変わり映えのしない日常
わぁぁぁぁ……!
地響きのように大地が揺れ、大雨が打ち付けるような割れんばかりの拍手。そして喜びのうねりがそこかしこに満ち溢れる中、私は小指よりも小さい、いや、砂粒ほどしか見えない遠くの人物から目が離せなかった。
戴冠式のあと、新国王様とその王妃様は、宮殿のバルコニーで手を振って観衆に応える。そして、王太子様と王女様……ほか、何名かが手を振っているようだ。砂粒だけあって当然顔はよくわからない。おそらく……と見当をつけた結果、おおよその人物を当てはめただけに過ぎなかった。
しかし、私はその王女様らしき人物だけに視線が固定される。自分でも全く理解できないけれど、いまこの瞬間、『王女様をお護りしたい』――という誓いが心に刻み込まれたのだ。
いつもの決まった道のりを、私はまっすぐ前を見ながら歩く。
整然と並べられた石畳にコツコツと踵を鳴らしながら宿舎を出て右へ、そしてしばらく行くと大通りにぶつかる。そこを左に折れると、やがて人が五人ほど手を広げて並んで歩けるほどの大きな門が見えてきた。
ここは、首が折れてしまいそうなほど見上げなければならない高い城壁で囲われた城の門だ。ここを抜ければ、市街地へと下ることができる。
城へ上がる者、城下町に下りる者。特に前者に対しては一度足を止めさせ、怪しい者ではないかと目を光らせているのがその城門に立つ兵士――門兵だ。
門兵は開かれた門の左右に立ち、通行者の監視を行っている。他にも少し離れたところで全体を見渡し不審者を見張る役、門の上の見張り台で遠くまで監視をする役など、任務は様々だ。
私はそのうち一人に近づき、踵を鳴らして背筋を伸ばす。
「交代の時間だ」
「もうそんな時間か……。今日は特に不審な人物はいなかった。ただ、ここの出入り業者の子供が、門の外で親の帰りを待っていた。一応目を配ってくれ」
「了解した。ナトリ・ジョナ、只今をもって門兵交代をする」
「門兵交代!」
互いに踵を鳴らして左腰に佩いた剣の柄を握り、右手は胸に当てるという作法にのっとり、交代の挨拶を交わす。そして私は交代した男のいる場所に立ち、通行人へ注意を向けた。
本日の任務の始まりだ。
女性に生まれたのは、私のせいではない。
けれど、この女であるということが私の望む道を阻んだ。
地方ながらそれなりに名の知れた家に生まれたが、上から数えて五番目で、三人目の女である。このことから、特に手をかけられたこともなく、それなりの教育を受け、いずれそれなりの家へ親の都合で嫁がされるのだろうと漠然と思っていた。
しかし転機が訪れた。
それは、この国の王が亡くなり、継いだ王の戴冠式を見に行ったことが私のその後の人生を決めたといっても過言ではない。
遥か遠くにいるバルコニーで、新しい王妃様に抱かれた小さな姫様……
途端に湧き上がる庇護欲に、私は心の奥に炎が生まれ、まっすぐに背筋が伸びた。
――お護りしたい。
その日から私は、女性らしく刺繍をする針から武をもって制する剣に持ち替え、男性用の服を身に着け、日夜剣の訓練に明け暮れた。当然家族の反発は強かったが、三人目の娘という立場から、そういう道も悪くないと、意外にも厳格な父親が認めてくれた。
地方貴族である私たちは、おそらく一生王都に住むことはない。地方への地盤固めに、有力者との婚姻関係を結ぶことになるだろう。その中で一人だけでも、王都へ。
ほんの少し、父親からの王都への憧れを背中に感じながら、私は自らの体を鍛えていった。
「ナトリ、仕事上がったら酒場に行こう!」
「お断りです」
「うっわ冷たい! ナトリったら冷たい!」
「無駄口を叩かないでください。――通行証は持っていますか?」
同僚に冷たい視線を投げつつ、私は任務にあたった。
ここ王都は、中央の城を中心に大きな城壁で二重に囲われている。城壁の外は深い堀があり、跳ね橋で通行を管理している。王城へ一番近づくこの門は、いわば最後の砦だ。
この城には私の敬愛する王女様がいる。怪しい者は決して通さない、という信念があるので、門兵の仕事をまじめに取り組んでいる。
しかし、それを邪魔されるのが最近の悩みだ。
「ねーナトリ~」
「馴れ馴れしく名を呼ばないでください。――通行証は? はい、二名ですね。閉門の時間に間に合うようお願いします」
何度か見慣れた顔とはいえ、確認を怠るわけにはいかない。融通が利かないと怒鳴られたこともあるが、これが私なりの王女様を守る手段だ。男性と同じ制服を着て、誇りをもって警備にあたる。体格が違って最初は着辛かったが、それを自分用に直すくらいの腕はあるので問題ない。
髪も、警備にあたり邪魔になるので、男性よりも少々長い程度まで揃えてある。女性らしさというものは胸くらいしかないが、これも布でキツく巻いて潰してあるので、外見上は男性とほぼ同じだろう。
「あっ! おねーちゃんが来た!」
「ああ君か。またここで待つのか?」
「うん、かーちゃんが帰ってくるまでね」
常連となった子供が、私になつっこく話しかけてきた。
この男の子の母親は、野菜などを届ける仕事をしている。しかし通行証は一人だけなので、子供を門のそばに残して城内で用を済ますのだ。それまで子供は、一人で門の外で待っているので、たまに気にして声をかけるのだが、『おれもう七歳だから平気だよ!』と笑う。
今日も彼は門のそばで待つようだ。
「いい子にしているんだぞ」
「当り前さ! それに最近はおれに相棒がいるんだぜ」
「相棒?」
「ほら!」
男の子がポケットから出したのは、野ネズミだ。するとその野ネズミは、男の子の手からスルスルと地面に下りて逃げ出してしまった。男の子は「わっ! まてよ!」と慌てて追いかけて行く。そのやり取りを見ていた周囲の人たちは、微笑ましそうに眺め、暖かい空気が流れた。
物怖じしないのか、屈託なく私に話してくれるので、男の子がいる日は私も心が温まる。
視線を男の子の背から戻すと、目の前に問題の男が恨めしそうに立っていた。
「俺はいい子で待ってたからね?」
……いないものとして無視を決め込んでいたのに、正面に立たれたら相手をせざるを得ない。
「お願いです、仕事をしてください」
「じゃ、仕事上がって報告書できたら、城下町の草深亭で待ち合わせね。よろしく~」
「勝手に話を進めないでください。だいたい私はお断りをしたはず――」
「上官も一緒だと言ったら?」
ぐ……と思わず言葉をのみこんだ。勤務態度や人間性を査定する立場であり、上へ行きたいと望むならば、上官への覚えがよい方が当然いいに決まっている。
「仕、事、と、し、て、承知しました」
上司が来るのなら仕方がない。仕方がないのだ。
「ちょっとナトリ聞こえてるよ! 仕方がないを二回も言うなよ~!」
「失礼しました」
感情を入れず平坦な声で失礼を詫びた私は、やいやい喚く同僚――アロナを見ることもなく業務を遂行した。