標的・楊慎矜
戸部侍郎兼御史中丞、楊慎矜は玄宗の信頼が厚いので、李林甫はだんだん目障りになってきた。
楊慎矜と王きょうは、王きょうの父親が従兄弟同士だったから、二人は馴れ馴れしくしていた。
王きょうが朝廷で仕事をするようになっても、楊慎矜は引き立てるようにしていた。
王きょうは同じ中丞になってからも、楊慎矜と話すと、前のように呼び捨てにされた。
王きょうは李林甫とうまく付き合っていたから、李林甫を頼みに思っていた。
少し不平を洩らした。
口に出すといろいろ思い出された。
さすがに、他人には口にしなかったが。
楊慎矜はかつて、王きょうの職田を奪ったことがあった。
王きょうの母は卑しい出であった。
だのに、楊慎矜はその事を人に話した。
王きょうは、母親の事については、深く恨んでいた。
だが、そんなことを知らない楊慎矜は、親戚だからと、なお王きょうを信じていた。
楊慎矜はかつて予言書のことについて、王きょうに話したことがあった。
今、楊慎矜は方士、史敬忠と仲がよかった。
楊慎矜は、史敬忠にいまに天下が乱れるから、臨汝山に別荘を買い避難所としたらいいと、勧められた。
そんな時、楊慎矜の父親の墓や田の草木が皆、血を流した。
楊慎矜は、嫌な予感がした。
そこで、史敬忠に相談した。
史敬忠は、厄払いをしてくれた。
道場を造り、楊慎矜は、仕事が終わると、その中で罪人でもないのに、裸で手枷、足枷をして自らを罰した。
そうして、謹慎したのであった。
十日程で、血は止まった。
楊慎矜の徳であった。
楊慎矜は、明珠という奴婢を持っていた。
明珠は美しかった。
だが、罪を犯した。
殺そうとしたら、史敬忠が
売ったらお金になるから、それで、牛を買ったらいい。
と、言った。
史敬忠の言葉だから、従った。
次の日の朝、市で売った。
買ったのは、楊貴妃の三番目の姉、柳氏であった。
柳氏は、明珠を連れて入宮した。
玄宗は明珠の利口なのを気に入り、側近として使った。
ある時、玄宗は身の上を尋ねた。
明珠は、
楊慎矜の家から売られました。
と答えた。
奴隷を売るなんて、楊慎矜は金に困っているのか?
玄宗は尋ねた。
罰で殺されるところでしたが、史敬忠のおかげで、助かりました。
仙術に関心がある玄宗は、史敬忠の名前を知っていた。
だから、いろいろと聞いた。
明珠は、毎晩、庭に座り天を見て星占いをする事、厄払いの事等を話した。
玄宗は、天子でもないのに天を占うなどと、楊慎矜の事を悪く思った。
腹をたてていたが、口には出さなかった。
明珠は、楊家の縁故で宮中にいたので、楊しょうとも親しく語らった。
玄宗のことを聞かれたので、楊慎矜の話をした。
楊しょうは、王きょうと仲がよかったので、楊慎矜の話を教えた。
王きょうは、大喜びした。
そして、その事で、楊慎矜を侮辱した。
楊慎矜は、怒った。
李林甫は、王きょうと楊慎矜の間に溝があると知り、楊慎矜を追い落とそうと、王きょうを誘った。
李林甫は、楊慎矜の能力を忌々しく思っていたし、また、宰相になるのではと心配していたので、この機会を喜んだ。
王きょうは、
楊慎矜は隋の煬帝の子孫で、狂人と付き合い、家には予言書があり、隋の復興を企んでいる。
と、人を使って噂させた。
玄宗は激怒した。
楊慎矜を牢獄に入れ、刑部、大理寺と、御史楊しょう、殿中侍御史、盧げんに取り調べを命じた。
太府少卿、張せんは、楊慎矜の推薦で今の地位を得ていた。
盧げんは、張せんに“楊慎矜と予言の話をした。”と嘘を言うようにと、あらゆる拷問をしたが、張せんは引き受けなかった。
目や鼻から出血するような拷問もしたが、張せんは拒んだ。
李林甫は、洛陽にいる楊慎矜の兄と弟、汝州にいる史敬忠を捕らえるように吉温に命じた。
