二つの忠州
かつて、房かんは宰相の時、賀蘭進明を嫌った。
そこで、賀蘭進明を河南節度使にした。
そして、許叔冀を、賀蘭進明の知兵馬使と御史大夫にした。
許叔冀は、賀蘭進明の直属の部下となったのである。
房かんの後ろだてがあるので、許叔冀は、規則には縛られなかった。
部下ではあるけれども、あら捜しのお目付け役だったのである。
賀蘭進明は、張巡や許遠の評判を妬み怖れたから、兵を分けて派遣しなかったのではないと、資治通鑑の作者・司馬光は云う。
賀蘭進明は、許叔冀が些細な失敗をあげつらい、そのことで、糾弾されるのを怖れたからであると。
それにしても、賀蘭進明の南斉雲に対する働きかけは、私欲剥き出しで、相手のことも唐のことも、考えているとは思えないやり方である。
八月二十三日、
粛宗は、長安を奪還するために遣わす将軍たちに、酒食を供にしてもてなした。
郭子儀は言った。
宴を賜りましたが、事はまだ終わっていません。
気を弛めず、ここから始めるだけです。
粛宗は言った。
今回は、略奪、ぶん取りは許さんぞ。
略奪した者は、必ず殺す。
民の心を大切に思った、粛宗の言葉であった。
そして、
征伐の時、天子が将軍に渡たす“鉞”を、征夷大将軍の李俶に授けた。
広平王・李俶は、この機会に鳳翔に来るように、妹・丹丹に文を送っていた。
会いたかったが、成都は遠かった。
朔方節度使を、あまり留守にしたくなかったからである。
丹丹に会おうとした時、
後で、来るように、
と、粛宗に云われた。
丹丹の顔を見て、
緑児を連れて来たか?
と、聞いた。
“勿論”
答えを聞いて、
陛下に会って来るから、待ってて、
と、云った。
粛宗は、後ろを向いていた。
父上、
粛宗は、人払いをした。
だが、
落ち着かん。
風に当たろう。
と云って、外に出た。
ここでも、人払いをした。
そして、周りに誰も居なくなってから、蓮を抱き締めた。
父上、どうしたのですか?
しばらく、このままで、
蓮、そなたのおかげで、今の我が居るのだなあ。
丹丹の封地を考えようと、唐の地図を見ていた。
蓮、そなたの封地・広平郡は、河北にあって、今は賊軍に占領されている。
あって無いような封地だ。
何処がいいか、いろいろ考えていた。
我のかつての封地を見ようと思った。
今ある忠州、
そして、皆が哄いた忠州、
広東省に、忠州は、当然なかった。
だから、名前が変わった州を探した。
でも、改名した年にぴったり合う州もない。
変だろう。
そしたら、“雷州”と云う州があって、その州がある半島の名前が“雷州半島”なんだ。
なんといい加減な命名、と笑ったよ。
そこは、あの流刑の島(現在の海南島)の傍らの半島だったんだ。
島と半島の間の海峡の名前が、瓊州海峡。
やっぱり州が付いている。
名前なんか、考える必要が無いんだと、思った。
その瓊州、何度か、名前が変わっていた。
しばらくして、
どうも、これではありませんか?
示された“珠崖郡”
その前は、“瓊州”
今は、“崖州”
時期は違うが、何度も変わっている。
我は、これ以上、恐くて調べられない。
陛下は、我に腹を立てて、流刑の島を封地にしたのか?
皆が哄くはずだ。
これは、本当かどうか分からない。
こんな時だ。
調べる資料なぞ、ない。
資料は長安だが、どうせ荒らされているだろう。
知りたいけれど、知るのが怖い。
ただ、そなたのおかげで、我は皇帝として、今ここにいる。
蓮、
今の我は“俶”と、呼ぶ気がしない。
そなたの母が“蓮”と名付けてくれていて良かった。
この予想は、間違っているかもしれない。
だけど、絶対と云えないのが辛い。
そなたに感謝を伝えたくて呼んだのだ。
話したことで、少しは落ち着いた。
丹丹が待っているのだろう。
行きなさい。
丹丹、一緒に霊武にまで、おいで。
今日は、相談する気がしない。
ふ馬も晟も一緒だろう?
節度使だ。
男の遊びができる。
変な所に矢を飛ばしても、“危ない”と怒る者はいない。
一緒に行こう。
晟、かつと、仲良くなったらいいね。
晟とかつのためにも。
でも、考えたら、片道十日程かかる。
今回は、無理だな。
今、兵士たちを泊める軍営を、少し離れたこの扶風に設営している。
蓮は、こっちにいる間は、軍営に住むつもりだ。
一部出来ている処を使おうと思っている。
丹丹も、しばらく、そちらに住まないか?
