高尚
令孤潮は、五月に入って、再び雍丘にいる張巡の城を囲んだ。
守る、攻める、お互い相対して四十日以上になる。
唐王朝の噂は、城から出ない者には分からない。
令孤潮は、玄宗が蜀に亡命したと聞いたと、書状で伝え、投降するようにと誘った。
六人の大将が、いた。
皆、開府をし、特別に昇進をした、優遇された人たちであった。
兵力は敵わないし、おまけに、皇帝の存亡もわからない。
賊軍に投降したら、いいのでは?
と、張巡に言った。
張巡は、承諾した振りをした。
次の日、部屋の壇の上に玄宗の画像を掲げ、将士の先頭にたち、部屋に入り、礼をした。
人々は、皆泣いた。
張巡は、六人の大将を前に引き出し、人間として行うべき大切な道を説いて、責めた。
そして、斬った。
兵士たち皆の心は、益々高揚した。
城の中の矢が尽きた。
張巡は、藁を縛って人形を千体ほど作り、黒の衣を着せ、夜、城から人が降りているように見せ、吊るした。
令孤潮の兵士たちは、争って、矢を射た。
しばらくして、それが藁人形だと、知った。
数十万の矢を得た。
その後、夜、又、人を吊るした。
賊兵たちは、笑って備えをしなかった。
そうしたら、令孤潮の軍営の兵士が五百人ほど、殺された。
本物の人間だったのである。
令孤軍は、大いに乱れた。
砦が燃やされたので、皆逃げた。
逃げる兵士を十里以上、追いかけた。
令孤潮は、恥じた。
兵士をもっと増やし、城を囲んだ。
張巡は、郎将・雷万春を使って、城の上から、令孤潮と話合わせた。
賊兵たちが、弩で矢を射た。
顔に、六本の矢が刺さったが、動かなかった。
令孤潮は、木の人形でないかと、疑った。
人を使って質問をさせた。
そこで、大いに驚いた。
遥か遠くから、張巡に言った。
向こうに見えるのは、雷将軍だ。
そなたの軍令を、知ることができた。
しかし、天の道理は、どうしようもない。
張巡は言った。
君は、未だに人として守るべき道を知らない。
だのに、天の道理を知るとは!
しばらくして、戦に出て、賊将を十四人捕らえた。
首を百以上、斬った。
賊兵は、夜、逃げた。
兵士を集め、陳留に入り再び出なかった。
この頃、賊の歩兵、騎兵、合わせてな七千余りの兵士が白沙渦に駐屯していた。
張巡は、夜、襲撃して、大いにこれを破った。
帰る途中、桃陵に着いた。
賊軍に会い、味方の兵士を四百人以上救った。
賊兵を、すべて捕らえた。
その兵士たちを分別した。
ぎ、壇と胡の兵士は、ことごとく斬った。
栄陽、陳留の城の兵士たちを脅して従わさせた。
皆、それぞれ家に帰って、仕事に着くように命じた。
十日間で、兵士にされていた民は立ち去った。
賊兵がやって来た。
家に帰った者は、一万戸以上であったという。
令孤潮は、“天道”という言葉を使うほど、安祿山が天子として、相応しいと思っている。
なぜなのか?
それは、高尚の言葉に感化されたからである。
高尚、
今は、洛陽にいる安祿山の側に侍っている。
皇帝の命令書、詔を書くためにである。
挙兵前、謀反を知る四人、高尚、厳荘、張通儒、孫孝哲の筆頭に名前を挙げられる人物である。
この男、生まれて付けられた名前は、“不危”という。
“不”が姓で、“危”が名前ではない。
姓がないのである。
賎しい生まれなのだ。
だが、“危なく無い”という命名には、親の愛情が感じられる。
母親は、物乞いをしていたという。
他の家族の事は、わからない。
出世魚のように、名前を変えた。
ただ学問をして、文章が巧かったという。
令孤潮は、一目置いていたのだろう。
令孤潮とは、不遇の時から親しかった。
高不危は、まさに大事を成して死ぬ。
草の根が生きようと、土に食い込むようにだ。
と、よく言っていた。
ただ、“大事を成して死ぬ。”のところが、相手によっては、“賊人を作って死ぬ。”であった。
令孤潮の家の婢と懇ろになり、女の子が生まれたという。
この時から、高不危は変わった。
県尉で“高”という姓の者がいて、その門下に入れて貰い、遂には、兄弟として、籍にいれてもらったのである。
この時、高不危が、誕生した。
高県尉も、不危の優秀さから、将来を見据えての好意だったのであろう。
李斉物が懐州刺使となった。
高不危を知り、部下にしようとした。
だが、高不危は応じなかった。
李斉物は、三万文の銭を餞別に渡し、長安に送った。
李斉物は、中官の将軍・呉懐実に高不危を託した。
呉懐実は、高力士に引き会わせた。
高力士は、高不危の才を認め、一門に入れた。
家事をすべて任せた。
問題は無かった。
妻の父親が特に認めた。
天宝元年(742年)、左領軍倉曹参事に抜擢された。
高不危は、高力士の近くで、朝廷の人々を見ていた。
そして、武将に関心を持った。
兵力を強大にしても、誰も疑わない。
そうした方が出来る奴と思われる。
武将でも、いろんな人がいる。
まずは、金をもっていなくては。
そして、皇帝と良い関係をもつ者でなくては。
理想通りの男がいた。
それが、安祿山であった。
高不危は、高力士に頼んだ。
高不危の故郷は、幽州です。
范陽節度使のある場所であります。
私のような賎しい者は、長安のような中央官庁は、落ち着きません。
子供もいることですし、故郷に帰りたいのです。
范陽節度使は故郷にありますが、私の身分を皆が知っています。
すぐ近くの平盧節度使を紹介していただけませんか?
それと、学問をしたいのですが、灯りの費用が私には、大変です。
なんでしたら、節度使の寝室で寝ずの番をして、灯りの費用を節約して、学びたいのです。
節度使の方に、聞いていただきたいのですが?
高力士が、安祿山に話した。
安祿山の方から、平盧節度使の掌書記として欲しいと、上奏して貰いたいと。
この時、“高不危は優秀だから、そなたにとってはいい話だ”と、高力士は伝えた。
天宝六年(747年)、平盧節度使の掌書記となった。
天宝元年から、足かけ六年間、朝廷を見て来た。
いずれ役にたつ時が来るだろう。
高力士が、安祿山に話した事で、安祿山は高不危の値打ちを知った。
字も読めないのだから、自らは、高不危の価値はわからなかったであろう。
高力士が認めた事が、大きな信用になったのである。
そして、夜、一緒に過ごすことが、謀反への勧めの、口火を切る事となった。
元旦生まれ等、いろんな情報を得て、もしかしたら天命を受けているのではと喜ばせ、禁書で、当然高価な(未来予言書の)図讖の本を手に入れてもらった。
読んで、こじつけて、解釈した。
安祿山の機嫌が良くなるのが、手に取るようにわかった。
高不危は、本来の自分の身分を高めようとしたのである。
子供のためにも、自分のためにも。
王朝が変われば、高不危は功臣となる。
押しも押されぬ、皇帝の側近となるのだ。
安祿山をその気にさせなければ。
気のいい男だ。
難しい事ではない。
それから始まった謀叛だったのである。
高不危は、唆し、煽り、導いたのである。
陰の主役は、高尚なのである。