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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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張巡の死

郭子儀は、蕃族、漢族の兵士を引き連れ潼関に賊軍を追った。

斬った首五千級、華陰郡と弘農郡(唐の時代では、陝郡の陝県東辺りを云う。)を手に入れた。

潼関から東の地方が、捕虜百人以上を差し出した。

勅命により、皆を斬った。

監察御史の李勉が、粛宗に言った。

今、元々悪い者が未だに、排除されていません。

賊になって汚れた者は、天下の半分います。

聞けば、陛下は龍(天子)すぐれた人物です。

彼らの心を洗い、我等と心を一つにすると思って、天子の聖徳で助けていただきたいのです。

今は、皆、誅殺されています。

これでは、追い払った者たちが賊軍に従います。

粛宗は、これを聞いて、にわかに逃げて来た者を許すことにした。


冬、十月三日、

玄宗に、戦勝報告書を届ける使者とした、啖庭瑤が蜀に着いた。


十月八日、

興平軍が、武関において賊軍を討ち破り、上洛郡を手に入れたと、上奏した。


吐蕃が、西平郡を手に入れた。

唐が、安禄山の乱で辺境の方まで、手が回らないので、好きにしているのだ。

尹子奇が、すい陽を囲んでから、大分経った。

城の中の食べ物は、尽きていた。

城を棄て、東に向かって走ろうかと、話し合った。

張巡と許遠は、相談した。

すい陽は、揚子江と淮水のとりでだ。

もし、ここを棄てて去れば、賊軍は必ず勝ちに乗って、南に向かって駆け出すだろう。

そうなれば、揚子江も淮水も、唐の物で無くなる。


ここすい陽で、張巡と許遠が、留まって居るから、賊軍は揚子江や淮水が欲しくても、先に進めないのである。

張巡が良く兵士を使うから、賊軍は張巡を怖れて、後々の憂いを考えると、ここを手に入れなければ、落ち着かないのである。


われらは、飢えて弱っている。

走っても、必ず目的地には着かない。

いにしえの戦国の武将たちは、お互い心配して助ける。

いわんや、近くに軍の長が居るのだ!

(張鎬、尚衡、許叔冀たちがいた。)

待っていても、固く守れない。

お茶をひたした紙はもうない。

馬も食べた。

食べ尽くした。

雀も網でとり、鼠も土を掘り探した。

雀も鼠も、また尽きた。

張巡は、愛妾を差し出した。

そして、その愛妾を殺して、食事会とした。

席にいる者は、皆、泣いた。

張巡は、食べるようにいた。

許遠も、自分の奴隷を殺した。

その後は、城の中の婦人を食べた。

それから、老いた男、弱った人と、続いた。

人は、必ず死ぬ。

謀叛を起こす者はいなかった。

残った者、わずか四百人であった。

十月九日、

賊軍が城を登って来た。

将兵は、病気で戦えなかった。

張巡は、西(玄宗のいる方向)に向いて、二度拝礼して、云った。

臣は力が尽きました。

城はもう守れません。

生きていますが、死んだようなものです。

陛下に御報告します。

死にましたら、たたりをする死霊となって、賊を殺します!

城は、遂に陥ちた。

張巡と許遠は、共に捕らえられた。

尹子奇が、張巡に問うた。

君に聞くが、どの戦いでも、まなじりが裂け、歯が砕けると。

何でだ?

張巡は云った。

我の志は、逆賊を呑み込むこと、ただ、力はもうありません。

尹子奇は、その口を指差して、唇を刀でえぐらせた。

外から、口の中が見えた。

残った歯は、わずか三、四本であった。

尹子奇は、張巡の行いは、道理にかなっていると、生かしたくなった。

尹子奇の従者が云った。

彼は、忠節を守る者です。

生かさなければ(死ねば)、この戦いは終わります。

生かすと、戦いは終わりません。

おまけに、兵士たちの心を得ています。

生かしたら、将来の禍根になるでしょう。

南斉雲、雷万春ら、三十六人と合わせて、斬り殺された。

張巡は、死んだ。

動揺することも無く、意気揚々といつもと変わりなく穏やかな表情で、逝った。

許遠は、張巡の死を見て、張巡と一緒に逝きたいと思った。

だから、我も殺すようにと言った。

だが、生きて洛陽に送られることになった。

何故、殺さない?

