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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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太原、史思明に囲まれる

粛宗は、安西節度使、北庭節度使と、抜汗那、大食諸国の兵士が涼郡、ぜん郡にやって来たと聞いた。

一月十五日、

粛宗は、閲見の為、保定郡に行幸した。


一月十七日、

剣南節度使の兵、賈秀たち五千人が謀反を起こした。

将軍・席元慶と、臨きょう太守・柳奕が討ち取った。

剣南節度使と云えば成都にあり、玄宗様の滞在するところである。

備えをしっかりしなければ。


河西節度使の兵馬使・蓋庭倫が武威九姓商の胡族・安門物らと兵六万人で、上役である河西節度使の周泌を殺した。

武威の大城の中には、小城が七つあって、胡の城は、その内五つで、中の二つを堅く守っていた。

支度判官・崔称と中使・劉日新が残り二城の兵でこれを攻めた。

十七日で平定した。

史思明は博陵から、蔡希徳は太行から、高秀厳は大同から、牛廷介は范陽から、合わせて十万人の兵士を引き連れ、太原(河東節度使)を囲んだ。

李光弼の直属の部下の精鋭は、皆、朔方節度使に行って太原にいなかった。

隊の残りの兵たちは、“烏合の衆”、残った者の寄せ集めで、一万人いなかった。

史思明は、太原が手薄な事情を知っていたのであろうか。

知っていたとすれば、内通者が疑われる。

史思明は、太原は簡単に攻略出来るとし、既に得たような言い方で、“後、ちょっと足を伸ばして、朔方節度使、河西節度使、隴右節度使も取る。”と口にした。

太原の将たちは、皆、怖れた。

城を整えて待つ、相談をした。

李光弼は、言った。

太原城の周りは、四十里ある。

ここからは、敵の先鋒が見えないので、困るな。

しかし、今のうちに、将兵と民で壕を掘って、自分たちで城の外を固めよう。

そして、数十万個のレンガを作った。

兵士たちは、どう使うか、知らなかった。

内通者の心配もあり、言うことはなかった。

そうする内に、賊軍が外から城を攻めて来た。

李光弼は、城の中の砦を増やすのにそのレンガを使った。

壊れても、もっぱら補充していった。

史思明は、人を使って、山東地方に城攻めの道具を取りに行かせた。

蛮族の兵士三千人を、護衛の為に送った。

土門も、まだまだ先の、まだ太原と云える広陽に着いた。

別将・慕容溢と張奉璋が賊兵を迎え撃ち、殺し尽くした。


史思明は、太原を囲んだ。

だが、一と月余りたったが、降伏しなかった。

いい馬と精鋭を選んで、遊民(決まった仕事をもたず、その時々に合わせ、援助が必要な部所の仕事をする兵士)とした。

諌めて言った。

我は、北を攻める。

そなたたちは、隠れて南に走って攻める。

東を攻めると、則ち、西に走って攻める。

隙があれば、則ち、それに乗じて、入り込め。

李光弼は、侵入するところがないとはいえ、賊軍が入れないよう、少しも怠ることなく見回るよう、軍令を敷いた。

李光弼は、軍中で賞金を掛けて募った。

小枝を置き、皆にそれを取らせた。

その人の能力に合わせて使わせた。

その使い方を見た。

安辺軍の銭工三人を得ることが出来た。

そこで、まわりにある金属から、穴掘りの工具を作らせた。

効率良く地下の道を掘った。

賊軍は、城の下で、上を向いては、侮辱したり罵ったりしていた。

李光弼は、人を遣わして、地下の道の中から、その男の足を引っ張り込んだ。

城から見下ろし、指図し、これを斬った。

それを見て、賊軍はその場に行って、地面を見た。

賊軍は、梯子で地面を突いた。

土で山を作り、城を攻めた。

李光弼は、地中の道で、これを迎えた。

もっぱら、近くの城が墜ちた。

賊軍は、初め、急に城に近づいた。

李光弼は、大きな石弓を作らせていて、巨大な石を飛ばせた。

一発で、瞬く間に、二十人以上が倒れた。

賊軍の死者は、十人中、二、三人。

軍営を数十歩、後に退いた。

守りを、益々固めた。

李光弼は、人を使わして、“この日に降伏します。”と、賊軍と、嘘の約束をした。

賊軍は喜んで、特に備えはしなかった。

李光弼は、賊軍の軍営の周りに地面の中の道を掘り、木でもって支えた。

約束の時が来た。

李光弼は、隊の頭の兵士を城の上に置いた。

地面の掘った場所を、頭たちは上から見て、部下に指し示すようにさせたのだ。

副将たち数千人を城から出し、いかにも、敗けたように見せた。

副将たちは、頭の指示により、掘った場所を囲んだ。

賊軍の皆は、信じられず、目を見張った。

突然、軍営の地面が陥没した。

死者、千人以上。

賊兵は、皆、驚き乱れた。

官軍は、太鼓を叩いて、トキの声をあげた。

捕虜、合わせて数万人を斬った。


安祿山が死んだので、安慶緒は史思明を范陽節度使を守るために帰らせた。

太原を囲むために、蔡希徳をその場に留めた。

安慶緒は、尹子奇をべん州刺史と、河南節度使とした。

一月二十五日、

尹子奇は、帰、檀、同羅、奚の合わせて十三万の兵を従え、すい陽に行った。

許遠が急いで、張巡に告げた。

張巡は、寧陵から兵士を退き、すい陽に入った。

張巡には、兵士が三千人いた。

許遠と合わせて、六千八百人であった。

賊軍の兵が、城に迫った。

張巡は、部下たちの気を引き締め、そして、励ました。

昼夜、苦戦した。

ある一日、二十回も、競り合った。

おおよそ、十六日、

捕らえた賊将、六十人以上、殺した兵士、二万人以上。

兵士たちは、士気が上がっていた。

許遠が、張巡に言った。

遠は、臆病なんだ。

兵法も習ってない。

張公は、知恵も勇気も同じように持っている。

遠は、張公を守りたい。

張公には、遠の戦い方をさせてほしい。

これより後、許遠は、もっぱら、軍の食糧を調達したり、戦の道具を整えたり、戦の謀り事の計画書を張巡に提出したりした。

能力に合わせた、分業にしたのである。

賊軍は、遂に、夜、逃げ出した

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