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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
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王忠嗣

忠王が皇太子として立った時、李林甫が考えていた寿王とは違っていた。

だから、それまでの忠王に対しての態度を考えると、後で仕返しをされるのではないかと、畏れた。

そこで、いつも東宮に動揺を与えるようにした。

皇太子位から引きずり降ろすために、忠王の失敗を誘おうとしたのである。

韋堅は、皇太子妃の兄であり、皇甫惟明は忠王の友であった。

吐蕃を破った時、皇甫惟明は、長安に帰り、挨拶のために入宮した。

その時、すぐに李林甫の専横に気づき、普通ではないと思った。

だから、玄宗に会った時、やんわりと、李林甫を遠ざけるように言った。

李林甫はそれを知り、楊慎矜に皇甫惟明を秘かに調べるように命じた。


天宝五載(746年)

正月夜、忠王は東宮を出た。

韋堅と会い、皇甫惟明と会って、崇仁坊にある道観、景龍観の道士の部屋で、月を見ながらお酒を呑んだのである。

皇甫惟明を調べていた楊慎矜は、

忠王の縁戚である韋堅と、国境を守る将軍皇甫惟明が馴れ馴れしく付き合うのはおかしい。

と、李林甫に伝えた。

李林甫は

韋堅と皇甫惟明が共に皇太子を立てようと謀っています。

と、玄宗に上奏した。

韋堅と皇甫惟明は牢に繋がれた。

李林甫は御史中丞の楊慎矜と、同じく御史中丞の王きょう、吉温に取り調べを命じた。

王きょうは韋堅の取り調べをした。

だが、楊慎矜は身を引いてなにもしなかった。

誰だって、脅し、体を傷つける、取り調べなどしたくない。

王きょうは自分にだけに任せる、楊慎矜を恨んだ。

楊慎矜は王きょうの父親の従兄弟だった。

伯父さんのような立場の人である。

だのに、嫌な事を丸投げされたのである。

皇甫惟明は軍人なので、吉温が担当した。

玄宗は、

韋堅と皇甫惟明はその罪は明らかではないが、謀り事があったのではないかと、疑われる。

と、韋堅の罪を問うて、縉雲太守に貶め、

皇甫惟明は、

玄宗と李林甫の間を引き離そうとした。

と、播川太守に貶めた。

それまで皇甫惟明が担当していた、隴右節度使、河西節度使を王忠嗣に任せた。

王忠嗣は朔方節度使と河東節度使を担当していた。

王忠嗣は、四ツの節度使を任されたのであった。

王忠嗣は玄宗の信頼が厚かったのである。

王忠嗣の父親は、海賓と言って、太子右衛率であった。

開元二年(714年)の吐蕃との戦の時、先鋒をつとめ、おおいに敵をやっつけた。

だが、あまりに働き振りが見事なので、嫉妬され、味方の助けが得られず、討ち死にした。

その後、海賓の働きに乗じた唐は大勝した。

海賓の働きは大きかったのである。

その時、左金吾大将軍を賜った。

息子訓は九才、地に伏して泣いた。

たった一人の身内を失ったのである。

訓は、“忠嗣”の名前を賜り、宮中で育てられる事になった。

そして、当時四才の忠王の遊びの友とされた。

皇后のもとで育てられたのである。

大きくなると、口数の少ない剛毅な男になった。

いく重にも考えられた戦略を持ち、玄宗と兵法を論じた。

決まりにとらわれず、皆の意表を突いた。

玄宗は

必ず、良い武将になるだろう。

と、言った。

試しに、代州別駕とした。

あえて、なにも言わないようにした。

忠嗣は数騎で出兵した。

忠王は玄宗に

忠嗣は無理して戦う。

死ぬかもしれない、恐い。と、言った。

玄宗はすぐに召し戻した。

忠王は、王忠嗣を慕った。

永王が皇后の元に来た時、うまく対応出来たのは、王忠嗣のお陰だと思った。

自分が王忠嗣にしてもらったように、永王にしたのである。

十六年後、父海賓は安西大都護を賜った。



韋堅等が貶められて、左相・李適之は恐ろしくなり、みずから、暇な地位を希望した。

だから、太子少保となり、政事からは身を引いた。

その息子とうは、父親が大酒呑みだったから、よく客を招いていた。

だが、李林甫を怖れて、それからは、誰一人来なくなった。

李適之の後の宰相は、門下侍郎で、崇玄館大学士の陳希烈が任じられた。

陳希烈は老子、荘子の講義をして、神仙の符瑞を教えていた。

そして、玄宗に老子のことをいろいろ教えた。

玄宗は今度の宰相が大いに気にいった。

玄宗は神仙の事が大好きだったのである。

陳希烈はこだわりがなく、御しやすかった。

だから、李林甫は宰相にしたのである。

おおよそ政事は一切、李林甫に任せていた。

陳希烈は、ただ、“はい、はい。”と応じた。

昔から、宰相は午後一時半に朝廷を出るのが決まりだった。

李林甫は、

今日もなに事もなく、天下は平和です。

と、言って、午前十時に自分の屋敷に帰り、軍事などの決裁も自宅で行った。

陳希烈は、持ってこられた書類に名を記すだけであった。

なに事も李林甫の思うがままであった。


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