新天地へ【1】
クレイアイスから迎えの兵が来たのは、翌朝だった。
エミリアンとその結婚相手であるオルガに何かあってはまずいと、兵を率いていた将軍ベルクは相当に焦っていた。
無事にクレイアイスの城に辿り着いたのは、昼過ぎだ。
騎士たちはエドワールの到着まで、クレイアイス騎士団の宿舎で寝泊りを許された。
アデライドとは驚くことに顔見知りだったのか、ベルクが国王からの招待の言葉を伝えたが、彼女はそれを断った。
「オルガ……それじゃあ、元気で」
ヴァレリーが潤んだ瞳で微笑んだ。
「ええ、ヴァレリーも」
ついにヴァレリーのことを思い出すことはできなかったが、それでも2人は随分と仲が良くなったように見える。
「結婚式、見れなくてごめんね」
「大丈夫ですよ。近くまで来たら、また顔を見せてください。それから……ありがとう」
オルガが優しく言うと、ついにヴァレリーは泣き出した。
ヴァレリーにとって、身分は違ってもオルガは親友だった。
たとえ記憶の隅に自身が追いやられていたとしても、オルガがオルガである限り、ヴァレリーにとってそんなことは問題ではないのだ。
「ごめんね、ヴァレリー……ごめんね」
抱き合い涙する2人の乙女に、レイダリアから献身的に着いてきた騎士たちも思わず悲しそうになる。
いかつい顔のベルクですら、気遣わしげに様子を伺っていた。
「それでは、参りましょうか。ご案内いたしますよ、マルグリット様」
エミリアンの言葉に、名残惜しそうにヴァレリーとオルガの身体が離れる。
去っていく2人の後ろ姿を見送りながら、ヴァレリーはその背が見えなくなるまで手を振っていた。
暫くそうして、ヴァレリーは涙を拭うとくるりと向きを変えた。
心配そうな顔で待っていたファブリスと、青年、そしてアデライドが立っていた。
「あーあ、これで形式だけのかたっ苦しい役職ともおさらばだな」
わざと明るい調子で言うファブリスに、青年が頷く。
「念のためエドワールに報告はいれておこう。今後についても話し合いたい、ひとまず宿をとろう」
「儂は1度小屋へ戻ろう。お主らが連れてきた動物らが、腹を空かせているやもしれんしな」
「あ、じゃあ私も……」
言いかけるヴァレリーに、青年が首を横に振る。
「いや、ヴァレリーはエドワールへの連絡を頼みたいから残るんだ。それとアデライド、ピィの親の居所を探せそうなら探しておいてくれ」
「ふん、相変わらず人使いが荒い。まぁいい、あまり期待はするなよ。儂の魔術とて万能ではない」
それだけ告げると、アデライドは去っていった。
残された3人は、宿屋へ向け歩き出す。
前回訪れた時と変わらず、街は華やかに飾り付けられオルガとエミリアンの婚礼を祝福していた。
宿屋は幸いにも、一部屋だけ空きがあった。
ヴァレリーはこの旅で野宿も経験したからか、特に相部屋に関しては何も言わなかった。
「あ……馬車を置いてきたから、後で着替えとか買いに行かないと」
必要最低限のものしか持ってこられず、今は荷物も少ない。
昨夜はアデライドのものを借りたが、さすがに何か用意しなくてはならなかった。
「後でいこう。今はエドワールへの報告と、この先俺たちがどうするかだ。もちろん、話を聞いた上で下りてもらっても構わない」
「随分と改まるな」
ファブリスが目を細める。
青年は一瞬ヴァレリーの方を見て、すぐにファブリスに視線を戻した。
「……前に、魔女を探していると言ったな。魔物の生態系の変化も、魔女が関与しているのではないかと」
「あぁ、そういえば、それで隠者に会いたいとか」
青年は頷くと、自分と魔女を結ぶ因縁、自分の本来の姿。
そして、魔物の発生場所と思われるジャレイン諸島についてを打ち明けた。
ファブリスは少し驚いていたが、青年がシャツを捲り鱗を見せると納得したようだった。
「それで、どうする?ジャレイン諸島へ行くのか」
「俺は魔女が関与している可能性がある以上、ジャレイン諸島へ向かう。だが、オルガ暗殺の黒幕がディディエの他にいるかもしれない以上、迷っている」
「黒幕か。だがまぁ、それは俺たちだけでは調べきれんな」
「オルガを送り届けたことで一応の依頼達成は果たしたが」
「まぁ、気になるか」
ファブリスは考え込むように窓の外を眺めた。
外はちらちらと雪が降り始めていた。
