長安、奪還
九月二日、
蔡希徳が、ちゃんと武装せずに、上党にやって来て、戦いを挑んだ。
程千里は、門を開き、百騎を率いて飛び出した。
捉えたいと思ったのだ。
軽装というのも、その気にさせた。
二?里ほど追ってしまった。
遠出し過ぎたと思い、兵を集め、帰ろうとした。
帰る途中で橋が壊れ、濠に落ちた。
反って、蔡希徳に囚われることとなった。
濠の中から部下の者に言った。
我の不幸はここに至った。
ああ、天よ!
帰ると、大将たちに、良く守るように伝えるように、
我は、失敗した。
城を失わないように。
蔡希徳は城を攻めた。
落ちなかった。
程千里を洛陽に送った。
安慶緒は、蔡希徳を特進とし、位を進めた。
程千里は、国を訪れる者を泊める役所に閉じ込められた。
郭子儀は、回鶻の精鋭の兵士をもって、賊軍を討つように、粛宗に勧めた。
それで、回鶻の懐仁可汗が、息子・葉護や帝徳たち将軍と、精鋭四千人余りを鳳翔に来させた。
粛宗は、葉護と謁見して、宴で労り賜り物を授けた。
九月十二日、
元帥である広平王・俶は、朔方節度使らの官軍と、回鶻、西域の兵士、十五万人を、二十万人と称して、鳳翔の仮御所を出発した。
その時、広平王府の武将・管崇嗣は、広平王より先に乗馬していた。
それを見ていた顔真卿は、それを非礼とした。
管崇嗣、
御所に背(お尻)を向け座って談笑していて問題になった男である。
礼儀を知らない男である。
広平王府の武官長であるという。
この男は、潼関で哥舒翰の部下であった。
それだけで、武官として信用され、広平王府の武官長になったのであろう。
哥舒翰への信頼が伺われる。
広平王・俶は、葉護を見た。
広平王は、いつもニコニコ、不機嫌な顔を見た人はいないという程、人当たりのいい人物であった。
広平王・俶は、葉護と義兄弟になった。
葉護は、大喜び。
李俶を兄とした。
回鶻は扶風に着いた。
郭子儀は、歓迎の宴のために、三日留めた。
葉護は言った。
国家の急と云うことで、遠くから、助けに来ました。
ところで、我々は何を食べるのです!
あわてて、決められた。
一日、羊二百口、牛二十頭、米四十斛と。
九月二十五日、
諸軍が揃って出発した。
九月二十七日、
長安の西に着いた。
香積寺の北にある“ほう水”の東に並んだ。
李嗣業が前軍、郭子儀が指揮者がいる中軍、王思礼を後軍とした。
賊軍はその北に、十万人並んだ。
李帰仁が、挑もうと出てきた。
官軍がこれを追った。
その列に迫った。
賊軍は、さらに進んだ。
官軍は、そこで退いた。(前回の失敗を、教訓としたのである。)
賊軍は思惑がはずれ、驚きあわてて、ほう車(軍用品を乗せた荷車)に争って走った。
賊軍は、官軍の流れに乗るところとなった。
李嗣業は、
今日は、賊の餌食にはならない。
軍の右腕が無くならないよう、残す。
と言って、肩の処まで腕まくりして、長刀をとり、並んだ兵の前に立ち、大きく
勇気を持って敵を撃て!
と、叫んだ。
まさに、その長刀を持つ者が、人や馬をことごとく討ち砕き、数十人を殺した。
列がようやく定まってきた。
ここにおいて、大将・李嗣業の前軍が、各々長刀を持ち、土塀のごとく、進んだ。
前に並んだ兵士たちは、服従した。
都知兵馬使・王難得は、自分の副将を助けようとしていた。
賊がその眉の中を矢で射た。
皮が垂れて、目をふさいだ。
王難得は、自ら矢を抜き切り、その皮を取り去った。
血が顔を覆い流れた。
前戦は、終わらなかった。
賊軍は、列の東に精鋭の騎兵を隠していた。
官軍の後から、襲おうとしたのである。
前回、挟み撃ちが巧くいったからである。
密偵がこれを知り、伝えた。
朔方左兵馬使・僕固懐恩が、回鶻を率いてこれを撃った。
討ち滅ぼした。
賊兵は、これで、気力が尽きた。
李嗣業は回鶻と、賊軍の列の後から出て、大軍で挟み撃ちした。
戦は、午(正午・十二時頃11~13時)の時から、酉(午後六時頃、17~19時)の時までに及び、六万の首を取った。
切られた兵の多くの死体は、溝を塞いだ。
賊軍は、遂に、大敗した。
残りの者たちは、城に逃げ込み、夜になっても、騒がしい声は止まなかった。
僕固懐恩は、広平王・俶に言った。
賊は、城を捨て逃げます。
二百騎で追わせて下さい。
安守忠や李帰仁らを、生け捕ります。
広平王・俶は言った。
将軍は、戦で疲れています。
休息を取って、明日の朝のことにしましょう。
僕固懐恩は言った。
李帰仁、安守忠、賊軍の強い大将は勝っても、敗けても、逃げます。
これは、天が我に与えたもうたものです。
何で、見逃すのですか!
兵を使って、彼らを得るべきです。
悩みはぶり返して、悔しさは、限りがないでしょう!
戦いは、迅速を尊びます。
何で、明日の朝なのですか!
広平王・俶は、堅く止め、軍営に帰らせた。
僕固懐恩は、一晩に何度も起きては、同じことをしつこく頼んだ。
夜明け、密偵の報告が入った。
安守忠、李帰仁と張通儒、田乾真らは、皆、逃げたとのことであった。
九月二十八日、
唐王朝、官軍の大軍が西京である、長安城に入った。




