『ガラスの未来』04
アナトの会談への出席を明日に控えたイシュタル本部は、ひどく慌しい空気に包まれていた。会談が行われる数日間にかけて、イシュタル本部の人員は半減する。その前に仕事に一段落をつけようと皆奔走してるのだ。
オフィス中どこに目を向けても、必ず視界の隅では誰かが駆け回っている。嵐の渦中にあるような騒々しさを肌に感じつつ、これといってすべきこともない緋桐はただぼうっと応接ソファに腰掛けオフィスを眺めていた。
会長とアナトに呼び出されたシルヴィアが戻ってくるのを待って、そろそろ10分が経とうとしている。
組織で最も偉い二人に呼び出されるなんて、どれだけ重大な用事なのだろう。
そもそもイシュタルの会長を一度たりと目にしたことがない緋桐は、そんな未知の人物が腰を上げるほどの事態に戦々恐々としていた。とはいえ待っている間じゅうずっとビクビクしているわけにもいかない。
暇を持て余し周りを見回すと、入口付近のベンチに緋桐同様に手持ち無沙汰そうな少女の姿がある。せかせかと行きつ戻りつする周囲と対照的に、彼女の居る場所だけは台風の目のように穏やかそのものだ。
思えばイシュタルに所属して一月経つというのに、未だにシルヴィア、朱莉、紗雪以外の魔法少女とまともな親交がない。ここで一つ交友関係を広げる良い機会かもしれないと考えた緋桐は、意を決して少女に話しかけた。
「……」
「あー……」
近づいてみると、少女は想像を絶するまでに退屈そうな顔をしていた。毒キノコを食べて失神した顔、とでも形容できるか。
艶のある長髪を両耳の真上で結んだツインテール。ぱっつんの前髪に隠れた眉は少し太く、目鼻立ちは決して悪くないが特別ハッキリしているわけでもない。5人組アイドルの一番地味なポジションにいそうな顔だ。
その地味なポジションのアイドルが心底退屈そうな顔でくたばる様には、13、14くらいと思われる年齢と反して不思議な貫禄が滲む。
「えーと、こんにちは……?」
「うー………………えっ、みら?」
「みら?」
「ごめんごめん。今どくから」
「あっ、そうじゃなくて!」
少女はすこし身構えた様子で緋桐の声に応えた。どうやら作業か何かの邪魔になっていたのかと慌てているらしい。
「私も暇だったから……貴女もだよね? ちょっと話でもしようかなって」
「あぁ、なるほどね……こっちは加藤みら。そっちは?」
「救仁郷緋桐、最近入った新人です。よろしくね」
「へー、新入りさんだ。みらのこと知ってる?」
「? たぶん、初めましてだと……」
「はいはい、ちょっと待ってね……これ見たら多分すぐ思い出すから」
そう言うなり、みらは突如として顔を隠すように俯いて大きな深呼吸を始める。ほどなくして再起動がかかったロボットのようにゆっくりと顔を上げると、そこには先ほどまでの生気の尽き果てた面持ちとは真逆の、底抜けに明るい笑みが貼り付いていた。
「みらくるみららる~ん! ブーケトス王国からやって来た、オリオンスター・レモネード・ミラージュ姫。13歳だよよ~! みら姫って呼んでねっ☆」
「………………」
刹那の逡巡ののち、一拍遅れて冷や汗が吹き出す。みらの奇行はあまりに唐突で、恐怖や困惑などの感情よりも先に寒気を緋桐に感じさせた。
可憐な決めポーズのまましばらく静止していたみらは、緋桐の無情な反応になにを思ったのか、また素の表情に戻る。
みらの思いも寄らぬ奇行に面食らって混乱する緋桐に、これ以上何をどう反応しろと言うのか。
「コレ見たことない?」
「ないです」
「マジ? みら、これでも裏社会では名の通ってるアイドルなんだけど」
「裏社会にもアイドルってあるんだ……」
「みらが一人で勝手にやってるだけ……。裏社会に放り込まれる前はアイドルやってたから……未練があったっちゅーか、何というか……あー……やってらんね……」
「は、はぁ……」
いつの間にかみらの体勢は最初と同じ、毒キノコを食べて失神したような有様に戻っていた。
「えーっと、お互いどう呼んだらいいかな……?」
「そっち何歳?」
「14……だけど」
「みらは13。けどみらのほうが先輩だから、ここは互いにさん付けが無難じゃね?」
「あ、はい……」
「緋桐さんは護衛役?」
「私は本部に残る側です」
「そっか。まぁ退屈に思えるかもしれないけど、本部守るのもそれはそれで大事だから。頼むよ」
「は……はい…………」
ベンチにへたり込む13歳の少女の姿が、数多の修羅場をくぐり抜けた老練な大女優のように見えてくる。煙草を咥えていたら完璧だっただろうな、と緋桐は思った。
彼女にだけは敵わない、と思わせる不思議な気迫。これがアイドルの業というものなのだろうか。