高仙之と封常清の死
玄宗は、親征(皇帝、自らが戦に出て指揮を執る事)を議論した。
十二月十六日、
皇太子を監国(君主が不在の時、太子が代行して国を治める)にする命令を下そうとした。
玄宗は、宰相・楊国忠に云った。
朕は、位に就いて、もう少しで五十年になる。
思い煩う勤めにも、飽きた。
去年の秋には、位を太子に伝えようとしていた。
だが、水害や旱魃があって、子孫に災いを除いて渡せなかった。
もう少し豊かにと当てにして、久しく留まってしまった。
突然、逆賊の蛮人が刃向かいだした。
朕は、本当に監国を頼んで、親征しようと思う。
事が収まった日には、朕は、まさに枕を高くして寝て、何もしなくていい。
聞いた楊国忠は、大いに怖れた。
御前を退いて、韓国夫人、かく国夫人に言った。
皇太子は、元来、我が一族が好き勝手をしているからと、嫌っている。
もし、一旦、天下を得たなら、我とそなたたちは、たちまち命がない!
三人は一つになって、哭き喚いた。
楊国忠は、二人の姉を使って、楊貴妃を説得させた。
楊貴妃に、口に土を含ませ、
陛下のお体が心配です。
だから、戦に行かないで下さい。
足元が悪くて怪我をするかもしれません。
寒い中、風邪をひくかもしれません。
何かあればと心配で、私は耐えられません。
心配の余り、私は死んでしまいます。
私は、陛下といつまでも、一緒に居たいのです。
私は、死にたくありません。
と、命乞いさせた。
親征の話は、取り止めになった。
顔真卿は、勇士を募った。十日程で、一万人以上になった。
安祿山を討つために、兵を挙げる理を、はっきり分かるように、涙ながらに教え導いた。
集まった皆は、感じ入り、奮いたった。
安祿山は、部下の段子光に、洛陽で殺した李とう、盧奕、蒋清の三人の首を、河北諸郡に見せしめのために持ち廻らせていた。
十二月十七日、
段子光は、平原にやって来た。
三人の首を見て、動揺が走った。
顔真卿は、“痛ましい”と、思った。
だが、皆の心を平静にするために、
これは、偽首だ!
と、云った。
そして、顔真卿は、段子光を斬らせた。
首は隠した。
三日後、首を取り出した。
首だけなので蒲で胴体を作り棺に納め、葬式をした。
安祿山は、海運使・劉道玄を景城の太守を兼ねさせた。
清池の尉・賈載と塩山の尉・河内の穆寧の二人が共に、劉道玄を斬った。
海運使の船、五十余りを得た。
劉道玄の首を携え、長史の李いに面会した。
李いは、安祿山の側近の厳荘の一族を捉え、皆、殺した。
劉道玄の首は、平原に送られた。
顔真卿は、賈載と穆寧、及び、清河の尉・張澹を呼んで、平原で計画を練った。
河間の司法・李奐は、安祿山の処の長史・王懐忠を殺した。
各々、数千、あるいは一万人が共に、盟主として顔真卿を推した。
軍事は、すべて、盟主・顔真卿が担う事となった。
高仙芝の東征に監軍、辺令誠がことごとく口を出した。
だが、高仙芝は、従わなかった。
辺令誠は、その事を上奏した。
高仙芝、封常清は、挫けて負け、乱れている状態であります。
おまけに、封常清は、賊軍を口実に、兵士たちを動揺させました。
なお、高仙芝は、陝の地を捨てました。
また、陛下から賜った兵糧を盗み、減らしました。
玄宗は、とても怒った。
十二月十八日、
即ち、高仙芝と封常清を、軍中で斬るようにとの、“勅”を、辺令誠に遣わした。
初め、封常清は、すでに負けたので、謝罪と賊軍との戦いの様子を綴った上奏文を、三度、使いの者に持たせた。
玄宗は、“言い訳だ”と、どれも見なかった。
封常清は、自ら、長安に向かおうとした。
渭南まで来た時、“勅”で、官職が削られ、高仙芝の軍に帰るようにと、された。
白衣(無位無官、庶民の服装)で、自ら誠実な態度を取るようにと命じられた。
玄宗は、封常清が賊に勝つと、大きなことを言いながら、負けた事に腹を立てているのである。
嘘を言ったと、怒っているのである。
封常清は遺書をしたためた。
臣が死んだ後、陛下は、この賊軍は、簡単に勝てる相手ではないと、知ることになるでしょう。
臣の言葉を忘れないで下さい!
朝議の時、
安祿山が、本心を失い、狂ったようになって、道に背いています。
と、された。
首を受け取る日は、来なかった。
封常清の言った通りであった。
辺令誠が潼関に来た。
先に、封常清を引っ張ってきた。
そして、“勅”を示し、読み上げた。
封常清は、辺令誠に、玄宗への書状を渡した。
封常清は、死んだ。
遺体は、筵の上に横たえられていた。
高仙芝が帰ってきて、話を聞いた。
辺令誠は、剣の使い手、百人余りを募り、その者たちを従えていた。
そして、高仙芝に言った。
大夫にも、陛下からの命があります。
高仙芝は、跪いた。
辺令誠は、“勅”を読み上げた。
高仙芝は云った。
我は、敵に会って、退いた。
死は、理にかなっている。
今、陛下は大地に立たれ、天を戴いています。
我が、陛下から賜った兵糧を盗み、減らしたと云うのは、則ち、“偽り”であります。
その時、兵士たちは、高仙芝の前にいた。
皆、大声で、“無実だ”と、叫んだ。
その声は、地を振るわせた。
高仙芝は、封常清の遺体に声をかけた。
公は、我が引き抜いた。
公は、我の代わりに節度使になった。
我は、公と一緒に死ぬ。
運命なのだなあ。
そして、斬られた。
高仙芝の後任には、将軍・李承光が着いた。