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蓮華 代宗伝奇  作者: 大畑柚僖
112/347

広運潭、開通

三月、蓮は珠珠に、

今日は、叔父上の晴れ舞台の日だ。

遅れないように、早めに出かけよう。と、

声をかけた。

かつは、着替えはすんだかな?

今日も可愛いね。

いい男っぷりだ。

と、言って抱き上げた。

髪が、まだ結えていませんよ。

温、お願い。

侍女の温は、蓮からかつを受け取った。

さあ、最後の仕上げですよ。

と、まだ、多くない髪をまたたく間に整えた。

そして、若い夫婦を見て、

お似合いですね。

美男、美女で、見とれますよ。

と、建物の外まで、見送った。

外では、今日の運河の開通の日に、参加する妃たち三人が待っていた。

懐妊している妃が二人いて、疲れると体によくない、との事で、二人は欠席するのであった。

陛下より、遅れてはいけない。

俶は、急いだ。


一体、今日は、なんなのですか?

長安城の外に出るからな。

東側の一番北の門、通化門から出て、城壁に沿って北にしばらく行くと、春望楼がある。

そこまで、叔父上が運河を引いたそうだ。

完成したので、今日が、開通式なのだ。

陛下も、臨席されるそうだ。

望春楼を、外苑の中の望春亭と、勘違いしていた。

外苑の望春亭は二つあるのだ。

北望春亭と、南望春亭のな。

亭は、東屋みたいな物で、楼は、二階建て以上の建物をいうから、それだけで気がつくべきだった。

本当に、抜けているよ。

もう、たくさんの人が来てるね。

父上の傍にいかねば。

皇太子一族としてな。

かつに、外苑を見せたかったな。

私は、父上に連れられて、よくゾウを見にいったものだ。

今日は、城の外を見ることになる。

外苑には、また今度行こう。

動物もいるし、毬場もある。

多分、かつは、外苑が大好きになるだろう。

外苑は、回りを城壁で囲んでいる首都長安の北側にあるのだが、都、長安よりも広い敷地なのだ。

漢の時代の長安城が残っているが、周りを城壁で囲んだ故漢城の中にも、いくつかの建物が残っている。

故漢城も、外苑の一部なのだ。

西側にあって、この長安の城の城壁の一部として使われているのだ。

故漢城の城の城壁を、隋の長安城の城壁として使ったおかげで、隋は城の建築費を節約できたはずだ。

この長安城は、隋の文帝が造った城だと、知っているだろう。

唐は、隋にいろいろ恩恵を受けている。

運河もそうだしね。

文帝は、倹約家だった。

だから、故漢城も一部として、使ったのだろう。

所々に残っている東屋なども、風流を味わいたい時などは、楽しめる。

だが、ほとんどが、鬱蒼とした森の中だ。

兎や狐などが住む、自然のままの状態で置かれている。

漢が滅んだ時に逃げた獣などもいるから、危険な場所でもあるのだ。

漢も唐と同じで、珍しい動物などを貢がれていたからな。

ここは、歴代の皇帝たちが狩猟の場として、楽しんだ所だ。

なにも、遠くまで行かなくても、郊外の森と変わらない。

すべて管理されていると、感違いしないようにな。

外苑、禁苑とも言うが、東西南北に管理するための、監がおかれている。

司農寺の管轄だ。

管理はされている。

だが、伯父上は狩りをしていて、ここで大けがをされた。

獣に襲われたのだ。

よく出かけられていたから、油断もあったのだろう。

だから、うるさく言うのだ。

蓮には、かつがいるからな。

外苑に入る門からは、動物を飼っていたり、教坊があったりと、ちゃんと管理されている。

が、奥のほうは所々に、離れのような宮殿があったりで、そこは土壁で囲まれてはいる。

外苑も、すべて土壁で、囲まれている。

国境にまで土壁を作る、万里の長城の国だ。

外苑も、人が出入りするところは土壁で守られている。

獣が外苑の外に出ることはない。

だから、中はすべて自然だ。

川も流れている。

郊外の森と変わらない。

かつ、また外苑に行こうな。


母上の兄君韋堅が、江、淮租庸転運使として、さん水を長安城の東にある望春楼の下までひいて、潭を作ったのだ。

そして、渭水に掘った運河につないだ。

その工事は、華陰までの長い距離だったので、多くの人民を集めて掘らせたという。

だから、ずいぶんと恨まれたそうだ。

平和で繁栄している時代だ。

民に無理をさせた、煬帝の時代ではないからな。

だがこれによって、今まで渭水ぞいの永豊倉に置かれていた租米が、直接、長安の太倉に運ばれるようになった。

その日、玄宗は、新しい潭のある望春楼を訪れた。

韋堅は、新しい底の浅い船数百艘に地方の名を書いた札をあげさせ、船の上には特産物を積みあげ、見せるようにしていた。

そして、韋堅の部下である崔成甫が錦の半袖を着て、先頭の船に立ち、皆の衣装を揃えて、歌を歌わせた。

弘農が野に宝を得たよ。

弘農が宝を得たよ。

潭の裏には船がにぎやか。

揚州は銅器が多い。

三郎は殿に座って、得宝歌を歌うのをお聞きだよ。と、

着飾った美しい百人の女子が、役夫たちと声を合わせて歌った。

三郎とは、玄宗のことであった。

叡宗の三男だから、三郎と呼ばれていたのである。

そのような船が、広陵郡の船は錦、鏡、銅、海産物を、南海郡の船はタイマイ、真珠、象牙を積み、なん百艘、数里と続いた。

玄宗は、大喜びした。

派手で楽しい事が大好きだったのである。

韋堅は膝まずき、各郡の特産品の中で、軽くて高価な品を献上した。

その時、姉である、故恵宣太子妃も、玄宗に宝物を献上した。

弟を後押ししたかったのである。

また、さまざまな珍味を奉じた。

玄宗は、宴をたまわった。

山の方の高い土地に住む農民は上から見た。

農民は、たくさんの船を見るのは、初めてだった。

そして、船が連なって進むのもはじめて見たのである。

長安の民は驚き、呆れたのであった。

その潭は、玄宗によって“広運潭”と名付けられた。

一月後、韋堅は左散騎常侍の職を得た。



今日は、どうだった。

人が多くて疲れたわ。

でも、晴れがましい場にいられて、気分がいいわ。

かつ、面白かったか?

うん、と

言いながら、目が、時時、空ろになった。

小さい子だ。

疲れたのだろう。

早く、帰ろう。

さあ、皆、悪いけど、もう帰ろう。

かつがよく見えるようにと、前の方に行っていたのだ。

もっと居たい者は、父上と一緒にいるようにしてくれ。

後で、迎えにくるから。

私は、一度帰って、かつを寝させくる。

残る者は、私と父上のところに行こう。

母上にも、叔父上の事だから、お祝いを言ってくる。

じゃあ、珠珠、待ってて。

かつは、重いから、私が抱いているから。

蓮蓮、お祝い、珠珠も言わなきゃ。

義母上、立派な兄君で、自慢でしょうね。

じゃ、全員で、お祝いを言いに行こう。


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