皇太子、霊武に着く
皇太子は、平涼に着いた。
朔方節度使留守の杜鴻漸、六城水陸運使の魏少遊、節度判官の崔い、支度判官の盧簡金、塩池判官の李涵が来て、皆で共に相談して、
平涼の地は、閑散とした取り柄のない地で、兵士が駐屯する地ではありません。
霊武は、兵士に供給する食料が完璧で豊かです。
霊武郡は、朔方節度使が治める地であります。
もし、皇太子が霊武にお出でになれば、北の諸々の城の兵士を治めることが出来ますし、西の河西節度使、隴右節度使の強い騎兵を動かせることができます。
そして、南からは中原を目指すことが出来ます。
この世は永遠ではなく、一時的なものなのです。
と、申し上げた。
そして、李涵を使って、皇太子に上奏をした。
朔方節度使の兵士と馬、鎧と武器、穀物と絹、軍隊が必要とする物を献上するとした。
しばらくして、李涵が献上品と共に平涼に着いた。
皇太子は大喜びした。
河西節度使の司馬である裴冕が、皇太子に拝謁するために平涼に来た。
皇太子は、裴冕を御史中丞に任じた。
裴冕もまた、朔方節度使を駐屯地として勧めた。
皆が勧めるので、皇太子は、従うことにした。
杜鴻漸と崔いは、少遊を使って、後に住むことなる建物を建てさせ、屋根を葺かせ、蓄えで調度品を備えさせた。
少遊は、みずから皇太子を平涼の北の郡境まで迎えにやって来た。
朔方節度使は、天下の強い兵士が居る所です。
今、吐蕃とは和議を結んでいますし、回鶻は従えています。
四方の郡県では守りを堅くし、賊軍を拒んでいます。
だから、元のように盛んになるでしょう。
殿下は、今、霊武の兵士を治めています。
長く馬が駆けるように手綱を押し止め、四方に召し文を回し、忠義を乱さないように収め、則ち、逆賊を殺すのです。
と、皇太子に言った。
少遊は、宮室を熱心に整えた。
帳は、すべて宮中の物を真似た。
飲み物、食べ物は水辺と陸の食材を備えた。
秋、七月九日、
皇太子は、霊武に着いた。
そして、さまざまな命令を発した。
七月十二日、
玄宗は、晋安に着いた。
憲部侍郞の房かんが、謁見に来た。
房かん、
房かんは、間の悪い男と言えよう。
李適之たちが殺された時、仲が良かったからと李林甫に、給事中から宜春太守に貶められた。
また、次の宰相・楊国忠が、長雨で稲の収穫を心配する玄宗に、“大丈夫です。”と、言っているのに、“うちの郡では、被害がありました。”と、(他の誰もが、楊国忠を畏れて黙っているのに)報告し、監察府の御史台から、捜査員である御史を派遣された。
房かんは、二人の奸臣にひどい目に遇わされた人物なのである。
玄宗は、長安を出発した時、臣下の多くの者が知らなかった。
咸陽に着いた時、玄宗は、高力士に言った。
朝廷の役人で、誰が来て、誰が来ないかな?
対して、高力士は答えた。
張均、張きは、父親の張説と共に、陛下の恩寵を最も受けています。
また、寧親公主の附馬でもありますから、必ず、真っ先に来るでしょう。
来ない人は、かつて、皆で宰相に良いのは、房かんだ、と言っていましたが、陛下は用いられませんでした。
それに、房かんは、安祿山が推薦したりしたので恩を感じていて、恐らく来ないでしょう。
玄宗は、
そんなことは、わからないと思うよ。
と、言った。
そしたら、房かんはやって来た。
玄宗は、張兄弟のことを聞いた。
対して、房かんは、
我が先頭にたって、一緒に来ようとしましたが、留まって進みません。
その気持ちは、口に出来ない思いがあるように見えました。
と、言った。
玄宗は、高力士を振り返って、言った。
朕には、分かっていたよ。
その日、房かんを、文部侍郞とし、同平章事とした。
すなわち、宰相である。
張きは、寧親公主を娶っていた。
皇太子が、母親の腹の中にいた時、玄宗は太平公主が子供を多く産むのを嫌うと考え、流産させようとした。
だが、玄宗が薬を煎じていると、神人が夢に現れ、煎じている薬をけり、駄目にした。
うたた寝から覚めると、それは現実であった。
それが、三度続いた。
不思議に思い、張説に相談した。
天意です。
との張説の言葉で、皇太子・李亨は死なずにすんだ。
玄宗は、そのことで、張説に感謝し、李亨に妹が産まれたら、張説の子と婚姻させるとして、婚姻した張きと寧親公主だったのである。
だから、張きは、宮中に館を賜ったりして、比べるものがない程、大切にされた。
陳希烈が、政を辞めさせられそうになった時、玄宗は、張きの館に行幸した。
“宰相になれるのは誰か?”と、玄宗は、問うた。
張きが、まだ答えないうちに、玄宗は、“可愛い婿殿しか、いないね。”と、言った。
張きは、その時いた階段から降りて、昇進などに対して感謝して天子に行う、拝舞をした。
その時、その場に、楊貴妃がいたという。
楊貴妃が、楊国忠にその話を伝えたので、楊国忠は、張きが宰相になるのを邪魔したという。
楊国忠は、学問がある張きが、理屈っぽく反論するのを嫌っていた。
だから、楊国忠は思うように出来なくなるのが分かっていたから、邪魔したのであった。
李林甫は宦官にお金を渡して、情報を得ていた。
だが、楊国忠は、経費をかけずに、正確な情報を得ていたのだ。
それゆえ、張きは、宰相として用いられることはなかった。
だから張きは、心に不満を抱いていた。
玄宗は、張きの様子を見て、分かっていたのである。
この時、張均、張き兄弟と、姚崇の子、尚書右丞・姚奕と、蕭嵩の子、兵部侍郞・蕭陟と、太常少卿・斌、みな才覚と人望があって高官になっていた。
玄宗は、かつて
我が、宰相を任命する時は、前に宰相をした者の子弟だけは、残らず任じよう。
と、言っていた。
だが、誰一人、用いなかった。
リップサービスだったのである。