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護りの兵は王女様を敬愛する  作者: 丹羽庭子
3/6

秘めた悲しみ



 太陽の光が照らす雑然とした日中と違い、闇の帳が下りた空は、きん、と空気が冴え渡る。

 エンザから勧められるままエールを呷り、飲みすぎてすっかり遅くなってしまった。こんなに沢山飲んだのは初めてのことで、火照った頬に夜風が心地よい。

 宿舎までそれなりに距離があるので、宿屋の主人に借りたランタンを灯しながら、やけに足音が響く石畳を歩く。

「すっかり遅くなってしまいましたね」

「……うぇぇ……ナトリ……酒、強いんだな……」

 初めはアロナが送るから、と言っていたけれど、すっかり酒に酔ってしまった彼を逆に私が送る形になってしまった。

「私も初めて知りましたよ」

 酒自体、アロナに勧められて飲んだのが初めてだったので、自分自身どこまで飲めるのか確かめたことがない。興味本位で杯を重ねていたら、私と同じように飲んでいたアロナが潰れた。

 そういえば父親も酒を飲む割には酔っている姿を見たことがないので、私はそこを受け継いだのだろう。

 若干青い顔をするアロナの傍に立ち、時折ふらつく足取りをする体を支えるため、腕を掴んだ。

「俺、カッコ悪いなぁ……」

 せっかく二人きりなのに、なんて言うので投げ飛ばしてやろうかと思ったけれど、弱っているところにそれはさすがに悪いと止めた。

「おっと……」

「危ないですよ。……仕方ありませんね」

 フラフラとまっすぐ歩けない様子から、これではいつまでたっても宿舎につけないと考え、アロナの腕を肩に担いで体を支えた。傍目からは肩を抱かれるように見えるかもしれないけれど、その実、全くの逆だ。

「ん~、ナトリぃ……」

「ほら、足を動かしてください」

「ナトリ~」

「口は動かさなくていいです」

「好きだ~」

「はいはい」

 いつもの調子に加え、酔っぱらいの戯言なので軽く受け流しつつ、なぜか私の胸の鼓動が早まる。

 ……アロナって、こんなに大きかった?

 対面している時やエンザといる時は感じなかったけれど、こうして密着していると、すっぽりとアロナの懐に収まってしまう。思った以上に体の厚みがあり、そしてそれは筋肉がしっかりついているせいで……

 ――なにを意識しているんだ、私は!

 しかし一旦気になってしまったのは、どうにも止まらない。アロナの体温がじわりと伝わってきたり、香草でも懐に入れているのか爽やかな香りがしたりで、そのたびに私の胸はどきどきと激しく打ち付けた。

アロナが酩酊状態で助かった。こんな風に観察しているなどと知られたら、あとで何を射られるかわかったものではない。

 軽薄そうな男だな、と感じた第一印象だが、仕事は真面目にこなすし、気遣いもできる。なによりエンザが目をかけるだけあって、いつか上に取り立てられるに違いない。

 ――女の私と違って。

「……っ!」

 自分で勝手に妬んで、自分で勝手に傷ついて。本当に自分はどうしようもない。

 しかしこみ上げる思いは止められず、それは眦に溜まっていった。

 アロナを恨んだところでそれは八つ当たり以外何物でもなく、蹴落としたところで誰かの代わりに私が指名される訳がない。

 それは分かっている。分かっている。けれど。けれど。

 つ、と熱いものが、頬にひとすじ、ふたすじ。

 決して人に見られたくない姿だけど、今だけは――

 私はアロナに肩を貸しながら、黙々と宿舎まで歩いていった。




 そしてまた、変わらぬ日常が過ぎていく。

 相変わらず門兵の任務にあたり、相変わらずアロナも同じ任務に就いている。もちろん相変わらず女の私は陰口を叩かれていた。

 女だてらに近衛になろうなんておこがましいといった台詞も、聞き飽きたし代わり映えしない。なんて芸のないことを、と思うだけの余裕がある。

「おねーちゃん!」

「ああ、君か」

 私をめがけて掛けてきた男の子は、いつも城内に届け物をする母親を待つ子だ。しかし今日はいつもと様子が違った。

「どうした」

「ルコがいなくなっちゃったんだ!」

 ルコ? と首をかしげる私に、額に汗をかく男の子は必死に訴えかける。

「僕の相棒のルコだよ! ネズミの!」

「ああ、あのネズミか」

「見かけなかった?」

「いや……?」

「見つけたら教えてね! じゃ!」

 男の子は、あちらこちらの茂みや壁沿いをくまなく探しているようだ。小さな生き物なので、かなり難しいと思う。持ち場を離れるわけにはいかないので捜索には協力できないが、近くで見かけたら捕まえてあげよう。

