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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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石堡城

玄宗は、

開元二十九年に吐蕃に奪われた石堡城を、そなたに取り返してもらいたい。

と、王忠嗣に言った。

王忠嗣は、

石堡城は、堅固で、吐蕃は国を挙げて守ろうとするでしょう。

今、我が国の兵は城の下で苦しんでいます。

数万の兵が死ななければ、城は手に入らないでしょう。

死ぬ人にくらべ手に入るものが、割りに合わないのではと思えます。

兵や馬も怪我をします。

と言った。

玄宗は、心よく引き受けなかったその言葉に、気を悪くした。

将軍、董延光はみずから

石堡城を取りたい。

と、兵を請うた。

玄宗は、王忠嗣に

兵を分け、助けるように、

と、命じた。

だが、王忠嗣は詔の玄宗の言葉に従わず、董延光がして欲しいと思うようには、力を尽くさなかった。

董延光は、王忠嗣を恨んだ。

河西兵馬使の李光弼が、董延光があちこちで喋る王忠嗣の悪口を聞いて、急いでやって来た。

大夫は兵を大切に思っています。

だから、董延光が成功しないように思っています。

だけど、詔に書かれている約束事、時期が迫っています。

董延光の働きを邪魔して、どうなさるのですか?

数万の兵たちは、昇進もしないし褒美も貰えません。

兵たちは、力を尽くす事で、安定した地位を得たり、認められたりしたいのです。

それに、これは皇帝陛下の御意向なのです。

董延光は、今回功績がありません。

必ず、大夫のせいにします。

軍府は豊かです。

褒美に頂いた数万の錦を渡して、どうして董延光の悪口をやめさせないのですか?

と、言った。

王忠嗣は

今、数万の兵で一ツの城を奪い合っている。

そして、いまだに敵に勝っていない。

だが、城を手に入れなくても、我が国はなにも困っていない。

だから忠嗣は、あの城を欲しいと思わないのだ。

今に皇帝陛下に罰を受けるだろう。

金吾将軍、羽林将軍、私には立派すぎて、一兵卒になるだろう。

黔中の上佐も、立派すぎる。

忠嗣は、数万人の命を一武官の命と代えようとしているのだ。

数万の兵には、数万の家庭がある。

数万の家庭には、それぞれ子どもがいる。

忠嗣は、父親のない子どもを作りたくないのだ。

李将軍、そなたは誠に私のことを大切に思ってくれているのだな。

しかし、私の心は決まっているのだ。

もう言わないでくれ。

と、言った。

今、大夫は古の立派な人の行いをしようとしています。

光弼は、とても及びません。

李光弼は、泣きながら去った。





董延光は、約束の時期がすぎても城を落とせなかったから、

王忠嗣が計略の邪魔をした。

と、玄宗に言った。

玄宗は怒った。

一方、李林甫は済陽別駕の魏林に、

王忠嗣は、幼い頃宮中で育てられたので、忠王、今の皇太子と馴れ親しんでいると、かつて言っていました。

そして、皇太子を尊奉するので兵を持ちたいとも、言っていました。

と、上奏させた。

魏林は、以前に朔州刺使であった。

同じ時期、王忠嗣は河東と朔方節度使だったので、接触があってもおかしくないと考えた、李林甫の策であった。

王忠嗣は入朝するようにとの、玄宗の命を受けた。

そして、王忠嗣に関する、魏林の上奏を調べるため、王忠嗣は三司に委ねられた。

王忠嗣にとっては、思いもかけないところから伸びた“魔の手”であった。

俶は、皇太子に呼ばれた。

部屋に入ったとたん、隣に座るように言われた。

張良ていにも侍女たちにも、部屋からでるよう、命じた。

父上、一体、何事ですか?

王忠嗣の事は知っているな?

はい、小さい頃、遊び相手として世話して貰ったとの事でしたね。

その王忠嗣が、皇太子を尊奉している。

「だから、兵を持ちたい。」と、言ったと上奏されて、今、三司で取り調べを受けていると言う。

あの者が、そんな事を言うわけがない。

いよいよ、しゃべらん奴で、まして、魏林なんて親しくもない者に、皇太子に関る話をしたなんて、信じられん。

忠嗣、私のまき添えで嵌められたように思える。

申し訳なくてな。

どうしたら、いいと思う?

父上、今回も我慢して下さい。

下手に、口を突っこむと、やっぱり繋がっていると疑いが深まり、もっと拷問されます。

何もしないことが、お互いのためなのです。

父上、皇太子に絡んだ事案は、陛下もなにもしない訳には、いかないのです。

太宗様の時代でも、皇太子が廃位される不安から、謀反を起こしましたね。

皇太子だから、いずれ皇帝になるから、謀反を起こさないとは言えないのです。

唐王朝でも、あったことです。

だからこそ、皇太子である父上は我慢して、何にもしないでじっとしていて下さい。

それが、王忠嗣の為なのです。


玄宗は、ここ最近、隴右節度副使、哥舒翰の名を、麦畑を守った男として聞いていた。

その時は、“牧歌的な話”と、笑った。

華清宮に召して、会ってみた。

話すと、知識も豊かで、愉しく過ごせた。

十一月、哥舒翰を西平太守、及び隴右節度使とした。

朔方節度使、安思順を武威郡事と、河西節度使とした。

王忠嗣がいなくなったので、二ツの節度使の後任人事をしたのであった。




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