ヨモギの矢
司空・郭子儀は、宮殿を訪れて、清渠の戦いでの敗北の責任を取って、自らを貶めるように、粛宗に、請うた。
五日十七日、
郭子儀は、左僕射となった。
尹子奇は、益々兵を増やし、急いで、すい陽をとり囲んだ。
張巡は、夜中、城で、兵士を戒めるために、太鼓を叩いた。
太鼓は、“進め”の合図である。
まさに、撃って出る者がいるかもしれないからと、賊兵は太鼓の音を聞きながら、万一の場合に備えて、用心していた。
朝になった。
張巡が太鼓を止めたので、兵たちは、寝た。
賊軍は、物見櫓に登り、跳び上がり、高い所から、城の中を覗き見た。
見た所、問題は無かった。
それではと、鎧などを脱いで休憩を取った。
しばらくすると、張巡と将軍・南霽雲、郎将・雷万春ら、十人以上の将軍各々が、五十騎を従えて、門から飛び出した。
真っ直ぐに賊軍の軍営を目指した。
尹子奇の所に着いた。
陣営は、大混乱。
賊将五十人以上、賊兵五千人以上を斬り殺した。
張巡は、尹子奇の顔を知らなかったが、矢で射たいと思った。
すなわち、ヨモギの茎を鋭くした矢でもって。
ヨモギの茎で作った矢は、邪気を払うと言われている。
矢も欠乏しているので、縁起を担いだように見せた、張巡らしい工夫であった。
だから、矢を当てた者は“縁起がいい”と、喜んだ。
張巡はすべて射たので、矢が無くなった。
尹子奇に当たったか、様子を見に行かせた。
南霽雲に命じて、続けて射させた。
何度か狙い、左目に当てた。
尹子奇は、左目を失った。
尹子奇は、兵を収め、撤退した。
六月、
賊将の田乾真が安邑を取り囲んだ。
安邑は、黄河を挟んで、黄河のそばの陝州の向かい側に、距離はあるが位置する。
この時、陝州は、いまだに賊軍の支配するところであった。
陝郡の賊将・楊務欽は、秘かに帰国し、河東太守・馬承光に、我に兵を応じさせるように、謀った。
官軍・馬承光の兵士を指揮すると云うことだ。
楊務欽は、今までと、考えをまるで変えて、陝城に戻った。
そして、自分と同じ考え方でない、城中の将軍を殺した。
陝城が官軍の物になったのだ。
陝州の中心・陝郡が官軍の物になったなら、おのずから回りにも影響を及ぼす。
陝州を得たと、云うことだ。
黄河の向かい側の安邑を囲んでいた田乾真は、黄河を渡って、陝州から兵が来たなら、挟まれると思い、安邑の囲みを解いて、逃げ去った。