哀惜の花嫁【1】
時は少し遡る。
青年たちがシャガール領内に入った頃、クレイアイスではエミリアンとオルガの盛大な婚礼が行われようとしていた。
各国の要人たちが招待された。
噂に聞くレイダリアの美しい姫君の登場を、その場にいる誰もが待ちわびた。
「クレイアイス第3王子、エミリアン様」
高らかな声とともに、エミリアンがホールに入場する。
晴れやかな笑顔でホールに姿を現したエミリアンは、玉座の前で控えていた司祭の目の前で立ち止まった。
国王と司祭に礼をし、今し方入ってきたホールの入り口を見据える。
「レイダリア王女、マルグリット様」
声とともに、ホールの入り口からオルガが姿を現した。
純白のドレスに身を包み、柔らかなヴェールがふわりと揺れた。
一歩一歩ゆっくりと歩みを進めるたびに、貴族たちはヴェールの奥を見ようと色めき立つ。
「ここへ」
司祭の指示に従い、オルガがエミリアンの側に立った。
司祭が祝福の言葉を並べ、エミリアンを促す。
向かい合った2人は、暫しの間見つめあった。
ゆっくりとオルガのヴェールを持ち上げると、ホールが溜息で包まれた。
若く美しい夫婦の誕生を祝福するように、ホールに集う人々の顔は自然と綻んだ。
エミリアンがゆっくりとその唇をオルガに重ねる。
司祭が再び祝福を与え、2人が賓客たちの方に向き直った。
玉座で見守っていた国王も祝辞を述べ、オルガとエミリアンが微笑みあう。
「さぁ、こちらへ」
2人が案内されたのは、豪奢な背もたれのある長椅子だった。
婚礼の衣装に身を包んだまま、各国の要人と挨拶を交わすのだ。
初めに両国の国王から改めて祝福の言葉を並べられる。
その後はお互いの兄弟たちからの言葉だった。
そして、国外のものからの祝辞と賛辞の言葉。
「わたくし、公務は初めてで……失礼なことを言っていないかしら」
公の場での振る舞いを学んで来なかったわけではないが、それでもこうして国外へ顔を売るのは初めてのことだった。
オルガの表情が一瞬不安そうに陰るのも無理はない。
「大丈夫、あなたはいつだってお美しく、ご立派ですよ」
エミリアンが微笑む。
オルガが恥ずかしそうに頬を染めると、遠巻きに様子を見ていた貴族たちから暖かな笑いが起こった。
誰もがこの婚礼を喜び、祝福していた。
「わたくし、本当はずっと不安でした。自分で運命を選びとれないこと。政の道具にされること。自由なんてないのに、自由に憧れて。ずっとずっと」
「わかるよ。でも、あなたは選んだ」
「そうです。エミリアン様、あなたはわたくしを愛しているとおっしゃいましたね?」
オルガの双眸がまっすぐにエミリアンを捉える。
「わたくしは、あの夜。あなたがそう言ってくださった時から、あなたのことを想っています」
微笑み告げられた言葉に、今度はエミリアンが赤面した。
エミリアンにとって、公務で立ち寄ったレイダリアで、たまたま偶然にオルガと顔を合わせて以来の片思いだった。
本来であれば出会うことのなかった縁を喜ぶべきか悲しむべきか。
舞い込む縁談を断り続け、それでも諦められず。クレイアイスとレイダリアの情勢を利用しての婚礼を、オルガが受け入れた。
それだけでもエミリアンにとっては信じられないことだというのに。
「からかっているのですか」
やっとそれだけ言うと、エミリアンは微笑んだ。
オルガも笑みを崩さぬまま、首を横に振った。
「ふふ、嘘なんて。わたくし、こう見えても嘘は苦手なんです」
「そうでしたか?」
からかうような笑みを浮かべたエミリアンの手に、に、オルガが自らの手を重ねる。
エミリアンは順当にいっても、このままだと王位を継ぐことはない。
だが、オルガはそれでもいいと思っていた。
自分が置かれていたような王位継承争いに、エミリアンが巻き込まれていくのを見たくはなかった。
その日、祝宴は夜が更けるまで行われた。
人々の幸せそうな笑い声が城中に響き、飽くことなく歌い踊ったのだ。
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夫婦といえど、クレイアイスの王族は寝室は別だった。
この日は初夜ということもあり、2人は同じベッドで休んでいた。
祝宴の疲労も手伝ってよく眠っていたはずのオルガは、喉の渇きを覚えて起き上がった。
自身が一糸まとわぬ姿なのを思い出すと、寝室に案内された時に召使いが用意していった寝巻きを着た。
恥ずかしさが込み上げ、余計に喉が乾く。
「エミリアン様……」
恥はかかせなかっただろうかと不安になる。
だが、幸せそうな顔をして眠っているエミリアンを見ると、そんな不安を打ち消すように頭を振った。
サイドチェストの水差しから水を注ぐと、ゆっくりと窓辺に近寄る。
既に遠くの空は白み始めていた。
「あれは……」
ふと気になり、目を凝らす。
白み始めた空の向こうに、黒い雲のようなものが見えた。
「違う……」
背中を、嫌な汗が伝う。
雲だと思ったそれは、ものすごい速さでこちらへと向かっていた。
弾かれたようにベッドへ戻ると、サイドチェストに乱暴にグラスを置く。
そのまま眠っているエミリアンを揺すった。
「エミリアン様!起きて!」
オルガの声に、まだ眠そうな顔でエミリアンが起き上がる。
「おはよう」
優しい声音で頬にされたキスを優しく押し戻しながら、急かすように腕を引く。
「窓を見て、早く」
「待って、ちょっと。あれ、服がないな……」
シーツを巻きながら、エミリアンも窓辺に近寄った。
すぐに寝ぼけ眼だったエミリアンの顔色が変わる。
「あれは、なんだ……?」
「城下町の方角です。あれは……魔物?」
翼を持つ、クサリヘビのような魔物が無数の大群となって飛来していた。
「すぐに騎士団を出さなくては……誰か!」
エミリアンが部屋の外へ向けて声を張り上げる。
すぐに控えの間にいた召使いが飛んできた。
「国王陛下や兄上たちをすぐに招集してくれ。城下町が……」
エミリアンが言葉を続けようとした時、城下街から爆発音が響いた。
再び窓の外を見ると、幾筋もの黒煙が上がっているのが見えた。
「すぐに参ります!」
召使いが慌てた様子で駆けていくのを見送り、エミリアンはオルガを抱きしめた。
「あなたはここにいてください」
「レイダリアや他の国々の方はご無事でしょうか……」
オルガの瞳が不安げに揺れる。
エミリアンは微笑んで見せると、力強く頷いた。
「後で、エドワール様たちの部屋へ案内させます」
「あなたも、気をつけて」
短い会話を終え、着替えて部屋を出て行くエミリアンの背に。
オルガは言い知れぬ不安が胸を押しつぶしそうになった。
「どうか、ご無事で」
祈るように落とされた言葉は、明けの空に溶けるように消えていった。




