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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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李白、李りんの参謀となる

この頃、李白は、廬山にいた。

天宝三載(744年)

長安を出て、洛陽で杜甫に会い、一緒に河南(梁・宋)で遊んだ。

この時、李白と杜甫の共通の友人・高適も一緒であった。

李白と杜甫が、役人になって世を良くしたいと口にするのを聞いて、高適は刺激を受けたようだ。

一年程して、李白は、石門で杜甫と高適とも別れた。

(この後、高適は役人を目指す。)

それから、十年経つ。

未だに、我が家には帰っていない。

李白程の有名人は、名のある家ほど、招待したがる。

元皇帝お気に入りの宮廷詩人、そんな人、滅多にお目にかかれない。

滞在していると聞くと、行く先々で誘いがかかるのである。

そんなこんなで、十年が過ぎたのである。

だが、安祿山の謀反の噂が伝わった。

李白は怖れた。

捕まったら、安祿山を讃える詩を強要される。

そんな事は、御免だ。

安祿山、本人を知っている分、尚である。

だから、廬山に逃げ込んだ。

廬山は、揚子江の南にある。

賊軍は、遊牧民の集団だ。

河まで渡って、捕まえにはこないだろう。

廬山は、古から、いろんな宗教の聖地とされている。

朝廷に入る前には、山で隠遁生活をした事もある。

山での生活も落ち着いたころ、李白の噂を聞き、永王・李りんの使いの者がやってきた。

最初は、断った。

また、来た。

三回目、使いの者が来た時、“三顧の礼”にならっていると、思われた。

この李白に、気を遣ってくれるのが、ありがたかった。

李白に、相談相手になってほしいとの事、

李白は、嬉しかった。

大好きだった玄宗皇帝。

また、玄宗様に会えるかも、

国に貢献したい気持ちで、胸が躍った。

李白は、山を降り、永王・李りんのもとに身を寄せた。

李白は、永王・李りんの参謀となった。

十二月二十五日、

永王・李りんは、規律などお構いなしに、自分勝手に兵士を引き連れ、揚子江を下っていた。

軍の様子はとても勢いがあり、未だに土地を皆で分け合い、そこから勢力を伸ばして行こうと云う計画は、バレていなかった。

呉郡太守・江南東路采訪使の李希言が、永王・りんに、“勝手に兵士を引き連れ、東に進む意向を調べたい。”との、公文書を届けて来た。

永王・李りんは怒った。

兵を分け、将軍の一人、渾惟明に、呉郡で李希言を襲わせた。

李広ちんに、広陵長使・淮南采訪使の李成式を広陵で襲わせた。

李成式は、部下の将軍・李承慶を遣わそうとしたが、断られた。

永王・李りんは、見せしめに閻敬之を襲って、斬り殺させた。

それを見た、元景曜、李承慶は二人共、永王・李りんに服従することにした。

江南、淮水地方は、官軍に対して、(安祿山の軍の他に、)一皇族の軍が刃向かったことに、驚きと恐れで揺らいだ。

永王・李りんは皇族で、四道節度都使を任されている。

その分、対抗しずらい。

蜀からやって来た高適と来てんと韋陟は、安陸で会い、同じ官軍の衝撃を思うと、自分たちで永王・李りんを討たなければと、誓いあった。


于てん王勝は、安祿山の謀反を聞いた。

弟・曜に、国の任務を代行させる命を出し、自ら五千人の兵士を率いて、応援にやって来た。

玄宗は歓んで、特進の官位を賜り、殿中監を兼ねさせた。

令狐潮と李庭望が、また、雍丘を攻撃した。

だが、数カ月しても、落とせなかった。

雍丘の北(地図の上では、杞州)に、城を築いた。

張巡たちへ送られる食糧を、絶とうとしたのだ。

その城には、常に賊兵が数万人いた。

一方、張巡の兵は、わずか千人ちょっとであった。

だが、戦の度に、いつも勝った。

河南節度使のかく王・李巨は彭城にいた。

張巡が勝手に名のっていた、“先鋒使”に、任じた。

この月、魯郡、東平郡、濟陰郡が墜ち、敵の物となった。

賊将・揚朝宗が、騎兵、歩兵二万を率いて、張巡を殺してから、寧陵を襲おうとやって来た。

張巡一人に、あまりにも手こずっているので、試しに、違う人物を派遣したのであろう。

張巡は、遂に、雍丘の賊軍の城を墜とした。

そして、寧陵の東を守って、敵を待った。

離れて守るすい陽太守・許遠とお互い、敬意をもって顔を見た。

この日、揚朝宗が寧陵城の西北に着いた。

張巡と許遠の軍と戦い、昼夜数十合、競りあった。

賊軍を大破した。

斬った首は一万以上。

流れた死体は、卞川を下流で塞き止めた。

賊軍は兵を収め、夜の暗闇に紛れて逃げ去った。

張巡を河南節度副使とするとの、皇帝の命が下された。

張巡は、“功績は兵士にある、”とした。

かく王・李巨に、使いを遣わして、名前が書かれていない辞令書と、褒美の品を請うた。

かく王・巨は、張巡と裏で取り引きをした。

(唐は金に困って、官位、僧尼の権利を売っている話まで、したかもしれない。)

勇者であるとの辞令書が三十通、渡された。

だが、褒美の品はなかった。

張巡は、回し文でかく王・李巨を責め(る振りをし)た。

かく王・李巨は相手にせず、いつの間にか、そんな話は絶ち消えた。


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