標的・王忠嗣
天宝六年(747年)
玄宗は、天下に学識のある者を求めた。
一芸に通じている者に長安に来るように命じたのである。
玄宗は、李白のような者を探したかったのである。
長安を去らさせてから、三年程たつ。
玄宗は、李白を手離したくなかった。
毎日、宴会をするような生活である。
あの頃は、宴会の途中でも、なにか楽しいこと起こすきっかけに、李白を呼んだ。
李白は、すでに街の居酒屋で呑み、へべれけでやって来た。
だのに“詩を詠め、”と言う命に、ろれつの回らない口で、新鮮な言葉を紡いだ。
いつも、満足させられた。
だから、へべれけで担がれてやって来た李白にヘドを吐きかけられても、詩を早く聞きたくて、怒らなかった。
当然、罰せられる事を数えきれない程やらかした。
だが、笑ってすませられたのである。
李白の詩をみれば、許せたのである。
だが、朕が許しても、李白は高力士を怒らせたのだ。
酔って、高力士に靴を脱がさせたのである。
高力士は、宦官ではあるが、幼い時、拐われて、男子でなくなったのである。
立派な身分になり、捕らわれた地で親を探した。
その地方の酋長の一族の身内だとわかった。
母親が四十年以上も前の子供の衣を取り出し、
「あの子が好きだった衣です。」と、見せたそうだ。
出世した今、身内になりたがる者も多い。
だから、あまり、期待せずに会うようにしていたようだ。
だが、衣を見て、涙が出たそうだ。
見覚えがあったのである。
自分の出自を知り、より自負心を持ったようだった。
だから、李白の態度は(宦官だからと、見下したような態度は)高力士には許せなかったのだ。
李白の詩は楊貴妃の美しさを詠んだものが多い。
高力士は、李白の詩の欠点を探した。
李白は、詩の中で楊貴妃を、前漢時代の皇后、“趙飛燕”にたとえていた。
美人で有名だ。
楊貴妃は、その詩を気に入っていた。
だが、趙飛燕はもともとの身分は低くかった。
高力士は、その事を楊貴妃に教えたのだ。
その事を聞き知り、楊貴妃はそんな身分の低い女子と比べられた詩を嫌った。
そして、その詩を詠んだ李白も、楊貴妃は“嫌い”と言った。
朕は、李白は好きだが、仕方なかった。
李白には、これからも、酒を遠慮なく呑めるよう、多めの餞別を渡した。
李白は、去った。
長安から、出ていったのだ。
もう、逢うこともないだろう。
皆、あれから、何事もなかったように、過ごしている。
だが、朕は、前のようには、楽しく過ごせない。
だから、第二の李白を求めているのだ。
天下に求めたのだ。
必ず、現れるだろう。
この空しさが無くなることが嬉しい。
李林甫は、選ばれた在野の知識人が、玄宗に、自分の悪業を訴えるのではないかと、畏れた。
だから、提言した。
応じる者の多くは賎しく、愚かな者です。
御耳を汚す恐れがあります。
だから、郡県の長官に命じて難しい試験をさせます。
そして、その試験を通った者の名前を送らせます。
都での試験は担当の部署に委せて、通った者の様子は次官に上奏させます。
しばらくして、詩、賦、論の試験をした。
が、通った者は一人もいなかった。
李林甫は、誰も受からないように細工したのだ。
李林甫は、玄宗に
在野には思うような立派な人はいませんでした。
と、上奏した。
玄宗は、ひどく落ち込んだ。
この試験は、杜甫も受けていた。
何度も科挙の試験に落ちていた杜甫は、李林甫のせいで、また落ちたのである。
范陽、平盧節度使、安祿山は御史大夫の職も授けられた。
安祿山は太っていて、腹は膝まで垂れていた。
かって、重さは三百斤あると、自分で言っていた。
外見は愚直そうだが、中身はずる賢かった。
常に、部下の劉駱谷を都に留めて、朝廷の動向を調べさせ、報告させていた。
朝廷になにかあれば、駱谷がすぐに書状を代作してとどけていた。
毎年、奴隷とする俘虜、いろいろな家畜、変わった獣、珍しい物、進奉が絶えることなく道を通った。
通り道の郡県の輸送の部署は大忙しであった。
玄宗の前で、安祿山の応対は機敏でよく冗談を言った。
玄宗は、かつて、腹を指差し、
このえびすのお腹には、なにが入って大きいのか?
