『ガラスの未来』03
紗雪と朱莉が組んだ初めての戦闘は、7倍もの数の不利を覆して勝利に終わった。要した時間はわずか1分。それもさしたる苦もなく成し遂げてしまったのだから、爽快という他に言葉がない。
不可視の壁を盾にして朱莉が敵陣を突貫し、混乱した運転手たちを後方から紗雪が狙撃。撃ちもらした数人と銃撃手を戻ってきた朱莉が一掃する。このシンプルな作戦が斯くも理想的な形で成功した要因には、紗雪の精神に安心感が充足していた事もあるかもしれない。
突貫した朱莉の背を追う敵は紗雪が撃ち落とし、紗雪の狙撃に気づいた敵はいち早く朱莉が打ちのめす。たったそれだけの連携が、紗雪の心の欠けた部分を満たして余りあるほどの安らぎをもたらした。
前へ前へと進み続ける人がいる。どんより曇った視界のなかで、その背中がどれほど頼もしかったことか。
二人の力で潜り抜けたこの戦いに、かたや朱莉はなにを思っただろう。イシュタル本部の寮に帰り着いた紗雪は、ふとそんな事を考えていた。
「気持ち良いまでの勝利、でしたわ。……貴女はどう感じました?」
「正直、超良かった。あんなに背中を気にせずに走れたの……久しぶりだったから」
「わたくしも……まぁ、なんと言いますか……貴女が前を行ってくれて頼もしかったです……わ」
「そっか」
「えぇ」
妙な照れくささから会話が途切れ、ぎこちない間が開く。
戦闘中のよくも悪くも昂揚した態度とは打って変わり、朱莉の口調は最初に会ったときのように堅くぶっきらぼうなものに戻っている。ただし、最初に会った時よりもわずかに表情が緩やかで、頬がどことなく紅潮して見えるところは違った。
紗雪は知っている。戦いのなかで垣間見た朱莉の笑顔――――きっとあれこそが彼女の本当の姿なのだ。
今は戦っている間だけしか笑ってくれないかもしれない。ぎこちない表情でしか笑えないかもしれない。
ならば、いつか彼女が満面の笑みを浮かべられるようにしてやる。初めて会った日に見たあの“嫌な女”を、笑顔によって消し去ってくれる。
密かに決心する紗雪の視界には、世界を隔てるようなあの雨雲はない。
――緋桐とシルヴィアが出会った日より3年前のことであった。
◆◇◆◇
現在
聴いているあいだは永遠に続くのではないかと思うような読経も、終わってしまえば物恋しくなる。別れの時が近づいていることを少なからず実感してしまうからだ。
棺桶に色取り取りの花を手向ける遺族と数人の刑事たち。そのなかに相模の姿はあった。
瀬川刑事の葬儀は、遺族と親密な間柄の人間のみでしめやかに執り行われた。
よく家飲みに誘われて上がった居間も、今は鯨幕に覆われて牢獄のように見える。犯人をこの手で捕まえることも叶わず、あげく行き着いた先が牢獄とは酷い皮肉だ。
笑えもしない考えを拭い去るように前を向きなおすと、棺桶の中で眠る瀬川の姿が不意に目に映って、相模はまた悲愴に暮れる。
眠る瀬川の顔は仄かに青白く、ぴくりとも動かない。生命活動を終えた人の顔というものは、良く出来たフィギュアのようだ。
誰よりも恭敬していたあの人が、自分のせいで造形物へと変わってしまった。
いくら悔やもうと時が巻戻ることはない。それでも相模は、後悔と自責を止めることが出来なかった。
やがて餞が終わると、いよいよ棺桶が運び出されていく。
そのさまを少女――瀬川の娘――は泣き崩れるでもなく、ただ立ち尽くしたままに見送っている。隣に立つ母親が肩を抱いて支えると、張り詰めていた何かが緩みゆくようにじわり、と涙を目に滲ませた。
「私のこと、どう思ってたんだろうね……お父さん」
「愛してたに決まってるでしょう」
「こんなことになるなら、もっと仲良くしてれば良かった……」
「気持ちは充分伝わってるわ。貴女が立派に育って、きっとお父さんも幸せだったはずよ」
「そんなんじゃ足りないよ……」
少女は今年で14になるという。近頃は反発しあうことが多くなってきたと、生前の瀬川がよく語っていた。
緋桐や紗雪も同じくらいの年頃だろうか。彼女らも親を亡くした時はあんな風に泣いたのだろうか。そう思うと胸に鈍く重いものが刺さるようで、ひどく息苦しかった。