安祿山、河北を制す
尹子奇は、河間郡を囲んだ。
四十日以上経ったが、投降しなかった。
史思明が、兵士を引き連れやって来た。
顔真卿は、平原の将軍・和琳を一万二千人の兵士で、河間を救うよう派遣した。
が、史思明に逆襲され、囚われた。
遂に、河間は陥落した。
囚われた太守・李奐は、洛陽に送られ、殺された。
また、景城郡も陥落した。
景城太守・李いは、河に出かけ、溺れて死んだ。
自分なりに、敗れた責任を取ったのであろう。
史思明は、河間と景城の両方の兵士を使って、“楽安は直ぐに郡を挙げて投降するように”と、手紙を届けさせた。
そして、今度は、楽安の将軍・康没野波を先鋒として、平原を攻めさせた。
兵馬は、まだ来ていなかった。
だが、顔真卿は、力では敵わないと知った。
兵たちを集め、皆に言った。
賊軍は、強く鋭い。
これ以上、抵抗できない。
もし、委された命令で、唐の国が恥をかいたなら、計略ではなくなる。
陛下の下に赴いてみなければ。
朝廷が、もし、賊軍に敗けた罪を罰するならば、我は死んでも恨まない。
十月二十二日、
顔真卿は、平原郡を棄て、黄河を渡り、南に走った。
粛宗に拝謁するため、賊軍を避け、扶風に行くために、第五きが租米を運んだように、遠回りの道を選んだ。
史思明は、今度は、平原の兵馬を使って、残った清河郡、博平郡を陥落させた。
“夷をもって、夷を制す”、と言うが、昨日までの同士を、今日は敵対させたのである。
討つ方も、討たれる方も、地獄だろう。
どちらも、戦いたくない。
だから、陥落は早い。
史思明は、確かにずる賢い。
史思明は、兵を引き連れ、信都の烏承恩を囲ませた。
烏承恩は、降伏した。
いろんな情報を耳にしていたから、これ以上、持ちこたえられないと、悟ったのだ。
親しく史思明を城に導き、兵たちと言葉を交わし、倉庫、馬三千頭、兵士一万人、と説明した。
史思明は、烏承恩を洛陽の安祿山に送り、拝謁させた。
史思明は、安祿山に寝がえる人を探していたのである。
戦う兵士はいても、知力がある、軍の核となる人、人材がいないのである。
安祿山は、烏承恩を、今までと同じ官職に任じた。
饒陽の副将軍・束鹿張興は、千鈞の物を持ち上げる、と言われる程の力持ちで、義理堅く弁舌が巧みであった。
賊軍が、饒陽郡を攻めた。
年を重ねるにつれ、ますます、降伏させにくくなっていた。
けれども、周りの郡が皆、陥落したので、史思明は、その者たちを使って、城の周りを囲ませたのである。
外からの救いはない。
太守・李系は、苦しんだ。
火に飛び込み、死んだ。
城は、遂に陥落した。
史思明は、捉えた束鹿張興に、馬の前で言った。
将軍は、真に立派な男です。
我と一緒に、富貴になりませんか?
史思明なりの好意が感じられる話ぶりである。
束鹿張興は言った。
興は、唐の忠臣です。
道理としても、投降する事は、決してありません。
今、人として数刻、生きるだけです。
死の前に、一言、言わせて頂きたいのですが。
史思明は、言った。
試しに言ってみたら。
束鹿張興は、言った。
玄宗様は、安祿山を頼みにしていました。
その恩は、父子のようでありました。
臣下たちの、誰も及びませんでした。
兵と共に宮殿を指差しても、恩に報いるという事を知らないのでしょうか。
人は、辛く苦しく生きています。
見た目のあなたは、堂々とした立派な男です。
しかし、ねじ曲った心は、直らないでしょう。
あなたは、臣下として、北に向かって玄宗様を見ていたのですか!
私には、些細な考えしかありません。
あなたは、ちゃんと聞いていますか?
あなたは、富貴のみを求めて、賊に従うと言う。
諺に、“燕巣幕上”があります。
燕が幕の上に巣を作る事で、
“非常に危険なこと”の、たとえです。
長く安らかでは、いられないのです!
“禍転じて福となす”
富貴は、長くは続かない。
また、美しくありません。
史思明は怒った。
命令して、束鹿張興の体を木の上に大きく広げさせ、鋸で引き殺した。
束鹿張興は口がきける限り罵り、そして死んだ。
賊軍は、城を一つ落とす度に、城中の衣服、金銭、宝物、女性、皆、奪い取った。
男子は、元気な者は、略奪品などの荷物を運ばせるのに使った。
弱った者、病人、老人、幼児は、皆、刀や鉾の遊びに使い、殺した。
安祿山は、最初、三千人の兵士を史思明に授けた。
河北地方を平定するためだ。
ここにきて、河北地方は、総て、安祿山の物となった。
各々の郡に、混血の蛮族の護衛兵三千人を、押さえとして置いた。
史思明は、博陵に帰った。
尹子奇は、五千の騎兵を率いて黄河を渡った。
北海郡を攻略して、南の揚子江、淮水を取りたいとした。
だが、回鶻の可汗が、臣の葛邏支を将として、応援のために兵士を遣わしたと、聞いた。
また、先に来た二千騎が、范陽の城下を覆っていると、尹子奇は知った。
尹子奇は、慌ただしく、兵を率いて帰った。