表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
184/347

楽団・芸する動物、洛陽へ

八月十二日、

霊武からの使者が、蜀に着いた。

上皇・玄宗は、

我が児は、天の求めに答え、人に寄り添う。

我には、何の憂いも無い。

と、喜んだ。

八月十六日、

詔を出した。

今から、制勅を改め、誥となす。

書状では“太上皇”と、表すように。

天下の軍事、国政は、皆、皇帝の指揮を仰ぎ、上奏の後、朕に知らせるように。

また、戦に勝ち、都に上るならば、朕は、再び、国事に関わることはない。

八月十八日、

上皇・玄宗は、韋見素、房かん、崔渙に“伝国宝”と“玉冊”を、霊武に、皇帝位を伝えるものとして、奉るように命じた。


八月二十日、

史思明は、藁城を陥落させた。



かつて、上皇・玄宗は、宴のたびに、先ず、太常雅楽坐部、立部を設け、続けて、鼓吹、胡楽、教坊、府・県散楽、雑戯も設けた。

そして、山車、陸船に楽工を乗せ、行ったり来たりさせた。

また、“霓裳羽衣げいしょううい”の舞いを宮人に舞わせた。

この曲は、河西節度使の楊敬述が、玄宗に献じた物である。

河西節度使、

シルクロードの側にあり、西域の文化に接しやすい所である。

琵琶などの楽器も元々は、西域の物である。

音楽は胡楽の影響を受け混ざり合い、本来の中国の音楽は、消えたという。

やはり、聞いたことのないリズム、メロディは、新鮮だったのであろう。

また、霓裳羽衣の舞いは、楊貴妃が得意としたという。

それに、耳の楽しみだけでなく、百頭の馬に、首に絹のリボンを付けさせたりして装わせ、舞わせた。

馬に、口に盃をくわえさせ、健康を祝福させたり、その時の喜び事を祝わせた。

舞馬銜杯ぶばかんはい”と、呼ばれた。

また、サイ、象を音楽に合わせ、広場で、拝ませたり舞わせたりもした。

安祿山は、見て、喜んだという。

すでに、長安を手に入れた安祿山は、命じて、楽工を捜し捕らえさせた。

そして、楽器、舞う時の衣装、舞馬、サイ、象等を皆、安祿山のいる洛陽に送らせた。



安祿山は、凝碧池で臣下の者たちと宴を開いた。

音楽が盛んに奏でられ、参加者は楽しんだ。

奏でる梨園の弟子たちは、往々にして啜り泣き、涙をこぼした。

賊兵たちは皆、刀を抜いて、睨み付けた。

楽工の雷海清は、悲憤を抑えられず、楽器を地面に投げ付けた。

そして、西に向いて激しく泣いた。

安祿山は、怒った。

“試馬殿”の前で、雷海清の四肢を縛り、四方から馬で引かせる、“支解”(両手、両足を切り離す)の刑罰を行った。


安祿山は、先ごろ、長安で、百姓が乱に乗じて庫から多くの物を盗んだと、聞いた。

三日をかけて、大がかりに探すよう命じた。

合わせて、個人の財産までも奪いつくした。

また、府県の役人に命じて調べさせ、ささいな物も見逃さなかった。

引き連れ、探させ、芋づる式に調べ、終わりがなかった。

民たちは、騒然とした。

益々、唐王室を偲んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