序
開元十四年(726年)十月、
唐の皇帝玄宗は、汝州の温泉に逗留していた。
もう十日近くになる。
昨年は封禅もした。
この温泉は祖父高宗様もよく訪れたので、設備も整っている。
ただ、祖父は文武百官を連れてくることはあまりなかったので、少し手狭だ。
文武百官は、都で祖母武后様と政事に携わっていたのである。
毎日湯につかり、 酒を飲み 、女子と楽しくすごす皇帝を見れば、唐の世は安泰に見えるだろう。
長安には、多くの異人が訪れてにぎわっている。
だが北方では、いつ何がおこるかわからない。
祖母の武周時代、朕の十才すぎの頃、契丹が謀反をおこした。
その時、兵士が足りず、各地の罪人、官吏や庶民の家の奴僕までも集めて、兵士としたのだ。
兵士が足らないのだ。
均田制の租庸調に組み込まれている府兵制が、機能しなくなっていたのだ。
農民を募り報酬をあたえ、契丹を討伐させようとしたが、一年かかった。
おまけに、唐に侵入して、国土を蹂躙したのだ。
長城外の話ではないのだ。
貞元四年(630年)、
太宗様は東突厥を破った。
この時、東突厥に従属していた西北の部族の君長たちが、太宗様に蛮族の天子、“天可汗”の称号を献上したのだ。
太宗様・唐の皇帝は、蛮族の長になったのだ。
唐はこの時から、世界帝国の道を歩むことになったのである。
(世界帝国とは、多数の民族と異なる文化を合わせ統一的に支配する大国)
西北地方の蕃族の長・天可汗となった事で、その部族の土地が安全に通行出来るようになると、西の国との交易が盛んになった。
漢の時代から、絹や汗血馬などの交易はあった。
だが、安全とは云い難かった。
唐の、安全な交易の人気商品は、絹であった。
行路は、絹の道と呼ばれた。
長安は繁栄し、世界最大の都市となったのである。
唐は、かつての中国の王朝が蛮族の侵入を畏れ築いた、万里の長城を必要としない帝国なのだ。
ただ、東北だけは別だ。
いつも、唐から利益を得ようと、狙っている。
あれから七十年近くたったからといって、契丹に国土の侵入を許すなんてと、太宗様があの世で怒っていることだろう。
戦場は、長城あたりまでにして、国土は守らねば。
玄宗は、思いだし笑いをした。
高力士が含みのある表情をして、声をかけた。
洛陽から早馬がまいりました。
声を落として下さいませ。
一体、何があったのだ。
おもむろに封書を開いた玄宗は、その場に立ち上がった。
帰る。
今すぐだ。
今お帰りになられても お会いになれるのは三日後でございます。
分かっている。
だが、やらなければならない事がある。
そして 考えなければならない事も。
こんな所でのんびりとしてはいられない。
生まれることは皆に伝えなさい。
わかっているだろうが、あとは一切口外しないように。
知られたら、命を狙う者が現れるかもしれない。
玄宗は欠伸をしてから、声を大きくしていった。
やはり田舎はつまらんのう。
刺激がなくていかん。
さあ、帰るとしよう。
そして、高力士を見てニャツと笑った。
すぐ傍で、清とともに座っている武恵妃のところにいった。
玄宗は武恵妃に
立たなくていい。
と云って、清の肩に両手をおいた。
大きくなったな。
いくつになった。
父上は明日あたり、じいさまになるそうだ。
清は叔父上になる。
七才か。
そろそろ出閤を考えても、いい頃だな。
朕が出閤したのは、八才の時だ。
清をかわいがる様子に、喜びをむき出しにしていた武恵妃は下を向いた。
離れたくないのだ。
皇后になれなかった事がくやまれる。
廃皇后が世を去り一年になろうかという頃から、ことにつけて 、
空位ならば、我なぞはいかがでしょうか?
幼い頃より宮中で育った我ならば、後宮を上手く治める事ができると思われます。
などと、しつこくねだった。
根負けした玄宗が、朝廷にはかったところ、激しい反対にあったのである。
武后が何をされたか、お忘れになったのですか?
高宗様のお子たちや李宗室の方たちが、殺されたのですよ。
唐王朝が、周王朝になったのですよ。
武后の身内の者など、とうてい認められません。
武恵妃の皇后冊立の話は、それで終わった。
あの時、皇后になっていたなら、清の出閤の話はでなかっであろう。
嫡子として、東宮に住んでいたであろう。
いずれにしても、近い将来、皇宮を出なければならない。
清を皇太子にしなければ。
誰が見ても玄宗様は清を溺愛している。
皇太子になるのは難しくないはず。
どなたですか?
早馬などで連絡をよこしたのは?
陛下にとっては初孫でも、すこし大げさではないでしょうか?
話をそらした。
忠王だ。
はじめての子の事だから、浮かれているのだな。
玄宗は、早馬を仕立てたのが忠王のようにいった。
生まれてくる子に関心を持たれたくなかった。
占い婆さんが手配したのだろう。
あの者は、我ら五人兄弟に賜った隆慶坊に 水が湧きだし池となったの見て、
この池には龍が住んでいます。
この坊からいずれ天子が出るでしょう。
と、予言したのだ。
隆慶坊が、朕の本名“隆基”の隆の字を避け、興慶坊となった。
予言は当ったのである。
早馬の封書にはなんの疑いも持っていない。
だから警戒するのだ。
清は生まれた時から、寧叔父上の王府で育ったから、王宮には愛着はないかな?
