天下兵馬元帥
粛宗は、玄宗から離れて、馬嵬から北に進んだ。
民の間では、皇太子が北の兵士を手に入れ、長安を取り返しに来ると、互いに言いあった。
長安の民は、日夜、それを願い、ある時、
皇太子が、大軍を率いて来た。
と、一人が言った。
皆、すぐに走った。
街は、空っぽになった。
賊兵も、北の方に土ぼこりが上がるのを見て、驚いて、すぐに逃げた。
長安の豪傑は、往々にして賊軍の役人を殺して、遥か遠い官軍に呼応しようとした。
殺されても、同じことが、また起こった。
絶える事なく続き、賊軍は統制出来なかった。
その始まりは、長安の、ふ県、岐山、隴山からで、敵の砦はなかった。
賊軍の兵力は、南は武関を出ず、北は雲陽を過ぎず、西は武功を過ぎることはなかった。
揚子江、淮水の地方で、“蜀”、“霊武”に貢献をしたいとした者は、皆、襄陽から、上津路を通り、扶風に着いた。
道には、砦もなかった。
これは、皆、薛景仙の功績である。
九月一日、
史思明が趙郡を囲んだ。
九月五日、
趙郡を手に入れた。
また、常山を囲んだ。
十日で、史思明は、常山城を陥落させ、数千人を殺した。
粛宗の三男、建寧王・たんは、優れた決断力を持ち、才略があった。
粛宗に従い、馬嵬から北に進んだ。
兵士たちは、少ないし、強行軍で弱っていた。
たびたび、盗人の群れに襲われた。
たんは、自ら、強くて勇ましい兵士を選び、粛宗の前後に置き、血みどろになって戦い、粛宗を守った。
粛宗は、ある時、食事の時間が過ぎても食べなかった。
たんは、我慢が出来ず泣いて悲しんだ。
軍中の者が注目した。
あんなに強いのに、優しいと、感じたのだろう。
たんは、兵士に慕われた。
粛宗は、たんを、安祿山を討つために将軍たちを率いる、“天下兵馬元帥”にしたいと、した。
李泌が言った。
建寧郡王・たんは、まことに元帥の才能があります。
けれども、広平郡王・俶が、長男なのです。
もし、建寧王が功績を立てたなら、広平王が“呉太伯”になるのですよ!
呉太伯、
周代の呉の始祖とされる、伝説的な人物。
周の太王の長子。
李歴の兄。
太王が李歴に望みをかけているのを察して、他の弟と呉の地方に逃げ、呉国をたてたと言われる。
粛宗は、言った。
広平王は、世嗣ぎの御子だ。
重い立場の者だ。
何で、元帥にする必要があるのだ!
李泌は言った。
広平王は、いまだ正位である東宮に着いておりません。
今、天下は、苦しくて大変な時です。
民の望みは、元帥の中にあります。
もし、建寧王が大功を成したなら、皇太子の副、次の地位には出来なくなります。
功績を立てた者が良いと、されるのです!
太宗様、玄宗様、
お二人とも、皇太子になった兄上がいらっしゃいました。
でも、皇帝になられました。
すなわち、そう言うことなのです。
粛宗は、将軍たちは従うようにと、広平王・俶を、天下兵馬元帥とした。
粛宗は、李光弼、郭子儀を、賊軍を討つ計画を議論しようと呼んだ。
二人には、ぐずぐずするような発言があった。
二人は、元帥には、兵士たちに親しみのある、建寧王・たんを期待していたのである。
皇帝陛下の決断に口に出せないので、態度で不満を表したのである。
粛宗は、怒った。
顔色を変えて、叱った。
二人とも、地面に伏せた。
粛宗が喋り終わるまで、地に伏せたままであった。
二人の将軍は、副元帥となる。
この一年、国家には、苦しみがあった。
朕は、また、この地において即位した。
そなたたち、将軍、宰相は、遂に三公にまでなった。
お互い、偉くなった。
だが、驕りの様子が見られる。
討伐について、話し合おう。
ゆっくりしたいようだが、世嗣ぎが来て叱ったなら、皆、伏せるか。
また、まさに驕りの方が勝つのか。
朕は、深く憂う。
朕は、今、戦争についての事は、先生(李泌)に、委せたい。
宮中での議事は、厳かな命令として、巧く示すように。
畏れを知ることを、使ったらいい。
対した、李泌は、
陛下は、敬服すべき臣下を、必ず使いたくなります。
あの二人は、まだ広平王を知りません。
広平王には、なにも言わず、しばらく宮中にいるように、命じて下さい。
郭子儀と李光弼がやって来た。
寒い時だったので、酒を飲んだ。
二人は、必ず、広平王に謁見したいと、請うだろう。
臣下は、“酒令”により、多分、立ち上がらないだろう。
酒令
酒の席で行う遊戯などについての規則。
これに背いた者は、罰杯を飲む。
広平王が来た。
ただ、話した。
臣下たちは、互いに慰め合った。
酒が終わった。
元帥に、会うからきちんとするように諭した。
二人は、元帥を見て、酒令として、皇帝の御子は、尊いから付き従うようにとした。
軍中の命令は必ず行われる。
だが、生死に関わる時は、規則を守ら無くていい。
陛下は、下の方の兵士の事を大切にするのを知った。
粛宗は、善い事と称えた。
広平王の事は、くれぐれも、頼む。
これは、陛下の意思である。
郭子儀、李光弼は、敬服すべき臣下である。
あえて、恩を頼むような臣下ではない。
陛下は言った。
重臣における広平王は、言うべき行いがあっただろうか。
返事があった。
皇帝の御子は、国のもうけの君です。
だから、陛下の親しい臣と言えます。
臣は、何人か、あえて、怖れません。
次の日、暁の頃、広平王がまた来た。
そして、郭子儀、李光弼も来た。
共に、軍の話をした。
礼儀による、よそよそしさを止め、三人で座って楽しく飲んだ。
建寧王・たんは、粛宗と李泌の会話を聞いて、李泌に感謝して、言った。
兄上を立てないと、賊軍を討っても、皇帝位を争う内輪揉めが、起きるのですね。
これ以上の争いは御免です。
たんは、兄上を立てると、固く心に決めました!