史思明、投降
安慶緒は、北に逃げた。
その一軍の大将は、北平王・李帰仁でその精鋭、曳落河、同羅、六州胡の数万人とで、皆、逃げた安慶緒に従って、范陽節度使に帰ろうとしていた。
安慶緒は、ぎょう城に留まった。
兵士たちはそのまま北に進み、通り過ぎた処で戦利品を奪われ、ほとんど、物も残っていなかった。
史思明は、攻撃の備えを厚くしていた。
そして、使いを遣わし、逆に范陽を境にして招いた。
境界を決め、敵味方を区別しようとしたのである。
(史思明派と安慶緒派の区別である。)
もし、戦いになれば、范陽節度使に死体が転がることになる。
節度使を汚したくなかったのである。
だから、節度使の手前で聞くようにしたのである。
曳落河、六州胡は、皆、史思明に服従した。
だが、同羅は従わなかった。
史思明は、兵士を放って、同羅を討たせた。
今の今まで、洛陽から逃げ続けて来た兵士たちである。
同羅は、大敗した。
掠奪した物を全て奪われ、兵士たちは故郷に逃げ帰った。
安慶緒は、史思明の強さを嫌っていた。
阿史那承慶と安守忠を、秘かに企みを持って、徴兵に遣わした。
范陽節度判官の耿仁智は、史思明に、云った。
大夫は、尊重して重んじるべき人です。
人は、あえて言いません。
しかし、この仁智の願いはただ一言、“死”です。
史思明は云った。
どうしてだ?
耿仁智曰く、
大夫は、安一族の者に力を尽くしています。
けれども、安一族は、災いと脅しで迫るだけです。
一旦衰えましたが、唐室は、今、再び盛んになりつつあります。
そして、天子は、仁徳が高いと云われています。
大夫は、元帥・安慶緒のところに、帰るのですか。
これは、“禍い転じて福となす、”計と言えます。
史思明云わく、
今、唐室は、再び作られている。
安慶緒は、葉の上の露みたいな物だ。
朝日が出ると消える。
部下の烏承せいも、また云った。
大夫、どうして一緒に亡びるのですか!
もし、朝廷に帰りたいと思うならば、簡単、自ら、汚れを洗って、掌を反すだけ。
史思明は、頷いた。
阿史那承慶と安守忠は、五千の強い騎兵を従えて、范陽節度使に着いた。
史思明は、全ての兵数万人をお互いの距離一里のところで、出迎えさせた。
これも、戦いになった場合に備えてであろう。
使いの者が、阿史那承慶たちに云った。
宰相や安王室の流れを汲む立派な方々に、来ていただきました。
将軍も兵士も、これに勝る喜びはありません。
しかし、辺境の兵士たちは意気地がありません。
宰相様の兵たちに怯えて、あえて進もうとしません。
お願いします。
弓の弦を外して弛くしていただけたら、安心すると思います。
阿史那承慶たちは、その言葉に従った。
史思明は、阿史那承慶を役所の客間に案内して、楽しく飲んだ。
別の遣わした者は、武装した兵士たちを案内した。
いろんな郡の兵士たちは、皆、貰った食糧を食べたり、好き勝手に交換したりしていた。
ここに留まるのを願ったならば、食糧を厚く給わるとのことであった。
食糧を沢山もった兵士たちを見せ、本当に食糧を貰えると、話だけではないと誘っているのだ。
部下たちは、各々の軍営に分かれた。
次の日、阿史那承慶たちは捉えられた。
史思明の部下である将軍・竇子昴が、所轄の部署十三郡に文書を書いて、兵士八万人を投降に来させた。
あわせて、河東節度使・高秀厳も、また、来降させた。
十二月二十二日、
竇子昴は、長安に着いた。
そこで、史思明が、
我が将軍や兵士を大勢従えて投降したい。
とした、意向を伝えた。
粛宗は、大喜び。
だから、史思明を帰義王、范陽節度使とした。
史思明の七人の息子を、皆、高い位の官職に就けた。
そして、内侍・李思敬と烏承恩を宣慰(君主、政府の意志を述べ伝えて、人心を和らげ安ずること)するために遣わした。
また、将軍とその部下の兵士で、安慶緒を討つように遣わした。
以前、安慶緒は、張忠志を常山太守に任じていた。
史思明は、張忠志を范陽節度使に呼び帰した。
そして、部下の将・薛萼を常山太守の後任とし、恒州刺使と兼務させた。
常山太守、かつての顔杲卿の官職である。
常山の側にある“土門”を、顔杲卿は太原から官軍が入れるように、開いた。
史思明は、薛萼に、やはり“土門”を開かせた。
それは顔杲卿と同じで、太原(河東節度使)から、官軍を呼び入れるためである。
唐に対して、恭順の意を形で示したのである。
そして、趙郡太守・陸済を呼び、投降するように伝えた。
息子・史朝義を将とし、兵五千人を預けて冀州刺史に任じた。
また、部下の将・令狐彰を博州刺史とした。
長安から粛宗の命で来ていた、烏承恩は、滄州、瀛州、安州、深州、徳州、棣州等の州に行っては、詔を見せて、皇帝の考えを広く行き渡らせた。
どの州も、皆、投降した。
ただ、相州のみが、いまだ投降していなかった。
相州は、安慶緒のいるぎょう城のある州であった。
史思明は、わざと相州を外したのだ。
史思明は、安慶緒一人を浮いた存在にさせたのだ。
高尚たち、文官が居ないわけではない。
だが、戦いには役に立たない。
安慶緒に残されているのは、ぎょう城より南の地方の軍と黄河の南にいる軍、及び、安氏に義理を感じている(安祿山と親子関係を結んでいるなど)者が率いる、わずかな軍だけであった。
河北地方を率いているのは、すでに、唐であった。
史思明は、頭がいい。
ほとんど血を流さず、安祿山の本拠地をまるまる手に入れた。