無理やりな徴兵
安祿山は、すでに三つの節度使を治めていた。
賞することも、罰することも、おのれが決め、日ましに驕っていった。
かつては、皇太子に拝礼をしなかった。
見れば、陛下は年をとり、心配性のようだ。
また、長安、宮殿の防備も怠っている。
中国の中心は弛んでいると思える。
節度使の孔目官(文章を査証することを司どる)の厳荘と、書記の高尚は、図讖、未来の吉凶を記した予言書を見て、しきりに謀叛を勧めた。
安祿山の誕生日は、宮廷では、一月二十一日としていたが、本当は、一月一日、元旦なのだ。
お目出度い日なので、やっかまれないよう、違う日にしていたのだ。
(安祿山の母親は突厥の巫女であっ
たが、なかなか子に恵まれなくて、
軋犖山の神に祈って身ごもったと
云う。生まれた夜は、あたり一面
に赤光がきらめき、おびただしい
獣が咆哮したという。そんなこと
を聞かされ育った安祿山は、自分
が普通ではなく、特別だと密かに
思っていた。)
普通とは思えない出生の話を知った厳荘と高尚は、それから、謀叛を口にするようになったのである。
だが、聞いて、悪い気はしなかった。
唐を簒奪して、主となる。
祿山が、皇帝?
ありかも、
王朝の名を、考えなくては。
安祿山は同羅と奚、契丹の投降者八千人ほどを養っていた。
“曳落河”と言った。
この曳落河は、安祿山の養子であったとされている。
かつて、安祿山も、范陽節度使・張守珪の養子であった。
曳落河とは、蛮族の言葉で壮士である。
および、家僕が百人程いた。
みんな強くて勇ましく、良く戦った。
一人で百人と戦える程だった。
また、戦用の馬数万匹を飼っていた。
そして、多くの武器を揃えていた。
蛮族と商売するため、各方面に人を遣わした。
年ごとに珍しい財宝が数百万緡分、送られて来た。
商売は順調といえた。
緋、紫の袍、魚袋を作った。
あわせて、百万緡かかった。
準備は万端であった。
あとは、時を待つだけである。
このことは、高尚、厳荘、河東節度使を委せた張通儒、将軍孫孝哲、側近四人しか知らなかった。
他の、史思明、安守忠、李帰仁、蔡希徳、牛延かい、向潤容、李庭望、崔乾祐、尹子奇、何千年、武令しゅん、能元こく、田承嗣、田乾真、阿史那承慶たちは、安祿山にとって、護衛程度の者であった。
范陽郡に雍奴の者がいた。
本名は不危といい、言葉についてすこぶる知識があった。
河北の地あたりで、少ない給金で働いていたので貧しく、志を得ていなかった。
高不危はまさに、大事をなして死ぬ。
草の根が生きようと土に食い込むようにだ。
常にそう言って、嘆いた。
安祿山は、高不危を節度使に置いてやり、寝室に出入りさせた。
節度使は兵の出入りが激しく、五月蝿く、昼、学べる環境では無かった。
だから、夜、安祿山の寝室で一晩中起きて、灯りの元、学問をした。
安祿山は暗殺を恐れることなく、安心して眠ることが出来た。
二人は、親密になった。
この男が名前を変え、高尚となる。
高尚には朝廷に提出する文書を委せ、厳荘には簿書を委せた。
孫孝哲は、契丹人であった。
田承嗣は、世にいう、盧龍の地の小人物であった。
安祿山は、先鋒の兵馬使として使っていた。
ある大雪の日、安祿山はいくつかの、軍営を見てまわった。
田承嗣の軍営に着くと、ひっそりとして、誰も居ないようであった。
中に入いると、兵士は全員揃っていた。
居ない者は、一人もいなかった。
安祿山は、田承嗣が部下をきちんと指導していると、分かった。
大切なことだと思った。
軍人は、上意下達が基本だ。
たとえ、上の者が、謀叛を起こしても、自分の気持ちに関わらず、下の者はその意に従わなければならない。
思いがけず、田承嗣を見直した。
昨年、南詔で、雲南太守、張虔陀が閤羅鳳に殺された。
それまで、張虔陀は南詔王の罪を偽って何度も上奏していた。
だから、それを信じた玄宗は怒り、剣南節度使の鮮于仲通に、閤羅鳳を討つように命じた。
天宝十載(751年)四月
鮮于仲通は、八万の兵を率いて、みずから戎、けい州に出陣した。
道は、二つに別れていたから、兵も分け、戎州から、曲州、靖州に進んだ。
閤羅鳳は、使いを遣わして、
願わくば、得たところのもの(姚州と小夷州おおよそ三十二)と新しく得たもの、そして、姚州の城を返しますから、許して欲しい。
と、頼んだ。
だが、玄宗の怒りを知っている鮮于仲通は、閤羅鳳の願いを聞き入れなかった。
それでは、南詔は吐蕃に帰順することになります。
雲南は、唐の物ではなくなります。
鮮于仲通は怒った。
使者を捕らえた。
そして軍を進め、西び河に着いて、閤羅鳳と戦った。
唐軍は、大敗した。
下士官、兵士、六万人が死んだ。
鮮于仲通は、かろうじて死を免れた。
楊国忠は、その敗戦を覆い隠した。
鮮于仲通を推薦した自分にも、責任はあるのだ。
そして、勝ち戦と報告した。
六万人も死んでいるのにだ。
玄宗が信じたら、済むことだ。
都合が悪くなったら、楊貴妃に取り成してもらおう。
誰が、楊国忠の話を否定すると云うのか?
