法について
将軍・王去栄は、私怨でもって、当人の住む県の県令を殺した。
県令は死んだ。
六月十六日、
粛宗は、“石はじき”(石をはじき飛ばして敵に当てる武器)を上手く使えると云う事で、王去栄に死を免れる詔を出した。
陝郡を取り戻したことによる働きを大としたからであった。
働きは、王去栄だけでなく、庶民の働きによるものでもあった。
中書舎人の賈至は、粛宗の命令をすぐには実行しなかった。
そして、粛宗に上奏した。
王去栄は、何の功績もありません。
そして、自分の住む県の主を殺しました。
易経に云います。
臣にして其の君を弑し、
子にして其の父を弑するは、
一朝一夕の故に非ず、
其の由りて来る所の者漸なり。
臣下でありながらその主君を殺し、子でありながらその父を殺すに至る。
これは決して一朝一夕に起こった不祥事ではありません。
その由来するところは、小を積んで大に至り、長い間に次第に進んだものであります。
と、
もし、王去栄を許して見逃せば、生きのびます。
議者は、陝郡を初めて取り戻したと云いますが、守り通せると云う人はいません。
では、王去栄でない他の者は、何をもって固く守れるでしょうか?
陛下、もし、“石はじき”一つの能力で死罪を免れるのであれば、すべての軍の素晴らしい技術を持つ者は、王去栄を見ならって勢いを増すでしょう。
そして、その能力で陛下に仕える者は、必ず法を破るでしょう。
何をもって止めさせられるでしょうか。
もし、王去栄を捨て、法を破った者も殺したならば止められます。
つまり、法令が一つでなければ、人は人を誘って罪を犯すでしょう。
今、王去栄の一つの能力を惜しんで殺さなければ、必ず、王去栄のような能力を持つそれぞれ十人の者が、王去栄が県令を殺したように、その罪を増やすでしょう。
男・王去栄は、道理に背いて、法を乱す人物です。
どうして、王去栄は逆らうばかりで素直でないのでしょうか?
富平県の乱は、富平県を管轄する陝郡が治めます。
県の主に逆らう者は、天子にも逆らわないことはありません!
賢明な主に見せようとしない者だけが、周りの者と距離を置きます。
本心(隙)を見せないためです。
落ち付いて、よくお考え下さい。
大者は、即ち、禍乱のない日を定められます。
国は、安らぎます。
と、した。
粛宗は、今までのことを踏まえて、百官で議論するように命じた。
太子太師・韋見素たちは議論をした。
そして、報告した。
法者は、世の中の大切な法典を維持する人です。
帝王は、好き勝手に人を殺せません。
これは、臣下の謀り事が主を上回るからです。
王去栄は、人を殺しました。
でも、まだ罰を受けず、死んでいません。
軍には、おおよそ技能者がいます。
また、荒々しいところでもあり、自ら、憂いが無いと云う者もいます。
郡県の者は、悩みがないと云えましょうか!
陛下は天下の主です。
情をかけず、解釈に親しみ、一人、王去栄を失う事によって、民の心を得られます。
何と利益が有ることでしょう!
法律において、その県の県令を殺すことは“十悪”に並らびます。
一、謀反
二、謀大逆
三、謀叛
四、悪逆
五、不道
六、大不敬
七、不孝
八、不睦
九、不義
十、内乱
陛下は、寛大にこれを許します。
王法は、行われません。
人として通るべき道は、曲げられます。
臣たちは、詔を奉ります。
けれども、従うところを知りません。
国は、法の理論によって、軍は、勝ちの法則によって運営されます。
法が依り拠がない、おそれはありません。
母の慈しみは、その子の能力を使いません。
陛下は、少しの利益でも、戦う兵士を厚く養っています。
法が無いことはないじやないですか!
今、陝郡は、大切な要の場所ですが、法を急ぐ事はありません。
天下に憂える事なく、絶える事がない法則があれば、陝郡は、なおさらです。
陝郡は、法則が無ければ、守れません。
何の益も得られません。
王去栄のとるに足らない技で、陝郡の存亡は持ち続けられません。
王法の有無は、国家の軽重となります。
我々、臣は(太宗様の作られた)貞観の法を陛下が守られますよう、ささやかに願うばかりであります。
粛宗は、王去栄を捨てると、した。