ゆうちゃんの傘 3
あ。ゆうちゃん発見。
「おーい。ゆうちゃーん!」
いつもは通らない変な位置にある2階の昇降口から外に出ると、階段の上のベンチにゆうちゃんが座っているのが見えた。
あまり使われていない小講義室が並ぶその先にあるこの階段を利用する人間は少ない。
ベンチも転々と設置されているが、屋根付きの場所を陣取るゆうちゃん以外の姿は皆無だ。
ゆうちゃんは壁に背をもたれて行儀悪くだらりと足を延ばしていた。
リラックスタイムだな。
こっちに顔を向けたゆうちゃんに手を振ると、目を凝らしている様に見えた。が、長い前髪が邪魔で良く分からない。
眼鏡をかけていない。あ、眼鏡かけた。
俺を俺と判別しただろうが、予想通り、特に手を振り返してくれるとか、にこっと笑ってくれるとかいうことはなかった。
だらーんと座ったままこっちを見ている。ほんと、なんとも言えずゆうちゃんだ。
「こんちは。何してんの?休憩?」
屋根の下を壁沿いにゆうちゃんの近くまで行き尋ねると、長い前髪の間から俺を見上げた。
「雨止むのまってるの」
「ふーん。そうなんだ。傘持ってこなかったの?送ろうか?駅?」
ゆうちゃんがちょっと持ち上げた俺の傘を見た。
「ご心配なく。俺のよ?」
しばらく俺の顔を見ていたゆうちゃんが、無表情のまま顔を正面に戻した。
ここで雨が下の人間に落ちるのを眺めながら待ってるのかな。
ゆうちゃんが見ている方に目を向けると、しとしと降る雨と階下の広場を行き来する色とりどりの傘の群れが良い感じだった。
「ゆうちゃんちょっとそっち寄って」
ベンチのど真ん中に座っていたゆうちゃんの腕を手の甲で軽く押すと、微妙に嫌そうな顔をしながらも端にずれてくれた。
よっこいしょと腰を降ろして、息を吐くと、ゆうちゃんが呆れた顔をしていた。
「何?いいじゃん、雨止むまで俺も居ていいでしょ別に。昼寝しても良いよ。見張ってるから」
「寝ないわよ」
「じゃあ、おしゃべりできるね」
からかったつもりだったが、ゆうちゃんはこっちを見てもおらず、あっさり無視された。
ゆうちゃんは顔を顰めて眼鏡を外した。
「どうしたの?」
ちらりとゆうちゃんが俺を見て、またすぐに見てくれなくなった。
「かけてるとすぐ耳が痛くなる」
「ふーん。貸して」
ゆうちゃんの手から眼鏡を奪うと、眼鏡の耳に当たる部分を少し曲げてみた。
「ちょっと!壊さないでよ?」
やっといつものゆうちゃんの調子が出て来た様だ。やけに今日は静かだったな。
「壊さないよ。どう?」
俺を睨んでいるゆうちゃんに眼鏡をかけようと差し出すと、眉間にしわを寄せたまま大人しくなった。可愛い。
変な所にぶつからないようそっと髪の中に眼鏡を差し込むと、ゆうちゃんが目を伏せた。
ゆうちゃんが位置を正そうと自分の手を眼鏡に当てようとして、まだ顔の近くにあった俺の手にぶつかった。
ぎゅっと握ってしまいたい衝動に駆られたが、その場に手を置いたままゆうちゃんの反応を窺うと、俺の手の中に自分の手を突っ込んだみたいになりながらも、普通の顔をして眼鏡を直していた。
うーん。手強いなゆうちゃん。
「どう?まだ痛い?」
「痛い」
即答だ。可愛いなあ。
「はいはい。もう一回貸してね」
もう一度眼鏡を外そうと、ゆうちゃんの手を退かしながら眼鏡を引くと、蔓の端がゆうちゃんの耳を擦った。
「痛い!」
信じられないと言う様な顔で俺を睨んで、激しくお怒りだ。
「ご、ごめん!」
「笑わないで!引っ張ったら痛いでしょ!耳痛いって言ってんのに!」
プリプリしながら雨の景色に目を戻したゆうちゃんが、耳をさする指が細くて可愛かった。
ゆうちゃんの手にさわって、慌てて眼鏡を引っ張っちゃう程に動揺してたのは俺の方か。
なんだか、面白いような面白くないような、気恥ずかしい気分だった。
何度か繰り返して眼鏡がゆうちゃんのお気に召した頃、雨が上がった。
「帰る。眼鏡ありがとう」
言いながらさっさと立ち上がって歩き始めたゆうちゃんを追いかけ階段を駆け降りた。
「じゃ俺も帰る。一緒のとこまで一緒に帰ろうよ」
ゆうちゃんが自分を追い越した俺の顔を無言で眺めていたが、いつもの様に黙認された。
嫌じゃないのか、どうでも良いのか。どっちなんだ。
「ねえ、何でどっちに帰るの?バス?電車?」
尋ねた俺にゆうちゃんが目で答えた。すぐそこの駐輪場だ。チャリか。
「えー。なんだ、チャリなの。一緒に帰れないじゃん」
ゆうちゃんきっと二人乗りとかさせてくれないよねえ。交通違反だもんね。
ゆうちゃんは俺をしかとして、ぎゅうぎゅうに詰まった自転車の奥の方をうんざりした顔で見ていた。
もしやと思ってゆうちゃんの視線を追うと、あった。やっぱりフルネーム書いてあるし!
そうだよね!傘以上に盗られたくないよね!
大笑いを堪えにやにやしながら手前の方の自転車の隙間に身体を入れた俺に、ゆうちゃんが怪訝な顔をした。
「これ全部退かすつもり?時間掛かるでしょ?」
笑いながらそう言うと、ゆうちゃんがもっと眉を寄せた。
「だってどうするのよ」
密集した自転車の中をガシャガシャと無理矢理進み、間違えようのないゆうちゃんの自転車に辿りついた。それをよっと持ち上げると、ゆうちゃんが目を丸くして面白かった。
ゆうちゃんには出来ないもんねえ。可愛いね。
「はいどうぞ」
小型の折り畳み自転車をゆうちゃんの前に降ろすと、俺の顔を真っ直ぐ見上げ、眉間のしわを消し、口の端をちょこっとだけ持ち上げて、「ありがと」と言ってくれた。
出会ってから少し伸びた前髪は斜めに流され眼鏡に乗っかっていたので、ゆうちゃんの柔らかい色の瞳が良く見えた。
初めてゆうちゃんがちゃんと俺を見てくれた気がした。
人はこれを連載と言うのでしょうか。