誰もいないだろう。
閤羅鳳は、戦死者を墓に葬った。
京観、武功を示すために、敵の死体を積み、その上に、土を高く盛った塚を築いた。
遂に、臣・南詔は、唐に背いて吐蕃に付いた。
蛮族の言葉で、弟を“鐘”と言う。
吐蕃は、閤羅鳳を“賛普鐘”と、命名した。
号は“東帝”とし、金印をくれた。
閤羅鳳は国門に碑を刻んだ。
閤羅鳳は云った。
私は唐に対して、謀叛を起こさざるを得なかった。
これまでの私の人生は、唐の世界にあった。
爵に封じられた。
誇りに思っていた。
後の世で子孫が、唐に再び帰ることを赦して欲しい。
唐の使者に碑を指さして、
私が謀叛をおこしたのは、本心からではないと分かって欲しい。
と云った。
皇帝の命により、南詔を討ち滅ぼすために、長安、洛陽、二つの都、そして、河南、河北で大勢の兵士を募った。
人々は、南詔では、熱病が多いと聞いていた。
兵士は、戦う前に、十人中、八、九人が熱病で死ぬと云う。
募集に応じる者はいなかった。
楊国忠は、区画に分けて、役人を遣わし、人を捕らえた。
枷を付けさせ、何人も連ねて、近くの軍営に送った。
旧の制度では、百姓で手柄のある者は、労役は免除された。
しかし、楊国忠は、
人が集まらないので、制度を変えます。
と、上奏した。
手柄があろうとなかろうと、民は兵士にされた。
ここにおいて、出征する者は、悲しみ恨んだ。
父母妻子は家族を兵士として送らざるを得なかった。
至るところで、哭き声が野を覆った。
これによって、楊国忠は、蜀だけでなく、国中の怨嗟の的となった。
いらっしゃい。
お久しぶりね。
どうしたの?
なんか、疲れているみたいね。
そうなの。
門から、ここに着くまでに、報告がいくみたいで、崔氏が現れて嫌味を言うの。
崔氏、丹が楊一族に嫁いだから、自分の味方になって、にいにいとの間を取り持ってくれると思ってたみたい。
でも、丹、珠珠と仲がいいから、当てが外れたみたいで、一人で怒っている。
だから、嫌味がきついわ。
家では、母上に見張られているし、丹、嫌になる。
疲れるはずよね。
今、楊一族は、農民に嫌われ、憎まれているの。
知ってる?
徴兵の事ね。
楊一族で恥ずかしいわ。
こんな時に、身籠るなんて。
丹、幸せじゃないのに、佳い子、産めるかな?
ご主人の柳潭、なんて云っているの?
丹の事は、大切にしたいって。
でも、母上と対峙するような事があると、味方になれないって。
うちは、潭、父上がいないから、楊一族の世話になっている。
母上も、かく国夫人の云いなりなの。
潭は、乳母の事、“丹のやりたいようにしたらいい。”って云ってくれてたけど、かく国夫人に知られて、そんな庶民のようなみっともないこと、許せないって、叱られて。
それで、ダメになったの。
だから、柳家の決定権はかく国夫人が持っているの。
母上も、自分の意見は、もう云わないわ。
かく国夫人の意向次第だから、云っても無駄なの。
いい事か、どうだか、よくわからないけど、潭、自分の出来る範囲で丹を大切にしたいって。
条件付きなのよ。
郡主で自分より、身分の高い丹の気分を害したくないから、側室は置かないって云ってる。
腹が立つことがいっぱいあっても、そんな風に云われたら、楊鑑なんか、承栄公主、万春公主、二人の公主を娶っているのを見ると、“まあ、あれよりは、ましか、”と思ってしまう。
今、身籠っている。
歓んでくれた。
それだけで、嬉しかった。
また、名前を考えなくてはいけないわ。
長男は、丹が考えたの。
丹は、正室だから、あっ、ごめんなさい。
珠珠、にいにい、珠珠を正室にしたかったのよ。
今は、そうじゃないけど、最後、にいにいの気持ちが優先されるようになると、珠珠が正室になるわ。
にいにいを、信じて。
潭が云うの。
いつも、思うようにさせてあげれないから、名前くらい、丹の好きに委せたいって。
丹の母上も正室じゃなかった。
でも、父上は王府に帰らず、ずっと母上の側にいた。
ても、あとで思うと、遠慮がちだったわ。
だから、我が子には、日を付けたかったの。
心を縛る“なにか”に、こだわらなくていいように。
お日様の下で堂々と、生きてほしいから。
楊国忠の四人の息子も、日が付いているの。
後で、文句を言われて、せっかく付けた名前を変える羽目にならないように、“あやかりたくて、日を付けたい。”って、潭に云わせたの。
楊国忠、気分よく、いいって。
だから、楊国忠の息子の名前は日が左横に付いているけど、丹の長男の名前は日が上に付いているの。
知っての通り「晃」よ。
昇平も、日が付いているのね。
昇平は、義父上の最初の名前、嗣昇にあやかったの。
知らなかった?
そうだった。
思い出した。
丹、今、同じように、日が上に付いている字を考えているの。
晶は、ダメって。
旱魃になると、日が三つも付いているお前のせいだって、云われるからって。
長安では、泣いている人なんていないよね。
居るのは、商人やら、役人ばっかりだから。
兵士になるのは、お金を払えない農民ばかり。
だから、田や畑、野原で哭き声がするんだね。
楊国忠みたいに、陛下の信頼をあてにして、騙したりしてたら、どうなることか、怖い。
それに、民まで巻き込んで。
楊一族を不幸に導くようで、楊国忠が憎い。
だって、丹の子は楊一族なのよ。
丹は、潭と、別れたら、楊一族から離れられる。
でも、晃も、お腹の子も、秦国夫人の孫、楊一族なの。
こんな不実なこと、許される訳ないわ。
丹・・怖い。