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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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哥舒翰、倒れる

天宝十四載二月、

隴右、河西節度使、哥舒翰が朝廷に参内した。

だが、挨拶は、

病気で体を悪くしたので、これからは、参内を免じていただきたい。

とのことであった。

哥舒翰は、酒が好き、音楽が好き、(これは玄宗から賜った楽団のおかげで、隴右の田舎に住んでもいても、楽しく過ごせていた。)女子が好き、で、不摂生な生活を送り、風呂で倒れ、風疾と診断されたのであった。

医者を求め、治療のために、都に来たのであった。

そのための、挨拶であった。

隴右節度使も、河西節度使も病気といえども、哥舒翰が、管理した。

隴右節度使には、王思礼がいたし、河西節度使には、裴冕がいて、安心して委せられた。

哥舒翰は、家に居て、門が開かれることはなかった。

治らない不治の病だと、云うことであった。

他人の助け無しには、動けなかった。

口は、ゆっくりだが、しゃべれた。

皆の憧れであったので、こんな姿を見られたくはなかった。

人前に出る気は、まるでなかった。

楽しみは、音楽だけであった。

四月、

安祿山が、“奚と、契丹を破った。”

と、上奏した。

蘇毘の王子悉若邏を、“懐義王”と、した。

名前を、“李忠信”と、賜った。


安祿山は、范陽に帰ってから、朝廷が使者を送るたびに、いつも、病気と称して、出迎えなかった。

戦の備えは、ちゃんとしており、後で、見せるようにした。

裴士淹は、范陽に着いてから、二十日あまり、安祿山に会えなかった。

また、臣下の礼はなされ無かった。

皇帝の使いは、皇帝の代理である。

それなりの礼を示さなければならない。

だのに、で、ある。

一方、長安では、楊国忠が、昼も夜も、安祿山の謀叛の証拠を探していた。

京兆府の長官を使って、安祿山の屋敷を囲ませ、安祿山の客、李起、安岱、李方来らを捕らえ、御史台の獄に送った。

そして、密かに、殺した。

安祿山の子、安慶宗は、皇室の娘、栄義郡主と婚姻することになっていた。

そして、都で、太僕卿として、供奉していた。

それなりに、知り得た情報を、秘かに、安祿山に報告した。

安祿山は、怒った。

厳荘を使わして、玄宗に、楊国忠の二十あまりの罪状を上奏させた。

あわてた玄宗は、京兆尹の李けんに、楊国忠のすべての罪を被せて、零陵太守に貶めた。

玄宗は、楊国忠を守ろうとしたのだ。

もちろん、楊貴妃のためである。

安祿山は怖れた。

六月、

玄宗は、子の婚姻があるので、見に来ないかと、招いた。

だが、安祿山は、病気を理由に辞退した。

七月、

安祿山は、

馬三千頭を献上したい。

と、上奏した。

一頭毎に、世話をする二人を付け、蕃将二十二人を、馬を無事に送るために、一緒に遣わす。

との事であった。

河南尹の達奚しゅんが、(二人掛ける三千は、六千人)長安城にこれだけの人間を送りこむとは、“何か乱があるのでは”と、疑った。

馬を進めるのは、冬まで待つこと、

そちらの軍を煩わすことの無いよう、世話をする者は、こちらが用意する。

と、安祿山に返事をするように、上奏した。

ここで玄宗は、ようやく、目が覚め、安祿山の意向に、疑惑を持ち始めた。

そんな時、輔ろう琳が安祿山から、賄賂を受け取った事が分かった。

玄宗は、他の事にかこ付けて、輔ろう琳を撲殺させた。

玄宗は、中使、ふう神威を安祿山の元に遣わし、

朕は、卿のために、新しい湯を一つ作った。

十月、華清宮で、卿を待っている。

と、書いた宣旨を持たせた。

会った安祿山は、寝台に寄りかかり、少し体を起こし、礼はせずに、

陛下は、お元気かな。

と、云った。

馬は、献上しない。

十月には、ちゃんと、都には行くから。

そこで、ふう神威は、左右の者に促され、宿舎に置かれた。

もう、会えなかった。

数日して、還された。

また、何の書状もなかった。

臣は、もう陛下を拝見することが出来ないと、思いました。

ふう神威は、玄宗を見上げて、泣いて、恐怖を語った。


一年前、天宝十三載(754年)九月、

玄宗は、勤政楼で、四科制で人を選ぶ試験をすることにした。

政策の他、詩賦各一首を提出する制度とした。

十四載、杜甫は、この機会を利用して、玄宗に、“三大礼賦”を献上した。

玄宗は、“奇なこと”とし、召して、集賢院で宰相に命じて、文章を試させた。

選ばれ、河西の尉に抜擢された。

だが、杜甫は、断った。

友・高適の詩を読んでいたからである。

拜迎長官心欲砕

鞭撻黎庶令人悲

(目上の人がくる度、恭しく挨拶しなければならないのは苦痛。命令で、時々民を鞭打たねばならないのも、悲しいこと。)

その時、高適は“尉”であったのである。

だから、河西の尉になれば、同じ思いをするだろうと、断ったのである。

任官できれば、何でも、いいわけではなかった。

すると、京兆の右衛率府冑曹参軍に任命された。

武器庫の管理である。

喜んで、拝命した。

杜甫、四十四才の時である。

杜甫は、新しい生活を始め、家を用意し、家族を連れて来ることにした。

十一月、杜甫は、奉先にいる家族を迎えに出掛けた。

だが、今までのように、うまくは事が運ばなかった。

杜甫が家族の元に着く頃、唐の国は、ひっくり返されたのである。




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