最初の宿泊処、金城県
玄宗は、宦官の王洛卿を先に行かせ、仮宮を置かせるように、遣わした。
食事時、咸陽の望賢宮に着いた。
王洛卿は県令とともに逃げて、いなかった。
正午になったが、玄宗は、まだ何も食べていなかった。
楊国忠が、市で胡餅を買ってきて、玄宗に献上した。
残りは、かく国夫人ら楊一族と共に、食べるのだな。
楊貴妃は、姉たちと居る。
楊国忠が付いているから、心配はないな。
玄宗は、折々姿をみせる百姓に、
そなたたちの家に、飯はあるか?
どんなものでも、よいから。
と、親しく聞いた。
老人も幼い子も、競って、麦や豆の入った飯や壺に入れた重湯を手に下げ、持ってきた。
皇孫たちは、争って、手ですくって食べた。
わずかの間で食べ尽くした、
まだ、食べ足らないようであった。
玄宗は、ねぎらった後、すべての支払いをした。
その場にいた民が哭いた。
玄宗も、また顔を覆って泣いた。
郭従勤という老人が言った。
安祿山が、禍の心を持つに致ったのは、一日で決めたわけではありません。
また、その謀を宮殿に告げに行った者もありました。
陛下は、ともすれば、その者を殺しました。
安祿山は、その姦逆の心を欲しいままにしたので、陛下は居場所を失うに至ったのです。
これまでの先王は、忠義の厚い善良な人を探し、広い視野を持ち聡明になろうとしました。
宰相になられた宋えい様を覚えています。
何度も進んで諫言をされました。
天下が安らかで平和になりました。
この頃は、朝廷の臣は諫言をはばかり、ただ、へつらうばかりです。
だから、宮殿の外の事を、陛下は、何も知らなかったのです。
民間の民は、必ず、今日のある事を前から知っていました。
ただ、天子様の宮殿は、厳かで奥深い。
我々のささやかな心は、陛下には届かなかったのです。
事、ここに至らなければ、臣下は何で、陛下に面と向かって訴えたり出来ましょうか!
玄宗は、
これは、朕の不明である。
後悔しても、どうしようもない。
と、慰め諭した。
(老人の配慮なのか?)突然、係りの者が御膳を持ってきた。
玄宗は、先に従者に食べるように命じた。
その後、召し上がった。
兵士たちには、村に散って食料を求めさせた。
未・ひつじの刻(午後二時)に集まり、出発した。
夜中に、金城県に着いた。
噂が伝わっているのか、また、県令が逃げ、民の皆も身一つで逃げていて、誰もいなかった。
飲食の食器も材料もあったので、兵士たちは、自分で料理した。
夜中、暗いので、従者の多くが逃げた。
宦官の袁思芸も、逃げ去った。
高力士に次ぐ地位にある者であった。
駅の中といえども、燈は無かった。
当時、灯りは高価で、特別な時でなければ点けなかったのである。
人は、お互いを枕に、いわゆる“雑魚寝”で寝た。
貴人も、賤人も区別がなかった。
李俶も、かつを隣に、家族とともに寝た。
食欲もなく、この二日で、随分やつれた。
これからは、自分がかつの世話をし、守らなければと、思った。
独狐氏は、武門の出なので、逞しい従者が付き従い世話をして、食料も調達し、食事も不自由してないようであった。
他の妃たちは、食事などの分け前に預かっているようで、いつの間にか、独狐氏が長のような立場になっていた。
ワイワイガヤガヤと、皆と少し離れた所での食事には、気分的に入って行けなかった。
蓮は、珠珠と、お互い顔を見ながら食べたいと、思った。
もう、出来ない。
暗闇の中では、いくら泣いても遠慮はいらなかった。
珠珠のいない感覚に、慣れなかった。
夜中、王思礼が、金城県を訪れた。
月明かりの中、庭に伏して待っていた。
玄宗は、今日一日で、自分の値打ちが、随分下がったように感じさせられていた。
皆、関わりを恐れるように、去っていく。
地に伏した男を見て、自分はまだ、“皇帝”なのだと感じた。
すぐに、立つように言った。
側にいるのは、高力士だけだった。
知らない顔なので、名前を聞いた。
王思礼との、事であった。
顔は知らなかったが、鮮明な記憶があった。
哥舒翰の言った言葉。
“信頼できるのは、王思礼のみ。”
あの男が、哥舒翰の言葉を裏付けるように、真っ先に礼儀正しくやって来た。
戦の報告をした。
敵は、すべて計算していたのです。
誰が指揮を取ろうと、結果は、変わらなかったかと。
そして、哥舒翰は、潼関に近い駅で、火抜帰仁に騙され、百人以上の部下に囲まれ、洛陽に連れて行かれたと。
各将軍に送った、手紙の話もした。
送った将軍たちは、声をかけても、話に乗るような人たちではないと。
わかっていて、手紙を送ったのではないかと。
李光弼など、昔からの知り合いで、どんな人物か知っていて、断られるのは解っていたはずだと。
これは大夫の策ではないかと。
玄宗は、聞いていて、言い訳に聞こえ無かった。
“王思礼のみ”
お互い、信じあっているのだと思った。
躊躇せずに、河西節度使、隴右節度使に任じた。
もし、候補者が多くいても、王思礼を選んだだろう。
哥舒翰の後任だ。
すぐに任地に赴き、散らばった兵士を集め、東を討つ時期を待つようにと、命じた。
賊軍が追って来ていて、襲われれば命が危ないと、こそこそと去っていく者が多い。
王思礼は、道で聞きながら、朕の後を追って来た。
戦の報告をするために。
確かに、信頼に足る者だ。
哥舒翰の推薦だからな。
あいつ、最期にいい仕事をしてくれた。