彼女の嘘【5】
漆黒の夜空に、無数の炎の雨が降る。
それ自体に殺傷能力はない。
だが、青年の目論見通り草むらに隠れていただろう人影が逃げ惑う様が見えた。
無数に降り注ぐ炎の雨が、その姿をどこか滑稽に照らし出す。
オルガも必死で魔力を注ぎ込む。
柔らかな光が足元を照らす。これこそが、彼女の体現する奇跡だ。
ヴァレリーは青年に言われた通り、青年の飛び込んだ茂みとは反対の茂みを凝視していた。
炎の雨を降らせているのがヴァレリーだと気がついた人影が2人、草むらを掻き分け近付いてきていた。
ヴァレリーの高威力の魔術、火竜の吐息の射程にはまだ遠い。
威力の低い魔術で牽制しつつ、人影が身に付ける甲冑を観察すると、エンブレムは確認出来なかったが、王都の騎士団が身につけているものと似通っている気がした。
「オルガ…」
「ええ…でも、まだわからないわ」
剣を抜き放ち近寄る男達を見つめ、オルガが震える声で答えた。
「マルグリット様、お覚悟を」
事務的な声で騎士が告げたのは、オルガの本名だった。
オルガが姫だと知っていて、襲い掛かってきているのだ。
「させないわ!火竜の吐息!」
ヴァレリーがその魔力を解放すると、杖の先から巨大な炎の塊が放たれ騎士に向かう。
真正面から近寄ってきていた騎士の一人に直撃し、鎧ごと巨大な炎に包まれると、恐ろしい叫び声を上げながら騎士は地面に倒れこみ、やがて動かなくなる。
肉と脂が灼ける独特の臭いに、吐き気が込み上げる。
確かめるまでもなく、この男はもう死んだだろう。あっさりと死を与えてしまったことにヴァレリーは恐怖しながらも、オルガを守ろうともう一人の騎士に向き直る。
「協力者がこれほどの魔術を操るとは…」
騎士は少なからず狼狽したようだった。
進退を騎士が逡巡したその一瞬、ヴァレリーと騎士達の目の前に同じ鎧を身に付けた騎士が2人、投げ込まれた。
死んではいないが、どちらも脇腹と背から血を流している。
鎧を砕く一撃を与えたのは、青年だった。
「もう一人は拘束した。無事なのはお前だけだ」
青年が近寄りながら低く言う。
騎士は動けずに、それでも剣を下ろさず対峙している。
ややあって、騎士はあっさりと身を翻し夜の闇に消えていった。
仲間をその場に残して。
「さて…とりあえず、こいつらには眠ってもらった後で応急処置をして捨て置こう。もうすぐ夜が明ける。色々と情報の擦り合わせも必要だ」
「……」
「ヴァレリー、大丈夫?」
オルガが声をかけると、緊張が解けたのかヴァレリーはその場にへたり込んだ。
無理もない。元々危険と隣り合わせの生活をしている青年や、政敵からの暗殺の危険にさらされているオルガと違い、ヴァレリーは普通の家の普通の娘だ。
人に命を狙われる事も、まして奪うことなど今まで考えたこともなかった。
それを、逼迫した状況で力の加減が出来なかったとはいえ、人を殺してしまった。
平気なわけがないのだ。
「ヴァレリー、今は落ち込んでいる場合じゃない。お前だってオルガがどういう存在なのか知っていたなら、これも予期していたんじゃないのか」
ヴァレリーが驚いて顔を上げ、オルガを見つめる。
オルガはヴァレリーを助け起こしながら頷いた。
「さっき、お話したの」
「そうだったの…」
ヴァレリーは頷くと、ぎゅっと唇を引き結んだ。
青年の言う通りなのだ。オルガの秘密を知り、協力することを決めたときに、覚悟したはずだった。
ここで膝を折ることは、その覚悟が足りなかったということ。
「もう大丈夫。これからどうするの?」
ヴァレリーが青年に尋ねる。
「こいつらは親玉の名前を吐くと思うか?」
「いいえ、無理でしょうね。エンブレムも削り取られていますし、知ったところでどうすることもできません」
「だろうな。それなら、まずは予定通りフレミアの森で課題をこなすか。いずれにせよ、いつか王都に戻るとしても、国王との約束は果たしておいた方がいいだろう」
「追っ手が来るんじゃないの?」
「数日は大丈夫だろうな。兎に角、少しでも早く移動しよう」
青年の言葉にヴァレリーとオルガは頷くと、拘束してあった騎士を他の二人のところへ引きずってきて、簡単な怪我の治療を施した。
運が良ければ仲間に助け出されるだろう。
手早く荷物をまとめ、フレミアの森に向け歩き出す。
急げば森の入り口までは夕方には着く。
森に入ってしまえば、身軽な分追っ手の目を掻い潜り、余計な戦いを避けることもできるだろう。