いろいろ話がある。
いいわよ。
仮御所は、丹も泊まりたくない。
じゃ、今から行こう。
ここは、他人が居なくて気が楽だ。
仮御所では、李輔国の手下たちが、耳をそばだてているからね。
張良ていのためにね。
邪魔されないためにも、気をつけなければ。
洛陽と長安の間、一晩の内に往復したいのだが、緑児に相談してもらえないか?
それと、馬を走らすのに巧みな女子を、十人位集めて欲しい。
緑児が、牧場の娘で良かったよ。
いい馬を二十頭ほどもね。
そなたには、説明しなくても、分かるだろう。
昇を連れ戻し、蓮とずうっと一緒にいたように、周りに見せ掛けたいんだ。
昇の将来のためにね。
それと、珠珠も一緒だ。
洛陽から短時間で連れて来て、蓮は、すぐに洛陽にとんぼ返りをする。
長安には、行ってないような顔をして、洛陽で指揮を取る。
何か月後の話かも知れない。
だが、計画だけはしておく。
一と月後かも知れないからね。
昇は、崔妃に預ける。
そなたのふ馬は、楊一族。
そなたも、ふ馬と一緒に時時、会いに行ってくれ。
他の妃は、怪しいのだ。
信用出来ない。
珠珠の失踪に関与しているみたいで。
崔妃は、珠珠につらく当たっていたが、珠珠の出かけたことは知らない。
それは、確かだ。
前の晩から、楊貴妃のもとに行っていたからな。
他の妃は、皆、知っている。
だから、崔妃の息子の将来を約束するとの事で、昇の世話を頼んだのだ。
崔妃の娘ということで。
しばらくの間だ。
なんだったら、昇の替え玉を、今からでも、崔妃の側に置きたい。
ずうっと、側に居たようにな。
遠くから、見せるだけでいい。
昇が帰ってきて、すり変わってもおかしくないようにな。
いずれにせよ、昇の気持ちを第一とする。
だから、その場で、方向転換することもありうる。
珠珠には、女の子はいなかった。
と、云うことだってありかもな。
何も、はっきりと決まっていない。
すべて、昇次第。
昇に、この時期の公女らしくさせたい。
そなたも、同じ立場だ。
良い方向に導いてくれ。
大変な思いをした筈だ。
守ってやれなくて、すまないと思っている。
周りに気取られないように。
蓮の妃たちには、蓮と同じ思いをいずれさせてやる。
蓮は、愛する人を失なった。
随分苦しんだ。
そなたたちも、苦しめ。
にいにいらしくない、発言ね。
にいにい、丹も苦しい時期があったけど、今は、幸せ。
にいにいだって、そうなると思う。
御為倒しは止めてくれ。
蓮は、毎晩、珠珠と話すのだ。
珠珠は、蓮の元には戻らないだろう。
珠珠は、昇のために洛陽で生きている。
あの子を守るために。
云うことは、それだけだ。
緑児に、伝えてくれ。
頼んだ者の将来は保証する。
ただ、その者たちにも、詳しいことは、一切、口にしないように伝えてほしい。
蓮も、酷なことはしたくない。
だが、昇のためなら止もう得ない。
約束が守れないなら、命でつぐなって貰うことになる。
蓮は、変わったのだ。
変わりたくはなかったのに。
愛する者も守れないなんて。
二度と御免だ。
八月二十六日、
御史大夫の崔光遠が駱谷で、賊軍を破った。
崔光遠は、行軍司馬の王伯倫と判官の李椿を大将とし、二千人を率いて攻め、中渭橋、橋を守る賊兵千人を殺して、勝ちに乗り、長安城の北にある禁苑の門の処まで追った。
賊兵たちは、前に武功で駐屯していた者たちに対応を聞いていたので、逃げ帰ったのである。
禁苑の北で会い、戦いとなった。
禁苑に逃げたのは、禁苑に、兵士たちの、宿営所があるので、応援が期待できたからであった。
次々と、敵が現れたことだろう。
王伯倫が殺され、李椿が囚われ洛陽に送られた。
でもこれで、賊軍はもう武功に駐屯、出来なかった。
賊軍は度々上党を攻めた。
だが、いつも節度使・程千里にしてやられた。
蔡希徳は再び兵を率いて、上党を囲んだ。