裏切られた史思明
かつて史思明は、多くの将軍の中で平盧軍の烏知義が、よく仕えてくれると思っていた。
烏知義の子、烏承恩は信都太守であった。
信都郡を挙げて、史思明に投降したのであった。
本当は、史思明が、妻や子供を人質にしていたから、仕方無く従ったまでであった。
史思明は、争わず投降してくれたので、同じ信都太守に任じて、全てを委せていた。
けれども、安慶緖が敗けたので、烏承恩は、史思明に唐に投降するように勧めた。
李光弼は、烏承恩が史思明の信任する人であれば、陰で謀り事に使い反乱を終らせる事ができると、考えた。
協力の代償として、烏承恩を范陽節度副使にするよう、阿史那承慶には鉄券を賜わるようにしたいとした。
そして、史思明をその二人で共に謀るように云った。
そしてそれは、粛宗に従うことになるとした。
李光弼は、史思明を信じていなかったのである。
烏承恩は、多くの私財で小さい軍隊を作る兵士を募った。
また、婦人の衣を着て、将軍たちの陣営を訪ね誘った。
将軍たちは、烏承恩のことを史思明に告げた。
史思明は、きちんと調べてはいなかったが、疑った。
烏承恩は、都に行った。
粛宗は、宦官・李思敬を烏承恩と一緒に范陽節度使に宣慰のために遣わした。
烏承恩は、すでに宣旨を賜っていた。
史思明は、自分の屋敷の中の館に烏承恩を留めた。
そして、帷のあるその床に、男・二人を潜ませた。
烏承恩の子供が范陽にいた。
史思明は、烏承恩の使いだとその子を訪問させた。
そして、父親・烏承恩の元に送り届けた。
史思明は、潜む二人に烏承恩は気が付いていると勘づいた。
だから、子供を使って、油断させようとしたのである。
悪知恵に長けた者の考えである。
夜中、烏承恩は、密かにその子に云った。
我は、蛮族の謀叛人を取り除くよう命じられた。
そうすれば、我は、節度使なれる。
潜んだ二人が床下から出てきて、大声で叫んだ。
史思明は、烏親子を捉えた。
そして、持っているその袋を探った。
鉄券と、李光弼の牒を見つけた。
牒には、
阿史那承慶の事が上手くいったら、決まり通り、鉄券を渡すように。
上手くいかなければ、渡さなくていい。
また、史思明に従い、唐に背く将軍、兵士の名前が書かれた報告書があった。
史思明は、烏承恩を責めて云った。
我は、何でそなたに比べて劣るのだ!
部下の烏承恩に声を掛けたのが、気に触ったのである。
烏承恩は云った。
死罪だろうな。
これ、皆、李光弼の謀り事である。
史思明は、将軍、史思明を助ける役人、民を集め、粛宗のいる西に向かって大きく哭いた。
思明は、十三万の人と朝廷に投降しようとしました。
どうして陛下は、裏切るのです。
思明を殺して下さい。
遂に、烏承恩父子を鞭打ち、殺した。
連座で死んだ者、二百人以上であった。
烏承恩の弟、烏承せいは逃げた。
史思明は、宦官・李思敬を捕らえた。
粛宗に、その書状を上奏させた。
粛宗は、宦官を遣わし、史思明を慰め諭した。
これは、朝廷と李光弼の意向ではない。
みな、烏承恩のしたことだ。
殺したのなら、良いことだ。
司法機関である、三司(刑部、大理寺、御史台)が、賊官が陥れた罪を議論した書状を范陽節度使に届けた。
史思明が幹部の者たちに云った。
陳希烈たちは皆、朝廷の大臣たちであった。
上皇・玄宗は、長安や大臣、臣下たちを棄て、蜀に行幸した。
玄宗を追いかけなかったことで不忠と見なされ、今なお、死を免れない。
我も、元々は、安祿山の部下で、たまたま、安祿山の謀叛に従ったまでだ!
話を聞いた幹部たちは、史思明に、李光弼を殺すように求める書状を上奏するように、頼んだ。
史思明は従った。
判官・耿仁智と同僚の張不矜に書状を作るように命じた。
陛下は、我々臣下のために李光弼を殺さない。
臣は、まさに自ら、太原に兵を率いて李光弼を殺す。
耿仁智は、書状の下書きを史思明に見せた。
それから、耿仁智は、李光弼を殺すことを全て消し去った文書をまさに封筒に入れようとした。
その事を、文書を写した者が、史思明に伝えた。
史思明は、二人を捕らえて斬るように命じた。
耿仁智は、史思明と付き合いが長かった。
史思明は憐れに思い、生かしたくなった。
再び、呼び入れた。
史思明は云った。
我がそなたを使い始めてから、もう少しで三十年になる。
そなたを生かそうと思うが、我は、そなたに負けたのではない。
ここまで云うと、耿仁智は大きな声で云った。
人生では、死は一度あるのみ。
この死で、忠義を尽くせます。
死はいいものです。
今、我は大夫に従いません。
歳月は延ばせないのです。
もし早く死んだなら、それは楽しみです。
聞いた史思明は、怒った。
鞭で打ちまくった。
脳が流れて、地面に溜まった。
逃げた烏承せいは、李光弼のいる太原に走った。
李光弼は、烏承せいを昌化郡王とし、忻州の秀容県にある、石嶺軍の軍使とした。