突然の言葉
周りの兵士たちは定位置へ移動し、門を通行するために待っていた人々も、いつもの雑踏へと移り変わっていく。
「今日は仕事終わりだ、ナトリ」
「……え?」
「あーもう。俺が眼中にないってのわかってるけどね! ホント俺ってばカワイソウ!」
悲しみしかない! といって、アロナは大げさに天を仰ぎ、私の手を掴んで歩き出した。
「ちょっと待て、アロナ! まだ交代の時間ではない!」
「上官に言ってある!」
「そういう問題では、な、い……!」
歩き出したと思ったらズンズンと速度を上げて、もはや駆け出すといった状況に、引っ張られている私は喋るどころではなくなってしまった。
「ま、て……っ、アロ、ナ!」
猛烈な勢いで走るアロナと、手を掴まれながらせめて転ばないように走る私を、人々が奇異な目で見ている。一人一人に違うんですと言って回りたいが、そんな余裕すらない。
息が上がり、足が言うことを聞かなくなってきた頃、ようやくアロナは足を止める。息が上がりよろめく私を、アロナは近くにあったベンチに座らせてくれた。
はぁ、はぁ、と大きく深呼吸をしながら息を整えながら、ようやく周囲を観察する。
ここは城下にある大きな広場で、中央には噴水があり、緑も多く配置されているところだ。
朝は郊外から運ばれてくる野菜や日用品などの市が開かれ、人々でごった返す。時間によって店の形態も変わり、太陽の光が弱まって空の端が淡い藍色に染まりだした今は、それぞれ店じまいに入っていた。
その風景や、夕陽が反射してきらきらと零れていく噴水を、私はぼんやりと眺める。こののどかな風景を見ていると、王女様と対面したことがまるで現実ではなかったように思えてきた。
キャー、アハハ、と子供たちの楽しげな声が上がり、ハッと顔を上げると、広場の端に見慣れた男の姿があった。
アロナは、片手で肉の串焼きとエールが入ったジョッキ二つずつ持っている。その彼を、子供たちが周りを取り囲み、とても賑やかにこちらへ向かって歩いていた。
「アロナ……」
なにげなく呟いたその一言が、私の心臓を跳ね上げる。
なんだろう、この胸の高鳴りは……。幼いナーニャ王女様を初めて見た時以来かもしれない。
子供たちと楽しそうに会話しているアロナを見るとドキドキと脈拍が早まり、相好を崩す表情に体中の血液が沸騰するみたいに熱くなる。
アロナが子供たちに何か言い、懐から何かを渡すと、歓声を上げながら商店が立ち並ぶ方へ走り去っていった。
いけない、平常心を持たねば。
なんとなく見送っていた子供らの背から目を離し、私は小さな咳払いをして背を伸ばす。
「ごめん、待たせたね」
串とエールを手渡され、今日はよく頑張った、とねぎらいの言葉をかけられた。
「いや……当然のことをしたまでで……」
二人きりで慰労会のようなことをする意味が分からず、どういう態度をとっていいか判断がつかないまま平坦に返す。
「とにかく、私が聞きたいことは――」
「うわわ、ちょっと待ってナトリ。早い、早いってば。俺の心の準備させて?」
単刀直入に切りこもうとした私を、アロナが必死で抑え、とりあえず飲もうよと促された。
エールに罪はないので、ひとまず飲むことに同意し、ベンチに二人並んだままジョッキを傾ける。串も渡され、しばらく夕方から夜の闇にゆっくりと飲まれようとする空の、色の移り変わりを眺めた。
なにをいいたいのか、すぐさま尋ねたくもあったが、アロナとこうしている時間は悪くない。夜露を運ぶ風が優しく頬を撫で、心地よく感じていた私は、なにかが胸の中でぴったりと納まる気がした。
ああ、そういうことか。
「ゴホンゴホン……んんっ……ん~……、ええ~と、その、ナトリ?」
隣に座る男を見れば、エールを私がまだ半分のところ、彼はすっかり飲み干しており、串焼きもいつの間にか串だけになってジョッキに突っ込まれていた。しかし酔いはまったく影響していないのが見て取れる。
「何を緊張しているんだ?」
「そ、そういうことをわざわざ言うなよってば!」
エンザの弟子であるからには、相当な剣の達人であるだろうに、いま目の前にしているこの相手は、耳を赤くしてなぜかやたらと緊張しているただ一人の男だ。
「う~、色々考えすぎて頭が痛い」
「それならば宿舎に戻った方がいいのではないか?」
「そういうことじゃないんだよ。あー……うん、まあなんだ、言いたいことってのは頭が痛いということじゃなくて、俺と――ってことなんだけど」
「頭が痛むのならやはり体を休め……え?」
いま、なんといった?
「え?」
「その時間差で聞き返されるのちょっといま辛い!」
「いやすまない、よく聞き取れなくて」
「わざとか? じゃないよな、だってこれがナトリだもんな……」
悪気はないが、どうやら大事な言葉だったようだ。今度こそ耳に集中できるよう、私も串焼きを食べ、エールを一気に飲み干してから、アロナに体を向ける。
「失礼した。今度は聞き洩らさないようにするからもう一度頼む」
背筋を伸ばしてまっすぐにアロナを見ると、なぜか彼は狼狽え、天を仰いだ。
「……俺を弱らせてどうすんだ」
はぁ、と軽く息を吐きだしたアロナは、自分の膝をバンッ! と強めに叩き、私と目を合わせた。
強い、意思を持った目が、私を縫いとめる。
「ナトリ、俺と結婚してくれ」
「嫌です」