と、聞くと、
他になにも入っておりません。
真心だけです。
と、答えた。
玄宗は喜んだ。
また、皇太子に会ったところ、安祿山は挨拶をしない。
左右の者が挨拶をするように言うと、安祿山は立ったままの略式の挨拶をした。
私は胡の人間、朝廷の儀礼は知りません。
皇太子とは、何の官ですか?
玄宗は
これは世嗣ぎの君で、朕の亡くなったあと、朕に代わりそなたの君になる者だ。と、言った。
安祿山は
私は愚かです。
前から知るお方は陛下、ただ一人。
世嗣ぎの君がいらっしゃるとは知りませんでした。
それから、拜礼をした。
玄宗はますます好ましく思った。
ある時、玄宗は勤政楼で宴会をした。
普通の臣下は楼の下に席を連ねたが、一人、安祿山は玄宗の座る東側に、金の鶏を書いた衝立を設け、その前に榻の座椅子を置いて、そこに座わらせた。
臣下の扱いではなかった。
そして、楊銛、楊き、楊貴妃、その姉たちに命じて、安祿山の義兄弟とした。
安祿山は、宮中の出入りが自由に出来るようになった。
そして安祿山は
楊貴妃の子どもにしてもらいたい。
と頼んだ。
楊貴妃は安祿山の事を好いていた。
安祿山は胡旋舞が出来た。
安祿山の胡旋舞を見て、笑わない者はいなかった。
それは、お腹をかかえて大笑いするような滑稽なものであった。
太った体が安祿山の胡旋舞を独特なものにしていた。
胡旋舞は、小さな木の球の上に片足を乗せ、もう一方の足で地面をけり、ただ回る舞いである。
回るといっても、ものすごい速さで回るのである。
街の居酒屋などの、余興でも見られるものである。
西域から来た女子などが、披露している。
安祿山の胡旋舞は、その体の肉が回転とともに動きだすのだった。
腹まで垂れていた肉が回転に合わせて、早く回れば後ろにいったり、ゆっくり回れば後ろにいた肉が前に移動したり、体のあらゆる肉が速さに合わせて、同時に動くのである。
顔の頬っぺたも同じだった。
これは、肥満体ゆえの滑稽だった。
玄宗も楊貴妃も無心で笑えたのだった。
この舞いが安祿山の魅力の一ツでも、あったのである。
胡旋舞はできても、安祿山の胡旋舞は誰も真似ができなかったのである。
楊貴妃も玄宗と同じで、平穏な生活に道化のような安祿山の楽しい刺激を求めたのだ。
だから安祿山は、玄宗と楊貴妃の子どもになった。
玄宗が楊貴妃と一緒にいると、安祿山は、先に楊貴妃に挨拶をした。
玄宗は、
なぜか?
と、聞いた。
胡の人間は、母親を先に、父親を後にします。
と、答えた。
玄宗は、喜んだ。
玄宗は、単調な宮中の生活に、違う価値観を持ち込む安祿山を新鮮に思い、好いたのである。
李林甫は、王忠嗣の功名が日ごと、盛んになるので、宰相になるのではと、恐れ嫌った。
安祿山は、雄武城を造り、沢山の武器を貯蔵していた。
王忠嗣は安祿山に兵を貸して欲しいと頼まれた。
安祿山は、あわよくば旨いこと言って兵を返さず、自分の節度使のものにしようとしていたのである。
王忠嗣は早めに着いた。
安祿山はいなかった。
暇つぶしに、うろうろと見て歩いた。
そして、王忠嗣は、雄武城の武器を見たのだった。
王忠嗣は、安祿山を待たないで、兵を連れてそのまま帰った。
普通の節度使に置く量ではないと、判断したのだ。
謀叛に協力するような真似は、したくなかったからである。
帰ってから、
自分の判断をどう思うか?
側近の哥舒翰と李光弼に問うた。
二人の意見も、王忠嗣と似たようなものであった。
王忠嗣は自分の判断に自信を持った。
だから、玄宗に、
安祿山は必ず謀叛を起こします。
と、何度も進言した。
李林甫は、安祿山を悪く言う、王忠嗣をますます嫌った。
文官の節度使が宰相になるのを防ごうとする計画が、台無しになるからである。
節度使は文盲の蛮族に任せるべきなのである。
李林甫は計画を邪魔する者を、許せなかった。
李林甫の次の標的は、王忠嗣となった。
李林甫は、王忠嗣の悪口を、玄宗にいろいろと吹き込んだ。
玄宗もお気に入りの安祿山を悪く言われて、気を悪くしていた。
四月、
王忠嗣は河東と朔方の節度使を辞退した。
玄宗は許した。