「ナトリ、合図だ」

「了解」

 視線で男の子の背を追いかけていた私に、アロナが声をかける。慈善活動で城下の孤児院へ行った王女様一行の帰城する合図がでたのだ。

 門兵それぞれが配置に就く。不審者が傍にいないか、罠が仕掛けられていないかなど調べ、跳ね橋を渡る一般人を王女様一行が通り過ぎるまで堰き止める役割がある。

 今回私が受け持つのは、一般人を止める役だ。しかしもともと城内に入れる者は限られており、こういう事態も慣れている。それぞれが自主的に道の端に避け、大きな混乱は生まれなかった。

 だいたいの体裁が整ったところで、跳ね橋よりももう少し先の曲がり角に、馬車の先頭が見える。私はひそかにまた王女様のお姿を見ることが叶うかどうか期待をしていた。

 馬の蹄が石畳を叩き、ガタガタと馬車が軋む。その音が徐々に大きくなり、あと少しで私の前を通り過ぎるので敬礼を――と、手を上げかけたその時。

「ルコ!」

 突然の叫び声と共に、男の子が飛び出した。探していたネズミを見つけたので、思わずぽっかりと空いた道の中央へ出てしまったのだ。

 しかし、眼前に迫る馬車の勢いは止められようもなく、男の子に至っては自分が今どこにいるのか分かった途端立ちすくんでしまい、呆然としている。

 私はそれを見た瞬間、勝手に体が動いていた。

「危ない!」

 男の子の立っている位置に近かったのが幸いし、真横から飛びついて危機一髪難を逃れた。空中でくるりと体を半回転捻って男の子をしっかり抱きかかえた私は、背中から地面に叩きつけられる。

「――っ!」

 あまりの衝撃に、一瞬目の前が赤く染まった気がした。それでも男の子を不安にさせないよう、悲鳴は喉の奥に押し込み、腹に力を入れて痛みをこらえる。

「ナトリ!」

 遠くでアロナの声が聞こえたが、顔を上げるのも辛くてそれどころではない。

「お、ねえちゃん……?」

「……大丈夫だ、心配はいらない」

 私を気遣う声に、何ともないことを伝え、小さく深呼吸をして体の状態を確かめた。

 打ち付けた背中は衝撃の痛みだけだったようで、あとは問題なさそうだ。これは日頃からの訓練のたまものだろう。

 しかし王女様一行の馬車を止めてしまった。すぐさまこの場を引かないと、と私は身を起こし、男の子に道路脇へ移動するように伝える。するとそこへ、荒々しい足音が聞こえたかと思ったら、目の前に足が見えた。

 とっさに腕でかばうと、先ほどの比でないほどの衝撃が襲う。まだ不安定な姿勢だったため、私の体は後方にふっ飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。

「あっ……!」

「おい、そこのお前……馬車の国王家の印が見えぬのか? 通行を邪魔立てするなど大罪を犯したも同然だ!」

 怒鳴る男は、私を思い切り蹴とばしたのだ。徽章から、おそらく近衛騎士で王女様の護衛の騎士だろう。その男に見覚えがあるのを、冷たい石畳に転がりながら思い出した。

 ――確かあれは二年前。門兵の仕事にも慣れてきた頃だったと思う。端的に言えば〝俺の女になれ〟だったので速攻お断りをしたら、恥をかかされたと逆上して悪辣な噂話を所かまわずやってくれた相手だ。

 お陰で、ただでさえ風当たりの強い女兵士だったのに、より酷くなるという目に遭わせられた。

 男自身はかなりいいご身分出身だったらしく、その後私が焦がれてやまない王女様つきの近衛騎士になったのが悔しくて仕方がない。

 顔をかばった腕が、じんじん痛む。おそらく折れてはいないようだと判断すると、私は痛みを堪えて道の脇に移動して膝をついた。無理にも体を動かせる力があるのは、人の二倍も三倍も努力したお陰かもしれない。

「っ、……大変、失礼をしました」

 こんな男相手にと悔しいが、王女様の馬車を止めさせてしまったのは事実。自分が折れてほかに責任が行かないようにしなければならない。

だが、私が謝る程度で男は許してくれなかった。

「お前ごときがそうしたところでなんの益もないわ。いっそ死んで詫びろ」

 すらり、と鈍く光る刀身が目に飛び込んできた。身の危険が目の前に差し迫っているのに、それがなぜか現実だと思えない。ああ、こんなところで私は終わってしまうのかな、などとぼんやり男が剣を構えるところを眺める。下卑た笑みを浮かべ、上段に構えた男は、それを一気に振り下ろした――


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