楊しょう(楊国忠)、登場
玉環と夫婦になって、もう五年だ。
いいかげん、ちゃんと封じなければな。
忘れてた!
高力士、寿王は、どうしてる?
お元気にお過ごしだとは、思いますが。
誰か、娶ったか?
いえ、なにも聞いておりません。
寿王に、嫁を取らせなければ。
まあ、側妻もいることだし、世話をする者が居なかったわけではないが、早く婚姻させなければ。
でないと、五年たっても、玉環のことをまだ言われる。
寿王の婚姻、急ぎなさい。
誰でもいいから、
そなたに委せたからな。
早くしてくれ。
寿王の婚姻がすまなければ、朕は、玉環を封じられない。
待った意味がない。
寿王のこと、早く片付けてくれ。
それがすんだら、玉環を封じるからな。
勿論、貴妃にだ。
七月、
寿王は、韋昭訓の娘と婚姻をした。
天宝四載(745年)
八月、
道士楊太慎は、貴妃に封じられた。
楊貴妃の父親、楊玄たんは兵部尚書に、
叔父、楊玄けいは光祿卿に、
従兄弟楊銛は殿中少監に、
従兄弟楊きには武恵妃の娘、太華公主を娶らせ、ふ馬都尉とした。
楊貴妃には、もう一人の従兄弟、というより、また従兄弟の楊しょうがいた。
楊しょうは、無学で無軌道な男だった。
だから、一族から、軽く扱われていた。
蜀で従軍して、新都の尉になった。
年期が終わったが、お金がなくて自分で家に帰れなかった。
新政に住むお金持ち、鮮于仲通がいつも、資金を提供してくれていた。
楊貴妃の父親楊玄たんは、蜀で、すでに亡くなっていた。
楊しょうはその家に出入りして、真ん中の娘と懇ろになっていた。
鮮于仲通はよく書を読み、才知があった。
剣南節度使である章仇兼瓊は、鮮于仲通を引き立て采訪支使にしていた。
腹心と思っていたのである。
ある時、章仇兼瓊は、鮮于仲通におもむろに言った。
今、私は、陛下によくしていただいているが、宮廷内に知り合いがいない。
必ず、李林甫に危ない目に会わされるだろう。
聞けば、楊貴妃様が、新しく寵愛されているという。
まだ、誰も取り入ってないようだ。
そなた、私に代わりに長安に行って、その家と結び付いて欲しいのだが。
そうすれば、私の悩みはなくなる。
私、仲通は蜀の人間で、いまだ都に行ったこともありません。
失敗するのではないかと恐れます。
今、あなた様のために求め得た人物がいます。
そこで、楊しょうのことを話した。
章仇兼瓊は楊しょうを呼んで、会った。
一応、見てくれは立派で、物言いも機敏である。
章仇兼瓊は大喜びして、すぐに、楊しょうを推官、観察使の属官とした。
行き来をして親密になると、都に春の貢納品のあつぎぬを献上する使いの者とした。
そして、別れぎわに、言った。
“ひ”にちょっとした物があって、一日の食費代位にはなるから、そなた、通る時に貰っておいたらいい。
楊しょうが、“ひ”に着くと、章仇兼瓊の使いの者が蜀の精巧な物や、美しい物などをたくさん渡してくれた。
お金にすると一万緡くらいあった。
楊しょうは、思ったより多くて、大喜びした。
昼夜をとわず先を急ぎ、長安に着いた。
貴妃の姉たちは、よい場所に立派な屋敷を賜っていた。
楊しょうは妹たちの家を廻り、蜀の物を配って言った。
これは章仇様が下さった物だよ。
その頃、真ん中の姉が、ちょうど寡婦になったところであった。
楊しょうは、その家に世話になることにした。
そこで、蜀の物産を二人で分けした。
そんなことがあって、日夜、楊貴妃の姉たちは玄宗に章仇兼瓊のことを褒めそやした。
そして、楊しょうが賭博が上手いと言って、玄宗に、引き会わせた
楊しょうは供奉官について、宮中に出入りすることを許された。
それから、改めて、金吾兵曹参軍の職を授かった。
李林甫は、李適之を嵌めた時から、韋堅のことを狙って、楊慎矜、王きょう、蕭けい、吉温、羅希せきたちと、策を講じていた。
韋堅は、問題になりそうなことを、まるでしなかったから、なおさら策を講じる必要があったのである。
韋堅は、陝郡太守と、江淮租庸転運使、銀青光祿大夫、左散騎常侍、江淮南租庸転運使、処置等使、御史中丞、封韋城男と、なっていた。
なんの収穫もないまま、帰ろうとした時、吉温が、そっと、声をかけてきた。
韋堅を苦しめたいのですね。
韋堅は、今、たくさんの職を得て、楽しく暮らしていますよね。
もう一ツ、立派な職を付けてあげたら、鼻高々ですよね。
なんで、そんな変なことを言うのだ?
どうせ落とすなら、高いところに登らせてあげましょう。
墜ちた時、痛さが増すように。
宰相様なら、高いところに登らせてあげることが、出来るでしょう。
その立派な地位は、前に兵部でやったやり方で、簡単に奪うことができます。
そして、そのついでに、他の職も、取り上げたらいいのです。
兵部でやったやり方なら、文句を言ってきた時、
「部下を管理、監督が出来ないのだから、仕方ないだろう。陛下に、言い付けたらいい。」と、返答できます。
自分の恥ですから、沈黙するでしょう。
李林甫は、マジマジと吉温を見た。
そなた、体がデカイから、“大男、総身に知恵が回りかね。”と、思っていたから、驚いた。
思いがけず、賢いのだなあ。
虎を縛り上げる人間とは、思えん。
いい考えだと思える。
蕭けい、羅希せきは、役にたたないから外そう。
これからは、我々と楊慎矜、王きょうだけで会おう。
気に入って、いただけましたか?
そなた、やはり、身内に宰相がいただけ、頭のまわり方が違う。
吉温は、つい揉み手をしていた。
武承嗣様の御宅に伺ったりしていましたから、いろいろ耳に入ってきていたのです。
子供心に世の中の裏を見知ったと、思ったものです。
拷問だって、武后様の時よりは、よほど緩いと思います。
いずれ、韋堅の件が片付いたら、なんらかの形で抜擢しよう。
ありがとうございます。
九月、
刑部尚書になっていた韋堅が、職を解かれた。
どういう訳か、玄宗に任じられていた全ての職も解かれた。
その職は、刑部尚書をのぞいてすべて、楊慎矜に与えられた。
韋堅は、失職したのである。
李林甫は、
命が遂行されてない楊慎矜には、刑部尚書までは、やれん。
と、吉温に言った。
韋堅は、玄宗に、なにも言わなかった。
けれども、皇甫惟明が玄宗を前に、李林甫の悪いところを口にし、韋堅の能力を褒めた。と、宦官からの情報がはいってきた。
皇甫惟明は忠王の友である。
おまえたちは“早く死にたい”と思えるような、死に方をしたいのだな?
私を怒らしたら、どうなるか、思い知れ!
いずれ、地獄を見せてやる。
李林甫は心に誓った。