広運潭、開通
三月、蓮は珠珠に、
今日は、叔父上の晴れ舞台の日だ。
遅れないように、早めに出かけよう。と、
声をかけた。
かつは、着替えはすんだかな?
今日も可愛いね。
いい男っぷりだ。
と、言って抱き上げた。
髪が、まだ結えていませんよ。
温、お願い。
侍女の温は、蓮からかつを受け取った。
さあ、最後の仕上げですよ。
と、まだ、多くない髪をまたたく間に整えた。
そして、若い夫婦を見て、
お似合いですね。
美男、美女で、見とれますよ。
と、建物の外まで、見送った。
外では、今日の運河の開通の日に、参加する妃たち三人が待っていた。
懐妊している妃が二人いて、疲れると体によくない、との事で、二人は欠席するのであった。
陛下より、遅れてはいけない。
俶は、急いだ。
一体、今日は、なんなのですか?
長安城の外に出るからな。
東側の一番北の門、通化門から出て、城壁に沿って北にしばらく行くと、春望楼がある。
そこまで、叔父上が運河を引いたそうだ。
完成したので、今日が、開通式なのだ。
陛下も、臨席されるそうだ。
望春楼を、外苑の中の望春亭と、勘違いしていた。
外苑の望春亭は二つあるのだ。
北望春亭と、南望春亭のな。
亭は、東屋みたいな物で、楼は、二階建て以上の建物をいうから、それだけで気がつくべきだった。
本当に、抜けているよ。
もう、たくさんの人が来てるね。
父上の傍にいかねば。
皇太子一族としてな。
かつに、外苑を見せたかったな。
私は、父上に連れられて、よくゾウを見にいったものだ。
今日は、城の外を見ることになる。
外苑には、また今度行こう。
動物もいるし、毬場もある。
多分、かつは、外苑が大好きになるだろう。
外苑は、回りを城壁で囲んでいる首都長安の北側にあるのだが、都、長安よりも広い敷地なのだ。
漢の時代の長安城が残っているが、周りを城壁で囲んだ故漢城の中にも、いくつかの建物が残っている。
故漢城も、外苑の一部なのだ。
西側にあって、この長安の城の城壁の一部として使われているのだ。
故漢城の城の城壁を、隋の長安城の城壁として使ったおかげで、隋は城の建築費を節約できたはずだ。
この長安城は、隋の文帝が造った城だと、知っているだろう。
唐は、隋にいろいろ恩恵を受けている。
運河もそうだしね。
文帝は、倹約家だった。
だから、故漢城も一部として、使ったのだろう。
所々に残っている東屋なども、風流を味わいたい時などは、楽しめる。
だが、ほとんどが、鬱蒼とした森の中だ。
兎や狐などが住む、自然のままの状態で置かれている。
漢が滅んだ時に逃げた獣などもいるから、危険な場所でもあるのだ。
漢も唐と同じで、珍しい動物などを貢がれていたからな。
ここは、歴代の皇帝たちが狩猟の場として、楽しんだ所だ。
なにも、遠くまで行かなくても、郊外の森と変わらない。
すべて管理されていると、感違いしないようにな。
外苑、禁苑とも言うが、東西南北に管理するための、監がおかれている。
司農寺の管轄だ。
管理はされている。
だが、伯父上は狩りをしていて、ここで大けがをされた。
獣に襲われたのだ。
よく出かけられていたから、油断もあったのだろう。
だから、うるさく言うのだ。
蓮には、かつがいるからな。
外苑に入る門からは、動物を飼っていたり、教坊があったりと、ちゃんと管理されている。
が、奥のほうは所々に、離れのような宮殿があったりで、そこは土壁で囲まれてはいる。
外苑も、すべて土壁で、囲まれている。
国境にまで土壁を作る、万里の長城の国だ。
外苑も、人が出入りするところは土壁で守られている。
獣が外苑の外に出ることはない。
だから、中はすべて自然だ。
川も流れている。
郊外の森と変わらない。
かつ、また外苑に行こうな。
母上の兄君韋堅が、江、淮租庸転運使として、さん水を長安城の東にある望春楼の下までひいて、潭を作ったのだ。
そして、渭水に掘った運河につないだ。
その工事は、華陰までの長い距離だったので、多くの人民を集めて掘らせたという。
だから、ずいぶんと恨まれたそうだ。
平和で繁栄している時代だ。
民に無理をさせた、煬帝の時代ではないからな。
だがこれによって、今まで渭水ぞいの永豊倉に置かれていた租米が、直接、長安の太倉に運ばれるようになった。
その日、玄宗は、新しい潭のある望春楼を訪れた。
韋堅は、新しい底の浅い船数百艘に地方の名を書いた札をあげさせ、船の上には特産物を積みあげ、見せるようにしていた。
そして、韋堅の部下である崔成甫が錦の半袖を着て、先頭の船に立ち、皆の衣装を揃えて、歌を歌わせた。
弘農が野に宝を得たよ。
弘農が宝を得たよ。
潭の裏には船がにぎやか。
揚州は銅器が多い。
三郎は殿に座って、得宝歌を歌うのをお聞きだよ。と、
着飾った美しい百人の女子が、役夫たちと声を合わせて歌った。
三郎とは、玄宗のことであった。
叡宗の三男だから、三郎と呼ばれていたのである。
そのような船が、広陵郡の船は錦、鏡、銅、海産物を、南海郡の船はタイマイ、真珠、象牙を積み、なん百艘、数里と続いた。
玄宗は、大喜びした。
派手で楽しい事が大好きだったのである。
韋堅は膝まずき、各郡の特産品の中で、軽くて高価な品を献上した。
その時、姉である、故恵宣太子妃も、玄宗に宝物を献上した。
弟を後押ししたかったのである。
また、さまざまな珍味を奉じた。
玄宗は、宴をたまわった。
山の方の高い土地に住む農民は上から見た。
農民は、たくさんの船を見るのは、初めてだった。
そして、船が連なって進むのもはじめて見たのである。
長安の民は驚き、呆れたのであった。
その潭は、玄宗によって“広運潭”と名付けられた。
一月後、韋堅は左散騎常侍の職を得た。
今日は、どうだった。
人が多くて疲れたわ。
でも、晴れがましい場にいられて、気分がいいわ。
かつ、面白かったか?
うん、と
言いながら、目が、時時、空ろになった。
小さい子だ。
疲れたのだろう。
早く、帰ろう。
さあ、皆、悪いけど、もう帰ろう。
かつがよく見えるようにと、前の方に行っていたのだ。
もっと居たい者は、父上と一緒にいるようにしてくれ。
後で、迎えにくるから。
私は、一度帰って、かつを寝させくる。
残る者は、私と父上のところに行こう。
母上にも、叔父上の事だから、お祝いを言ってくる。
じゃあ、珠珠、待ってて。
かつは、重いから、私が抱いているから。
蓮蓮、お祝い、珠珠も言わなきゃ。
義母上、立派な兄君で、自慢でしょうね。
じゃ、全員で、お祝いを言いに行こう。