命名・俶
三日後、
正午に近い頃、玄宗は観風殿の一室に腰をかけていた。
眼の前の床には、厚い布団がしかれていた。
布団は赤い絹の敷布で被われていた。
傍らの高力士に声をかけた。
すべて最上の物であろうな。
わかっております。
黄色のおくるみに包まれた赤子が連れてこられ、裸にされ、布団の上に置かれた。
玄宗は椅子から腰を浮かして、赤子に見入った。
赤子は小さく痩せていた。
だが、欠伸をして、ゆっくりと開いた眼は、丸く美しかった。
そして、その眼が玄宗を見た時、笑った。
おくるみを、早く!
慣れない動作で赤子をくるみ、
裸ん坊で寒かったな。
風邪をひいたら大変だ。
と、云いながら抱きかかえた。
体をゆらしながら、
本当はもっと早く会いたかった。
でも、裸ん坊になるのは分かっていた。
だから、気温が上がる昼ちかくまで、待ったのだ。
そなたの父上も云っていたが、美しいのお、
もう一度、顔を覗きこんだ。
いい顔をしておる。
おチンチンを見ていなかったら、女子と間違えたかもしれん。
側にひかえていた母親に
良い子を生んでくれた。
お手柄じゃ、
褒美をとらせたいが、なにが良い。
陛下、私のような掖庭宮出身の者に、いつも御心をかけていただき、感謝しております。
弟たちは、牧場の仕事から離れ、遅まきながら学問に、いそしんでおります。
側にいた忠王が、
父上、私の方からお願いがあります。
長安に帰るまで、この上陽宮に置いていただけないでしょうか?
わざと、“杏 ”と云わずに話した。
この者は周りに遠慮して、同じ宮女だった者にさえ、命令できないのです。
また、この者が遠慮するのを知ると、厚かましくなり、横柄な態度をとるのです。
今は、妃がおりますから、王府も掃除がいきとどいていますが、あの宮女たちは云わなければ何もしない、図々しい者たちなのです。
帰れば、妃たちにもへり下るでしょう。
私は、見ていられないのです。
そちは、杏を大切にしているのだな。
わかった。
高力士、手配をたのむ。
忠王、赤子は、もう眠ったようだ。
この子は、唐の宝だ、希望だ。
名は祝福にちなんで、俶としよう。
大切に育ててくれよ。
いとおしそうに、俶を杏にわたした。
忠王、お祝いだ。
久しぶりに、一杯やろう。
と、声をかけた。
高力士、気を使いたくない。
どこがいい。
ここは島です。
使われているのは観風殿のみです。
他の建物は一切使われていません。
武后様のここでの崩御以来、閉めたままです。
掃除をして、橋に見張りを立てればよろしいかと。
いい考えだ。
それで、頼む。
高力士は橋に行き、立っている兵士に指図してきた。
急がせます。
部屋も一応調べるようにしました。
心おきなく話せます。
もう一度、俶の顔を見てこよう。
整ったら、声をかけてくれ。
急がなくてもいいから。
俶の眠る揺りかごの側で、椅子にすわった玄宗は顔を見ながら、話はじめた。
俶、この上陽宮は、朕のお祖父様の高宗様の療養のために建てられた宮殿なのだよ。
お祖父様は風疾という病だった。
だから、高宗様は、ここで寝ていた。
そして、朕のお祖母様の武后様も体を悪くして、ここで寝ていて亡くなった。
まあ、お祖母様の場合は幽閉という言い方もできるけどね。
そして、俶も、ここですやすや眠っている。
分かっているかい。
二人はこの国、唐の皇帝だった方たちなのだよ。
そして、ここで生まれて眠っている俶も、皇帝になるのだよ。
お祖父さんである、朕が、道をつけてあげるからね。
俶はいい皇帝になると思うよ。
楽しみにしているよ。
父上は、母上に優しいみたいだな。
父上と母上との出逢いは見ていたからわかっていたよ。
おチビさんには、これ以上、云えないけどね。
玄宗はしゃべるのを止めた。
忠王には負い目があった。
その忠王が元宵節の朝、参内してきた。
見ると、頭のところどころの髪の毛が薄くなっている。
まだ10代なのに、見ていられなかった。
あわてて、高力士に
今は帰りなさい。
夜、会いにいく。
と、伝えさせた。
夜、王府を訪れた。
部屋には、忠王が一人元気なく、座っていた。
周りを見ると、側につかえる宮女もいない。
今日は、元宵節初日である。
誰しも、見に行きたいであろう。
多分、宮女たちは忠王に、甘いことばでお願いしたのだ。
気の弱い忠王は断れない。
想像はつく。
部屋は掃除はいきとどかず、楽器には埃がたまっている。
他の皇子ならば、怒鳴りつけているところである。
高力士に
洛陽の良き家の女子を、五人程選ぶよう。
と、言った。
今日は元宵節初日。
家にいる若い女子などいませんよ。
掖庭宮にはいます。
休みのないところですから。
それに、元官吏の娘たちですから、悪くはないかと。
高力士に任せた。
女子が三人連れてこられた。
前の二人は、何事かと、うつむきながらも、眼をキョロキョロさせながら、入ってきた。
一人、最後の女子は、うつむいたままである。
顔を上げるよう、云った。
忠王の顔を見た。
眼が釘付けになっていた。