「私はルーさんについていく」
ヴァレリーが静かに言った。
ファブリスがゆっくりと振り返り、優しく笑う。
「そうだな。エドワールに報告して、俺たちが動いた方が良さそうなことが起こっていなければそうすべきだな」
「だが、危険かもしれない」
「そんなの今更だよ」
ヴァレリーが笑う。
青年が思わず閉口していると、ファブリスが豪快に笑い声をあげた。
「そうだな、今更だ!お前は強いかもしれんが、たまには仲間を頼れ。情報を集めるにも、1人よりはいいだろう」
ファブリスにまでそう言われて、青年には最早断ることはできなかった。
「お人好しめ」
「お前も大概だ」
宿屋の一室に笑い声が響く。
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エドワールに簡単な報告を済ませ、一路ジャレイン諸島を目指すことを決めた一行は、翌日アデライドと合流した。
街中にセバスチャンを連れ歩くことはできないため、街の外が集合場所になっていた。
「ピィの親は見つかりそうか?」
「駄目だな。昨夜は山にいないようだった」
「そうか」
「ごめんね、ピィちゃん。絶対に家族を見つけるからね」
ヴァレリーがセバスチャンの上で寛いでいたピィの頭を撫でる。
気持ちよさそうに目を細めるピィの様子に、ヴァレリーは自然と顔を綻ばせた。
ひとまず、関所に預けた荷馬車を回収するために街道を南下する。
道中遭遇した魔物は幸いなことに、そこまで手を焼くものも出なかった。
関所で湯を借りる為に、アデライドとヴァレリーは連れだって浴場へ来ていた。
エルフといえば、弓の名手でも知られるが。
アデライドは弓を使うことはなかった。
いや、使えないという方が正しいか。
アデライドの右腕は、二の腕の半分から下がなかった。
「魔女に因縁があるのは、何も奴だけではないということさ」
あっけらかんと言い放つアデライドに、ヴァレリーもそれ以上のことは聞き出せなかった。
「そんなことよりも大衆浴場というものは初めてなのだ、作法などあるのか?」
期待のこもった目で見つめられ、ヴァレリーも服を脱ぎタオルで前を隠しながら浴場へ入った。
クレイアイスが近いため、この関所には温泉がある。
「まずは身体を洗うんですよ」
アデライドに教えながら入る。
誰かと入浴するのは、久しぶりだった。
「ふむ、悪くないな」
湯に浸かりながらアデライドが言った。
豊満な胸が湯の中で浮かび、色素の薄い肌が僅かに上気する。
「お主は、ルーの奴とどこで出会ったのだ?」
「レイダリアの王都ですよ。私、家が宿屋を経営していて。ルーさんはそこのお客様だったんです」
「ほう、宿屋の娘が。これはおもしろい」
アデライドが妖魅に笑う。
ヴァレリーは不思議そうに首をかしげる。
「なに、私が知る彼奴はな。いつも仏頂面で面白みもなく、孤独な奴であったよ。はて、誰のおかげでああも表情豊かになったものか」
ヴァレリーを見つめ、興味深そうに落とされた言葉に。
まるで心の内を見透かされているような気持ちになった。
「……して、契ったのか?」
興味津々でかけられた言葉を、ヴァレリーは始め理解できなかった。
次第にその言葉の意味を脳が理解すると、反射的に湯から立ち上がっていた。
「そっ……! そんなことしてません!」
「ほう、あのグレイウルフ……セバスチャンといったか。彼奴が言うておった。最近お主らが変わったと。てっきりそうなのだと思ったが、違ったか」
「セバスチャンと話が出来るんですか? って、違う! もう、本当にそういうんじゃないんです」
後半は少し元気がなくなる。
ゆっくりと湯に戻ると、ヴァレリーは恨めしそうにアデライドを見た。
「ふふ、すまない。だが、儂は応援しようではないか」
柔らかな胸に抱き寄せられ、ヴァレリーは目を白黒させた。
「子供扱いしてませんか?」
「人の子など、儂らにとっては赤子とかわらぬよ。だが、お主がよい子だというのはわかる。ルーの側にいてくれて、ありがとう」
優しく頭上から落とされた言葉に、何故かヴァレリーの胸が熱くなった。
アデライドの言葉にどれだけの思いが込められているのか、ヴァレリーには計り知ることはできない。
だが、その言葉に安堵のようなものが含まれている気がしたのだ。




