たちの心をくじいて欲しいと。
李光弼は、云った。
我々敵同士は、お互いに力が張り合っています。
進めば貴いですし、退けば忌々しい。
今、理由がなく、五百里の土地が棄てられます。
則ち、賊軍が益々勢いを伸ばしているからです。
もし、軍を河陽に移さないならば、河北では、澤ろは北の范陽節度使と地続きになり、敵の領地が増えます。
利は、則ち進んで取ることで、退き守ることは利益になりません。
取る、取らない、表裏は互いに反応するのです。
賊軍を西に侵入させなければ、これは軍の進退攻守を好きに出来ます。
軍務の事は、文官の方には分かりませんよね。
弁えることは、朝廷での礼儀です。
我・光弼は、公のようには出来ません。
軍隊のことを議論するのは、公は李光弼のようには出来ません。
韋陟は、何も云わなくなった。
判官・韋損が云った。
洛陽の宮殿、李侍中(李光弼は、この時侍中であった。)の邸宅は、守らなくていいのでしょうか?
李光弼は、答えた。
守ります。
すなわち、し水、がく嶺、龍門、場所に応じて、皆、兵士を置いています。
あなたは、兵馬判官です。
守らないのですか?
遂に、留守役の韋陟は、洛陽の官族の帥に西から関に入り、公文書を遣わした。
河南尹の李若幽に送った公文書には、指導者、官吏、庶民は賊軍を避けるため、城から出て、城を空っぽにするようにと、書かれていた。
李光弼は帥となり、兵士に油を運ばせたり、鉄や諸々の物を河陽を守るために持って行かせた。
李光弼は、そこで、五百騎を殿(最後まで踏み留まり敵を防ぐ役)とした。
その時、史思明は、遊兵を石橋の処まで行かせなかった。
諸将が云った。
今、洛陽城から北に行くのですか。
石橋を進むのですか?
李光弼が云った。
まさに、石橋を進むのだ。
日が暮れたので、李光弼は松明を持って、ゆっくりと進んだ。
軍隊の組は、しっかりと重々しく進んだ。
賊は、兵を引き連れ、後を付けた。
気付かれないように、敢えて近づかなかった。
李光弼は、夜、河陽に着いた。
兵士は、二万人いた。
郭子儀は、ふ水を退き、数万の兵士で河陽を守っていた。
すでに、張用済は李光弼に斬り殺されていた。
朔方節度使の兵士は怖れて、逃げる者が多かった。
河陽には、食糧はわずか十日分しかなかった。
ぎょう城をを囲んだ時には、地方によってはすでに飢饉であったのだ。
今年は、不作の地域が増えている。
李光弼は、守備をよく確かめた。
一部の兵士は、厳重に処分しなければならないようだった。
九月二十七日、
史思明は、洛陽城に入った。
城は空であった。
得る物は、何も無かった。
李光弼が、賊軍の足を引っ張るような細工をしているかもしれないと怖れて、敢えて宮殿には入らなかった。
退いて、白馬寺の南に駐屯した。
月城(城の外に造る小さな出城)を河陽城の南に築くのを、李光州は反対した。
史思明は、勝ちに乗って、河陽を攻めようとしていた。
先に城を築く者が、戦の恐ろしさと出会うことになるだろう。
城を築いていたら、兵士は疲れて戦えない。
則ち、敗けを意味する。
だから、李光弼は反対したのだ。
鄭州、滑州が、相次いで落とされた。
官軍の物になったのだ。
史思明は、すでに洛陽に来ていた。
先に進むのに、もう必要ない物だ。
だから、取られようと、取られまいと気にしなかった。
韋陟と李若幽は皆で、せん州に仮住まいをして、せん州を治めた。
冬、十月四日、
史思明は、親征をするとの、詔を出した。
臣下たちが、諫言を上奏した。
史思明は、止めることにした。
史思明は、兵を率いて、河陽を攻めた。
勇将である劉龍仙を使って、城下に行かせ、官軍に挑戦させた。
劉龍仙は、自らの勇猛さを頼みにしていた。
着くと、右足を上げて、馬の鬣の上に乗せた。
そして、偉そうに李光弼を罵った。
李光弼は、諸将たちを振り返り、云った。
誰か、あの者の首を取れる者はいないか?
僕固懐恩が、“行きます。”と云った。
李光弼は云った。
これは、大将のする事ではない。
僕固懐恩には、李光弼が僕固懐恩の人物を認めていると、解った。
嬉しかった。
ほころぶ口許を隠すため、下を向いた。
弛んだ口は、結んだ。
そして人知れず、李光弼に忠誠を誓った。
左右の人々が云った。
副将・白孝徳が往くでしょう。
李光弼は、呼んで問うた。
白孝徳は、“行きたい。”と云った。
望む兵は、いかほど必要か?
対して、
身を挺して、取りたいです。
李光弼は、その志を勇ましいとした。
しかし、問いに答えてはいない。
白孝徳は云った。
願わくば、選んだ五十騎に砦の門を出る時、後に続いてもらいたいです。
そして、もう一つお願いがあります。
大軍に、その場に合わせて太鼓を叩いて貰って、気が高揚するようにして貰いたいのです。
李光弼は、白孝徳の背中を撫で、送った。
白孝徳は、二つの矛を持ち、馬を不規則に進むように作戦を考えていた。
馬が相手まで半分程進むと、僕固懐恩は祝福して云った。
勝つな。
李光弼が、云った。
矛をまだ交えてもいないのに、何で分かる?
僕固懐恩は、云った。
見ると、馬の足取りは乱れていますが、本人は物静かで落ち着いています。
万全だからです。
劉龍仙は、一人でやって来る白孝徳の姿を見た。
簡単にやっつけられそうに見えた。
少し、近づいた。
相手が動いた。
白孝徳は、手を振って示した。
もし、来なければ敵となり、やっつけるぞ。
劉龍仙は、敵の思いがけない行動に止まった。
十歩下がった。
劉龍仙は初めのように、偉そうに罵った。
白孝徳は、馬の息を整えた。
そして、目を怒らせて云った。
賊は、我を知るか?
劉龍仙は云った。
誰だ?
云った。
我は、白孝徳だ。
劉龍仙が云った。
何だ。
この犬ころ野郎め!
白孝徳は、大声を出した。
二つの矛は計算したように動き、馬は挑躍し、劉龍仙は捉らえられた。
その動きに合わせ、城の上の太鼓は叩かれ、控えていた五十騎が白孝徳に続いた。
劉龍仙は、矢を放ったが届かなかった。
堤の上を廻って逃げた。
白孝徳は、追い付いて首を斬った。
首を手に提げ、持って帰った。
劉龍仙は、自分の勇猛さを恃んで、敵を軽く見たのである。
白孝徳は、不意に捉えたのが、勝ちの原因であろう。
賊兵たちは、二人の戦いを見て、大いに恐れた。
白孝徳は、安西都護府の出身で、胡人である。