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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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琴の音

昇平は、夜が来る前には、何時も東宮から、永嘉坊に移動していた。

東宮では崔氏が母親と云うことにしているので、留まるような形にはしていたが、形だけで直ぐに出た。

捜された時のアリバイ作りのため、一応、父の蓮に頼み、一緒に永嘉坊に行くのである。

蓮も、あまり東宮は居心地が良くないらしく、よく昇平を送るのを口実にして同行した。

永嘉坊で、蓮は画室に入り、貼ってある珠珠の絵を見たり、自分でも筆を握ったりした。

そして、珠珠と語るのであった。

昔から馴染んだ部屋は、心地良かった。

東宮では、妃たちの誘いが鬱陶うっとおしかったのである。


最近、昇平は表情が柔らかくなったと、蓮は思う。

永嘉坊に着くと、興慶宮への秘密の扉を叩くのであった。

すでに、琴の音が聞こえていた。

宦官が、すぐ開けた。

小走りに音の方向に進んだ。

ただし、隣の部屋の壁を背にして床に座りこみ、膝を立てて聞くのであった。

お祖父様が気に入っていて、お願いして来てもらうのであった。

上皇様が、お願いの形をとるのは、相手が偉い人、ううん、偉い方だからである。

あの方には、いい言葉を使いたい。


蜀に行った玄宗は、道すがら、杖に体を預けながら、背に荷物を斜めがけに背負う男を目にした。

同行する者たちは、その男に声を掛けない。

いつも、一人であった。

高力士に聞いた。

揚国忠の配下の者だったので、皆、避けているのです。

それに、あの者は中人なのです。

そう聞くと、関心がわいた。

あの背の物は、金目の物だろうと想像できた。

長安を去る時、何を持ち出そうかと、皆、高価な物を手に悩んでいた。

だから、当然、そう思った。

だが、月の明るい夜、聞いたことのない調べを耳にした。

すぐ高力士に見に行かせた。

高力士が云うことには、

あの者が弾いていました。

との事であった。

こんな逃避行に、楽器を持ってきた者がいるとは!

呼んで来るように云おうとしたが、

あの者は、今日一日、杖を付いて歩いた。

朕は、今日一日、馬車に乗っていた。

行くべきは朕だな。

玄宗は、高力士に案内させ、近くに椅子を用意させた。

男は目をつむり、心のおもむくまま、奏でていた。

しばらくして、男は立ち上がった。

終わったようであった。

玄宗は、手を叩いた。

男は振り返り、玄宗を確かめると、うやうやしくお辞儀をした。

こんな旋律、初めて聞いた。

夜分、五月蝿うるさくして、お眠りの邪魔をしました。

申し訳ございません。

何を言っている。

そなたも、朕の音楽好きは、知っておろう。

まさか、こんな山奥で琴の音を聞けるとは。

朕は楽器は携帯して来なかった。

蜀にあるから、わざわざ持っていか無くてもと、言われてな。

本当は、そんな物より、金目の物と言いたかったようだ。

またまた、皇帝陛下ともあろうお方がご冗談を。

今の朕は、形だけの皇帝だからな。

そなたは、朕と違って、明日も歩きだ。

時間を取って悪かったな。

早く寝なさい。

ありがとうございます。

陛下こそ、早く寝て下さい。

お見送りさせていただきます。

じゃ、行く。

そなたも、早く寝ることだ。

これが、張鎬との出会いであった。


それからは、声を掛け、馬車の傍らを歩かせた。

背中の琴は馬車に乗せた。

また、弾いて貰わねばな。

時々、話をした。

何を話しても知識が豊かで、話が弾んで楽しかった。

昼食も、一緒に取るようにした。

今まで、ちゃんとした食事を配給されていなかったようで、

こんな慌ただしい旅でも、皇帝陛下は、ちゃんとした物を召し上がっているとわかって、安心しました。

と、お行儀よく、少し食べた。

そして、

豪華な食事も嬉しいですが、周りの方が、声を掛けてくださるのが、もっと嬉しいです。

と、云った。

一度、琴を見せて貰った。

銘のありそうな、立派な琴であった。

本来の張鎬の立場は、名家の出なのだと想像できた。

いつも、即興の調べである。

ある日、誰でも知っている曲を所望した。

ちゃんと弾けた。

これ以上の詮索は止そう。

張鎬が嫌がる。

玄宗と張鎬の関係であった。


だから玄宗は、興慶宮に帰って直ぐに、高力士に張鎬を呼びに行かせた。

朝廷での仕事が済むと、張鎬はやって来た。

そして、奏でた。

それをある夜、永嘉坊の昇平が聞いたのだ。

興慶宮への秘密の扉の前の廊下に座り込んで、泣き崩れたと云う。

次の日、昇平は玄宗を訪ね、昨日の琴の奏者を聞いた。

張鎬と云う。

今日から、昇平にも聞かせて。

昇平は頼んだ。

昇平はいつも隣の部屋で、膝を抱えて壁を背に、座って聞いた。

そして、涙を流した。

玄宗から、張鎬は中人だと聞いた時、

あの方は、傷を負った。

昇は心に傷を負っている。

だからあの方の調べは、昇を癒やしてくれるんだ。

昇、あの方となら婚姻してもいい。

と、云った。

玄宗は、びっくりしたが、云った。

多分、張鎬が嫌がる。

女子は、その時は納得する。

でもいつか、自分の産んだ子供を欲しがる。

それが、分かっているんだよ。

また、同じ事の繰り返しだとね。

宰相にまでなった男だ。

他人の目がある。

これ以上、苦しめるな。


父上は昇平に

母上の顔を見たか?

と、聞いた。

今は、父上の言葉をありがたいと思う。

言葉通り、ちゃんと見ていたんだ。

だから、些細ささいな仕草を覚えていて、母上、昇に手を振っていたんだ、と、わかる。

口は、“昇”の形だったとか。

あの調べを聞いてから、心が楽になった。

涙が出るようになった。

張鎬は昇の恩人なの。

大好きな友になるがいい。

友なら、別れることはない。

朕の忠告だ。

・・うん。



張鎬が、挨拶に来た。

宰相を辞めました。

荊州に赴任します。

これからは、もう訪問出来ません。

お名残おしいです。

昇平郡主様にも、宜しくお伝え願います。

別れに何か聞かせてくれ。

はい、

張鎬は、いつものように琴を奏でた。

それは、別れを残念がっているように聞こえた。

昇平がそっと部屋に入って来た。

終わった時、

もう、会えないのね。

と、言った。

陛下、バカね。

張鎬が唐を守っているの、分かってないのね。

昇の心を救って、唐を守っている神様のような人なのに。

張鎬、昇はいつまでも、鎬のこと、大好きよ。

今まで、ありがとう。

昇、離れたくない。

なにを仰っているのですか。

こんなお爺さんをからかわないで下さい。

荊州は温かい処のようです。

何か、果物をお送りします。

楽しみに待っていて下さい。

鎬は、二人に恭しくお辞儀をして、去っていった。


張鎬の琴も、別れたくないと、言っていたな。

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