『ガラスの未来』05
和田町に残り捜査を続行するよう指示を受けはしたものの、一度事件から手を引いた犯罪組織がそう簡単に尻尾を見せるわけもなく、朱莉と紗雪は捜査に行き詰まりを感じはじめていた。
誘拐事件から一週間が経ったこの日、二人は成果報告のついでに、会談が開かれる翌日以降の予定を枝里と確認するためにイシュタルへと戻った。
すでに和田町のマンションでの生活に慣れつつある朱莉には、イシュタルの食堂の風景が少しばかり懐かしい。以前から外部に滞在することは多かったので、むしろこれでこそ仕事をしている実感がもてる。
食堂の中で枝里が指定してきた席は、いつも集まる席よりもずっと後方に位置する隅の席だった。
「会談が開かれてる期間中、いざ組織を発見したとしても、どのみち戦力をあてづらいのよね。というわけで下請組織についての捜査は一時休止。しばらくは気軽に構えててもらって結構よ」
枝里は席につくなり開口一番、気の抜けるような報告をしてくる。
成果がないことを多少なりとも咎められるだろうと構えていた二人は、拍子抜けな言葉を前にほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、あたしらは実質お休みってこと?」
「残念ながら、ぐうたらしてろっていう訳にもいかないのよね。ちょっと個人的に進めている捜査の手伝いをして貰いたいの……もちろん、今回の事件とも関係しているかもしれない事として」
そう言って枝里が胸ポケットから取り出したのは、見ず知らずの親子の写真。父母と娘一人、どこにでもいそうな構成の家族である。
写真を差し出す枝里は、妙に周囲の目を気にしている様子だ。
「この写真……どなたですの?」
「誰なのか、それを調べてほしいのよ。申し訳ないけど、情報がまったく無くてね……」
「どうしてまた、そんなものを調べてるのさ?」
「緋桐ちゃんの両親殺害になんらかの形で関係がある、と考えてるからよ。ひとまず言えるのはそれだけ。…………この件はなるべく緋桐ちゃんには秘密でお願いしたいわ」
「へぇ……。ま、おなじ和田町で起きたことだからね。緋桐の件と誘拐事件の間に何かあるかも……とは、あたしも薄々思ってたけどさ」
「手がかりは現状まったくない、と考えて良いですわね?」
「えぇ、ごめんなさい」
申し訳なさそうに頼み込む枝里の瞳に、熱い炎が灯ったように見える。少なくとも無駄働きに終わることは無いはずだと思わせてくれる、確信に燃える炎だ。
理不尽なまでの捜査条件だというのに、朱莉は不思議と断る気になれない。もう3年以上になる付き合いのなかで、枝里のことは誰よりも信頼できると知っていた。無論、紗雪への信頼を別格とした場合にだが。
「わかった。とりあえず聞き込みなり何なりやってみるさ。紗雪はどう?」
「えぇ。わたくしも異存はありせんわ」
「ありがとう……頼んだわ」
言い終わった直後、枝里の腕時計がアラーム音を鳴らしはじめる。どうやら次の予定が詰まっているらしい彼女は、別れを告げるとオフィス棟のほうへと駆け足で去っていった。
「今日の午後から聞き込みでも始めよっか」
「ですわね。……あぁ、出来れば先に戻っていて頂けますか」
「ん、何かあるのかい?」
「えぇ……いわゆるサプライズの用意ですわ」
「ほほーう。それは期待していい?」
「期待以上のものになると自負していますわ」
「そっか! じゃあ楽しみに待っておくよ」
「……ふふ」
一足先に出口へ向けて歩き出した朱莉を、紗雪が紅潮した微笑みで見送る。
サプライズという言葉を受けて、そういえば誕生日が近いな、と朱莉は思い出した。おそらく誕生日プレゼントの準備をしてくれているのだろう。
何をしてくれるのかという期待よりも、自分ですら忘れていた誕生日を、紗雪が一番に意識してくれていたことが無性に嬉しい。それだけで少なくとも今日一日は幸せに過ごせそうだ。
食堂を出る直前に朱莉が振り返ると、紗雪は購買の前でこちらに手を振って応えてくれた。