と、聞いた。

そなただけではない。

戦いの長は、捕らえている。

人質交換の要員としてな。

十人以上はいる。

(安祿山が、哥舒翰を殺すように言った時、厳荘が

“もし、阿史那承慶や史思明が捕らわれたら、偉い奴となら交換出来ます。

その時のために、生かしておい方がいいのでは?”

と、進言したのである。)

兵士は平盧でお金さえ出せば、いくらでも集められる。

だが、将軍となると、安祿山の軍では、数が少ない。

大事にしなければならないのだ。

将軍たちも、もし捕まっても、命の保証があると思うと、大胆な策を講じるようになった。

結果的に安祿山を喜ばせることとなった。

この案は、雑談の時、高尚が口にしたものだった。

厳荘は、安祿山の側にいつも居る高尚を、妬んでいたのだ。

それを感じていた高尚が、入知恵をして、厳壮に華をもたせたのだ。

厳荘、おまえも、安祿山のお気に入りの一人だってことさ。


張巡がすい陽を守った当初、兵士は一万人程度であった。

(寧陵から三千人を連れて来て、すい陽には、六千八百人いた。合わせれば、そんな数になる。)

城の中にいる人も数万人であった。

張巡は、一度会うと、名前を聞いた。

その後、知らない人はいなかった。

前後、大きな戦い小さな戦いを、四百以上した。

殺した賊兵は、十二万人。

張巡の戦法は、古くからのやり方でなかった。

担当の大将には、その意味を各々教えた。

人は、その理由を聞いた。

張巡は、云った。

今の蕃族との戦いは、雲が集まったり、鳥が散ったり、形が変化して一定ではありません。

馬が数歩動く間に、態勢は、同じだったり、変わっていたりします。

情勢の変化に応じて、対応しなければなりません。

大将が計略を考える少しの間にです。

そりゃ、応じられず及ばないことだってあります。

兵士は、その変化を知らなかったりするからな。

だから、我は、上の者の考えを読む者を使う。

大将は、兵士の気持ちを知り、投げたら取りに往くような、指を使う手のように動く者を使う。

兵士も大将も、お互い学びあう。

人は、自ら戦う。

そんなの、出来ないか!

我も兵士も、梯子等、大きな兵器も、鎧などの武具も全て、敵の物を使っている。

戦いの後、残された物を使うからだ。

回収するのだ。

だから、未だに、自ら調えた物はない。

どの戦いでも、大将も兵士も退く。

だが、張巡はその場で戦い続ける。

そして、皆に云う。

我はここを離れない。

そなたたちは、我が帰るのを決めるのを待て。

将士たちは、もう帰ることはない。

死物狂いで戦う。

そして、敵を破る。

また、誠を大切にして、人を待つ。

疑うことも、隠すこともない。

敵に合わせ、変化に応じる。

知恵を使って乗り切れば、困ることは無い。

命令は明らかに、賞罰を信じ、兵士たちと、甘いも辛いも、寒さも暑さも共にする。

皆と同じだ。

だから、兵士たちは争うこと無く、死力を尽くす。




張鎬は、すい陽が急に囲まれたと、聞いた。

慌ただしく、普段の倍の速さで進んだ。

浙東、浙西、淮南、北海諸節度使に、触れ文を送った。

それと、しょう郡の太守・りょ丘暁に、共にすい陽を救おうと、使いを出した。

りょ丘暁は、元々、驕り高ぶる性格で、張鎬の命令を受け取らなかった。

すい陽城は、堕ちて三日たっていた。

張鎬は、りょ丘暁を呼んだ。

そして、りょ丘暁を杖殺した。

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