寧王府が、実家みたいなものだから。
武恵妃があわてて答えた。
何てことおっしゃるのですか。
清は皇子です。
王宮が実家です。
武恵妃は清を授かるまでに、二人の男の子と一人の女の子を亡くしている。
宮中は縁起が悪いのかも、と兄寧王に養育を頼んだのは、玄宗である。
武恵妃は、初めて自からの乳で育てたようとしたのである。
だが、寧王府へ毎日通うのは、大変であった。
当時、子が産まれていた寧王妃が、結局、乳をやったのである。
他人の乳ではなく、伯母の乳で、清は育ったのである。
伯母を乳母としたのである。
そして、今も寧王府に住んでいる。
清は、無事に育った大切な子なのである。
玄宗様と我の宝物なのだ。
出閤の話は長安にかえってからだ。
馬車にご一緒してよろしいでしょうか?
今は、清との時間をたのしめ。
先に行く。
皇帝の急な帰還に、お供する百官たちは慌てふためいている。
傍にたっていた高力士と車駕に向かった。
声をかけるな。
と、乗りこんだ。
動きだした車駕のなかで玄宗はひざに両手をおき、眼を閉じた。
頭をたれ、心のなかで、
神様、御先祖様、感謝します。
いつも廟にお詣りするたびに、お願いしました事を叶えてくださり、ありがとうございます。
私も、四十二才になりました。
武周時代の契丹の謀反の時、嫌な予感がしました。
かつて考えられなかった、兵士に報酬を支払うという募兵がおこなわれたからです。
広い中国を守るには多くの兵士が必要です。
あれから、名をかえ様々な制度がつくられました。
そして、今の宮城は募兵のみで守られています。
いくらでも集められた報酬のいらない兵士は、逃戸や客戸となり、戸籍の地におりません。
我が即位した時、中宗様の公主たちが何千戸もの封戸をもち、庶民に売官・売度をしていました。
そして、封家では旱魃・水害にかかわらず規定の量を厳しく取り立てていました。
逃げるはずです。
冗官も贋僧尼もやめさせ、封戸に対しても、直接とりたてるのを止めさせました。
いろいろ改善したつもりです。
でも逃げるのです。
命をかける兵士の勤めがつらいのでしょう。
多分、いずれ、募兵のみになるでしょう。
均田制も府兵制も、もう維持はできません。
今の私には持ちこたえるのが精いっぱいです。
北魏から始まったとされる均田制。
人間は増えるのに土地は増えません。
いつか来る筈だったのです。
募兵たちに支払う報酬が、国家収入の半分くらいになります。
それでは国が成り立ちません。
収入を増やさなくてはなりません。
唐の国の主として、税制度を改めなければなりません。
違う形にしなければなりません。
生まれた時から今まで、均田制のなかで生きてきて、税制度を変えるとしても、何も思い浮かびません。
頭が固くなっていて、考えられません。
私には無理です。
並の人間では無理でしょう。
だから、いつもお願いしていたのです。
秀れた人物を、唐の主にふさわしい秀れた人物を、私の身内に授けてほしいと。
今日、お印を知ることができました。
ありがとうございます。
成人できますよう守り、大切に育てます。
感謝いたします。
玄宗はしばらくそのままで、動かなかった。
涙が滲んでいた。
洛陽に着いたのは暗くなってからであった。
一服して、上陽宮に向かった。
いつもは暗い川が、門から入り口まで灯りが点けられているので、反射してキラキラ輝やいている。
朕の心みたいだ。
人が時々、出入りしている。
高力士に、見に行かせた。
生まれそうだ、生まれそうだ、といってから、大分たつそうです。
初めての子だ。
そんなものだろう。
心を落ち着かせようと、川をながめた。
あわただしく扉が開けられ、忠王が飛び出してきた。
父上、男の子です。
よかった。
分かっていたが、安心した。
今生まれたのだな。
朕の帰りを、待っていてくれたのだな。
こんな時に云うのもなんだが、思い出した。
乳は自ら与えてほしい。
武恵妃の例もあるからな。
杏も自分の乳で育てたいと申しておりました。
杏と聞くと、笑いに満ちていた玄宗の顔が歪んだ。
きょうは凶と音が通じるからな。
その名はどうにかならんか?
朕は嫌いだ。
縁起の良い名に代えたらどうだ。
母親が付けてくれた名ですから、愛着があるようです。
木に口、この口は実で、実のなった木、そこが良いそうです。
上手いこと言うのう。
まあいい。
今日はご苦労だった、と伝えてくれ。
そなたはいいのう。
どんな顔をしていた?
美しい子です。
私の子と思えません。
と、ニヤニヤした。
祖父さん似なのだな。
まあ、三日後には会える。
こんな所が皇帝の面倒なところだ。
美しい子か、当たり前だ。
生まれながらの天子様、だ。
ぶつぶつ云いながら、その場を去った。
陛下、お気をつけください。
高力士が小走りに近づき、耳うちをした。
宮城は、壁に耳ありの世界ですから、
さらに声を落として云った。
なぜ、忠王様におっしゃらなかったのですか?
今の忠王は浮かれている。
うれしさのあまりに、あらぬ事を口ばされては困る。
ごもっともです。