元帥府の李泌
粛宗は、李泌と行軍に出た。
軍の兵士が、
黄色の衣の者は聖人で、白色の衣の者は山人である。
と、言った。
確かに、皇帝は、黄色の衣を着る。
李泌は、隠者として、山に籠っていた。
山人には、違いない。
粛宗は、これを聞いて、李泌に告げた。
苦しみの時は、官職にあえて屈しない。
ただ、紫の衣の者は、多くの人々の議論を止めさせられる。
そう言って、紫の衣を李泌に賜下した。
李泌は、欲しいと思わなかったが、受けとった。
衣に感謝した、とした。
粛宗は、笑って言った。
この服には名前を付けるべきでは無い。
畳まれた衣の中から、詔が出てきた。
それには、李泌が、元帥府の行軍長史として、国の軍事の謀に関わるようにと、されていた。
李泌は、固く辞退した。
粛宗は、言った。
朕は、そなたを大臣にはあえてしない。
ただ、苦しい時だけ、助けてほしい。
賊軍を平定するまでだ。
高い志で責任をもって行うように。
李泌は、この任を受けた。
宮中に元帥府を置いた。
広平王・俶が府に入ると、李泌が必ず居た。
李泌が府に入ると、広平王・俶がまた、同じように居た。
李泌は、粛宗に言った。
各将軍たちは、天威を畏れます。
陛下がお出でになれば、軍事をいろいろと述べます。
しかし、思うところを言い尽くせない事もあります。
たとえ、小さな差であっても、被害が甚大なこともあります。
お願いします。
まず、臣下と広平王が、よく議論をするように命じて下さい。
そうしたら、臣下と広平王は、ゆったりと落ち着いて話を聞くことが出来ます。
出来るでしょうか、出来ないでしょうか。
粛宗は、これを許した。
軍の兵士たちの務めが頻繁な時、四方から、報告がされた。
夕方から、朝方まで、時間に係わりなく、報告が来た。
粛宗は、すべて、元帥府に送った。
李泌は、まず、先に開けて見た。
緊急の物、烽火関係のものは封を重ね、門を隔てた関連部署に通達した。
急がない物は、明るくなるのを待った。
宮中の門の鍵は、全て、広平王・俶と李泌の掌中に委せられた。
阿史那従礼は、九姓府の者、六つの州の其々の数万人いる蕃族を説得して誘い、経略軍の北に集めた。
そして、朔方節度使に侵入しようとした。
長安から逃げてきたのを、粛宗に説得されて、官軍に入った男である。
馬二千頭を盗み、長安から逃げた時、安祿山を裏切っている。
そして、朔方節度使に侵入しようとしている。
今度は、官軍への裏切りである。
一度、裏切った者は、又、裏切ると云う。
裏切ることに対して、抵抗が無いのであろう。
粛宗は、郭子儀に天徳軍の兵士を発動させ、討つように命じた。
左武鋒使・僕固懐恩の子、ふんは、戦い、敗れ、投降した。
そして、逃げ帰った。
僕固懐恩は、叱り付け、斬った。
軍の将士は、父親なのに、余りの非情さに恐れおののいた。
僕固懐恩のやり方を見た兵士たちは、一人で百人をやっつける程戦い、遂に、同羅を破った。
粛宗は、朔方節度使の兵士を使い、国外の蕃族の兵士を借りて、我が軍の勢力を強めたいとした。
そこで、幽王・李守礼の子、李承さいを敦煌王にして、僕固懐恩と共に、回鶻に兵士を借りるように、使いに出した。
李泌は、粛宗に勧めた。
西北の兵士が来るのに応じて、まず、彭原に行幸しましょう。
庸・労役の税、調・布、帛などの税をまた、集める時期です。
軍の足りない物を補えます。
粛宗は、従った。
九月十七日、
粛宗は、霊武から彭原に出発した。
内侍・辺令誠が、長安の賊軍から逃げて来た。
長安の鍵を預けていた人物である。
六月十三日に、長安を去って以来である。
辺令誠は、その日のうちに、安祿山に鍵を献上したと、いう。
三か月以上、経っている。
賊軍と、上手くやっていたのではないのか?
粛宗は、辺令誠を斬った。