いつも、盧希せきが出かけるので、今回は私に行かせて下さい。
と、吉温が希望したのであった。
吉温は、李林甫に気に入られ、側に控えるようになっていた。
長安の事案は扱ったが、遠くへは、盧希せきが出かけていたのである。
洛陽で、少府少監楊慎じょ、洛陽令楊慎名を捕らえた。
そして、汝州で史敬忠を捕らえる事になった。
実は、吉温は、史敬忠を昔から知っていたのである。
史敬忠は、吉温の父と仲がよくて、吉温も幼い頃、史敬忠によく抱かれたものだった。
捕らえる時、言葉は交わさず、鎖を首にかけ、頭に布をかぶせて、自分の乗る馬の前を歩かせた。
戯水に着くと、他の役人と話した。
史敬忠は声を聞き、吉温とわかった。
誰もいなくなってから、史敬忠は、振り返って七郎、証言するから、紙が一枚欲しい。
と、言った。
吉温は、応じなかった。
十里ほど行くと、史敬忠は切なそうに頼んだ。
そこで、木の下で、三枚の紙に皆、吉温の言う通りに書かせた。
史敬忠が書き終わると、吉温は
おじさん、これで大丈夫。
もう疑われない。
と、言って、立ちあがり、改めて拝礼をした。
史敬忠の書類が会昌に着いた。
玄宗は、会昌にある、華清宮に居たのである。
そこで、史敬忠の証言の書類を使って、楊慎矜の取り調べが始まった。
長安では、楊家の皆をひったてていた。
そして、予言書を探したが見つからなかった。
李林甫は、嘘がバレるとあせった。
盧げんを使って長安の家を捜す振りをして、袖の予言書を家に隠させた。
そして、探しだした。
書物は、会昌に運ばれた。
それを、楊慎矜に見せた。
楊慎矜は嘆いた。
私はこんな予言書は持ってない。
私の家にどうしてあるのだ。
私は死ぬのだなあ。
死を前に、楊慎矜は葦堅のことが思いだされた。
洛陽では、兄楊慎じょ、弟楊慎名が、自死を賜っていた。
史敬忠は杖刑百、楊慎矜兄弟の妻子は嶺南に流刑になり、張せんは杖刑六十の後、臨封に流される途中、会昌で死んだ。
嗣かく王巨は、謀議には参加してないが、史敬忠と面識があったとのことで、職を解かれた。
そして、南賓に置かれた。
連座する者、数十人であった。
勅旨を聞いたが、弟慎名は、いつも通りに振る舞い、姉に別れの手紙を書いた。
兄慎じょは、天を仰ぎ、合掌して自ら首を縊った。
見苦しい真似は一切なかった。
三司が、王忠嗣を調べた。
玄宗は
皇太子は、宮殿の奥深くにいて、外部の人と謀りごとなど出来ない。
デタラメだとわかっている。
ただし、王忠嗣は軍の功績を邪魔した。
裁かなければならない。
と、言った。
哥舒翰がやって来た。
そして、王忠嗣を救う為に、多くの財宝、金、錦で罪を償おうとした。
金持ちの哥舒翰は、まず金で話を着けようとしたのだった。
そして哥舒翰は、
もし、正しい道がまだあるなら、王公は濡れ衣では死にません。
亡くなるのなら、多くの償いはなんのためです
三司は、「王忠嗣の罪は、死に当たる。」と、玄宗に上奏した。
哥舒翰は、力強く冤罪をのべた。
そして、
己れの官爵をもって、王忠嗣の罪をあがないたい。
と、請うた。
寝ていた玄宗は、起きて、朝廷に入った。
哥舒翰の本気を知ったのである。
哥舒翰は、泣きながら、
「王忠嗣の罪を赦して下さい。」と、言い、頭を床に打ちつけながら、玄宗の後に付いていった。
玄宗は、心打たれ、目をとじた。
しばらく後、王忠嗣は死刑ではなく、漢陽太守に貶められた。
哥舒翰は、かつて自分が人を殺した時、ちゃんと話を聞いて、事情を知り、降格だけで済ませてくれた王忠嗣に、感謝していたのである。
殺人を犯した罪人として、殺されてもおかしくなかったのである。
哥舒翰は命の恩を返したのである。