玄宗・母の死
陛下、寧王様がおいでになりました。
うう、
陛下、急な御用とはなんでございましょうか?
との、寧王の言葉に、
兄上、申し訳ない。
顔を見られたくないのだ。
背を向けたままで、話させてほしい。
陛下、何があったのですか?
今の朕の気持ちは、兄上にしかわからない。
誰が陛下の心を傷つけたのですか?
さっきまで、忠王がここにいた。
忠王が、なにか言ったのですか?
あの奴婢が、忠王の側女だが、
子の名を “蓮 ” と、呼ばせていただきたい。
と。
幼名としてだが。
上陽宮に、この一年住まわせてやった。
いつも、蓮の花を見ていたので、そう呼びたい。
と。
まあ、あすこなら蓮を見ていたでしょうな。
褒美を約束していたので、許した。
忠王が言うには、
側女は母親の棺に蓮の葉と茎を細かく切って干した物を入れて、体液が滲み出ないようにした。
と、
兄上、なんとも思いませんか?
忠王は、自分の祖母の死の事を知らないのですか?
寧王の声も鼻声になっていた。
玄宗が振り返った。
目が腫れ、泣いた様子が、明らかに見てとれた。
皇后が育てたから、わからない。
私達の母親は、奴婢よりも粗末な葬られ方をしたのだなあ、と思うと、辛くて、腹が痛いと、追い返した。
お気持ち、よくわかります。
この話は、兄上にしか話せない。
魂呼ばいしても、父上の陵に衣を置いても、体はこの洛陽の土の中に、放り込まれたままだ。
二人は、手をとり泣いた。
言えることは、一人じゃないのだけが救いだ。
二人の母親はおめかしして、笑いながら、手を振って出かけて行った。
母上、後で、新しい曲聞かせてあげる。
じゃあ、なるべく早く帰るから、待っててね。
それが最後の会話だった。
当時の周王朝の皇帝、武后に皇嗣の妻として、正月の挨拶に出かけたのだ。
それが、門番をしていた女の奴婢に、武后様の悪口を言っていたと、讒言され、殺されたのだ。
父上も、母親・武后の前でいろいろ聞かれたが、恐ろしくて、なにも言えなかったという。
門番の奴婢が父上の事をしつこく讒言したが、父上は普段通りの様子だったので、かえって怪しまれ、門番の奴婢が殺されたそうだ。
朕と寧王の母親二人は、“告密の制”の犠牲になったのだ。
遺体はどこに埋められたかわからないと、いう。
父上が帰ってきて、皆、なにも言わずに、三人で抱き合って泣いた。
父上だけが、時々、“すまない。”とだけ、言った。
玄宗の九才の時のことである。
父上は、いつも疑われないよう、宮殿からも出ず、ひたすら書を書いていた。
父上だって、馬に乗って、野山を駆けたかったと思う。
母親が恐ろしくて、何もできなかったのだ。
気の毒な父上だった。
武后様が亡くなり、中宗様が亡くなり、中宗様を殺した韋后を朕・李隆基が誅殺した。
父上が次の皇帝となった。
叡宗である。
皇太子を決める時、嫡長男である兄上・憲が朕に皇太子の座を讓ってくれたのだ。
自分はなにもしなかった。
と言って、
父上は、他の家では争うのに、我が家の子は仲が良いと喜んだ。
寧王・憲の母上は 粛明皇后と諡号され、恵陵に
朕の母上は昭成皇后と諡号され、靖陵に葬られた。
十八年目のことであった。
だが、父上が崩御された時、父上の陵で合葬されるのは、普通、次の皇帝の母親と決まっているという。
朕は、つい兄上の顔をみた。
申し訳ないと思った。
だが、父上は二人の母親を同じ陵にいれるように計らってくれていた。
異例の事だと思う。
招魂合葬の制がとられ、父上の遺体の側には左右に二人の皇后の衣が置かれた。
ただ、父上と母上の神主は太廟に置かれたが、兄上の母上の神主は、儀坤廟に置かれままだ。
必ず二人と一緒になれるよう、いつか太廟に置こうと思っている。
兄上には、“待って、”といってある。
私達は父上の自慢の、仲良し兄弟なのだから、