『ガラスの未来』21
イシュタル本部への転移結界は専用のパスを持つ者のみに門を開く。その通行履歴はオフィスにあるディスプレイで確認できるようになっていた。
午前11時34分。新たにディスプレイの情報が更新され、たった今結界を通った者の名が表示される。表示された名前は相模直人。拉致され安否不明となっていたはずの刑事の名だ。
すでに昨日の事件が知れ渡っているオフィスでは、居合わせた魔法少女や事務員たちが騒然とした。一同は生還した相模を迎えようと窓際に集まる。
だがコスモス畑を抜けて姿を現したのは、黒衣を纏った長身の男、粛清者シリウスであった。
期待を裏切る最悪の来訪者。想定外の襲撃に、少女たちは口々になぜだと戸惑う。
粛清者は相模の持つパスを利用したのだろう。問題はなぜ彼が転移結界の座標を知っているのかという点にある。いくらパスがあろうとも入口の座標を知らなければ意味がない、そう高を括っていたイシュタル関係者たちの見通しは完全に裏目に出た。少なくともこんな短期間のうちに襲撃を受けるとは誰も予想し得ない。
緊急連絡を受けて駆けつけた枝里がすかさず魔法少女たちに指示を出す。
「警報鳴らして! オフィスにいる子はみんなマジカライズライフルを武装、散開しつつ迎撃! 寮にいる子たちも事態を把握し次第、迎撃に加わるのよ!」
「非戦闘員はどうします!?」
「アナトに連絡したあと、会長を連れてひとまずオフィス棟最上階に退避! 迎撃にあたる子たちは非戦闘員の退避を確認後、敵を寮棟に誘い込んで!」
枝里の指示は手際よく鮮やかなものだ。非常事態にあたって取り乱すことのない彼女の姿勢に後押しされ、居合わせた少女たちは早鐘を打つ胸を抑えながらそれぞれの持ち場へと走る。だが内心、最も焦りを感じているのは他ならぬ枝里だった。
アナトが留守にしているこのタイミングでの襲撃。本部に残った全員の命を預かっている身として、これ以上に恐ろしいことはない。戦闘開始を告げる銃声が、心臓に殴られたような衝撃を走らせる。
イシュタル創設以来、最悪の一日が幕を開けようとしていた。
黒服の男を追って朱莉が辿りついた場所は、先日の町外れとは真反対の埠頭だった。だがやはりここでも彼らの潜伏場所は倉庫の中にあるらしい。
男はよほど格の低い素人だったらしく、こちらがひとたび姿を隠してみるとすっかり警戒を解いてしまったので、朱莉としては少々物足りないほどに容易い追尾であった。
倉庫に入っていく男の背中を見送ったあと、朱莉はひとまず近くのコンテナの陰に隠れ、紗雪と連絡を取ることにした。
「潜伏場所についたよ紗雪。埠頭の北側、42番倉庫だ」
『了解。今から向かいますわ』
「ところで枝里さんからは何て?」
『それが……連絡が取れないのです。いくらやり直しても全く駄目ですわ』
「うぅん……応答があるまで待つっていうのも難しいなぁ。その間に警備を強化されちゃ溜まったもんじゃないしさ。いっそあたしらだけで制圧してみない?」
携帯のスピーカーを一旦離し倉庫のほうへ耳を傾けてみると、なにやら怒声が飛んでいるようだった。すぐそばとはいえ、倉庫とコンテナの壁を挟んでいる現状では彼らの会話の仔細までは聴き取れない。加えて、本来なら術者の発する音のみを断つ遮音結界も、結界魔術を不得手とする朱莉の場合では外界からの音まで減じてしまう。
だが想像するだけなら難しくはない。おおかた、尾行に失敗したことを叱責されているあたりだろう。
『いくらなんでもそれは危険ではなくて? ここは一旦退きましょう』
警備を強化する兆しがまだない今なら、潜入して構成員を一人ずつ仕留めていくことも出来なくはない。しかし万一の事態を考えると、枝里との連絡が途絶されているうえ、紗雪との合流にも多少の時を要するこの状況は後々に不都合だ。
リスクとリターンの比はぎりぎりまで天秤を揺らしたが、やはり僅差で前者が勝利する。ここは退くのが賢い選択だろう。
「それもそう、か……仕方ない。ま、撤退する前にちょっとでも盗み聞きしておくとするよ」
朱莉は通話を切ると、改めて倉庫内の声に傾注する。同時に遮音結界を解いたため、先ほどよりは幾らか会話が聞き取りやすい。
そうして最初に耳に入ってきた言葉は、思いがけず朱莉を凍りつかせた。
「言うても魔法少女に跡つけられてるかもしれませんぜ? どうしますか龍蔵さん」
“龍蔵”。
虎総院家を滅ぼし、朱莉に一生のトラウマを植えつけた者どもの姓。最も忌々しく酸鼻な死を想起させるワード。
その二文字を聴くことはもう無いだろうと信じて疑いなどしていなかった朱莉は、不意のあまり崩れ落ちる。それによって発してしまう音などに思慮は及ばない。心の中は恐怖の念のみに支配されていた。
倉庫内の男達がそれに気付いたことなどは言うに及ばない。徐々に足音が数を増して朱莉のもとへ集まりはじめる。
逃げ出したくとも足がすくんで立ち上がれない。朱莉は無情に迫る絶望の時を、ただ成す術もなく待っているしか出来なかった。




