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『ガラスの未来』01

 翠西会(すいせいかい)虎総院(こそういん)一家といえば、地域でも広く名の知れた極道の家柄だ。日々抗争に明け暮れ、血生臭さと硝煙の焦げ臭さが絶えない虎総院家の総門には、まともな市民なら誰一人として近寄ろうとしない。虎総院の門に触れる者は、それだけで怖れ忌避される対象となる。

 虎総院一家の愛娘にして齢9つになる虎総院朱莉(こそういんあかり)は、そんな世の習わしを常々腑に落ちないと考えていた。無論、組の者たちがどれだけ恐ろしいことを生業としているのか、知らない彼女ではない。彼女の身を護る者たちの出で立ちが世間の他の大人たちよりも厳つく、不自然に豪奢であることも気づいていた。

 かといって皆が皆恐ろしい悪人ということはなく、むしろ朱莉の世話係をしてくれた者たちは、不器用だが根の優しい者ばかりだった。極道のしがらみから完全に開放されたとしたら、その時彼らはきっと誰よりも真人間になれる。

 いつか虎総院一家を背負って立つ時、極道の世界そのものを解体してやろう。世の不条理を背負わされた日陰者たちに、日向の世界でやり直す機会を与えて見せよう。朱莉はそう堅く決心していた。が、結果的にその日は永遠に訪れなくなってしまった。

 虎総院家の閑寂にして平凡な夜はある時、組員の悲痛な絶叫によって唐突に打ち破られた。

 かねてから冷戦状態が続いていた龍蔵(りゅうぞう)一家による奇襲。それはやがて、龍蔵一家組員の摩訶不思議な能力による一方的な虐殺へと様変わりした。

 電気やら水やらと様々な“現象”が虎総院一家を襲うなか、とりわけ炎を操る術者による殺傷数は群を抜いていた。その男が放つ炎はまさしく龍のように宙を舞い、次から次へと虎総院一家の組員たちを焼却し、溶解し、歪な姿へと変貌させてしまう。

 凄惨を極める抗争の果てに、最後に残った朱莉だけは唯一殺されずに済んだ。否、殺してもらえなかった。

 くまなく赤黒い色に染め上げられてもはや巨大生物の体内のようになった屋敷にへたり込む朱莉に、炎の術者は優しく笑いかける。

「この酷い有様の中でお譲ちゃんだけが生かされた、その理由は何だと思う?」

「…………こ、子供……だ……から…………?」

「そう、子供だからな。お前にはある意味で無限の未来があるわけだ。人生まだまだ始まったばかりだし、子供のお前は生き続ける義務がある」

「………………」

 非道の輩どもと胸中で罵り、憤怒と恐怖に震えていた朱莉は、男の優しい笑顔を前にはたと思い直す。

 彼とて虎総院の組員たちと同じように、日陰者に身を落とさざるを得なかった人間なのだ。この凄惨な襲撃もあくまで組の長が差し向けたことで、彼らは自らの立場上せざるを得なかっただけではないのか?

 子供の将来を貴び、命を奪うことを良しとしない。そんな仁の心が彼にも残っているのかもしれないと、淡い希望を抱いた。

 しかし男は優しい笑顔から一転し、佞悪醜穢な性根を曝け出すように下品な笑みを浮かべる。

「そんな未来あるお前の一生涯を俺の手で汚し尽くせるってのは、今この場で殺しちまう一時の快楽を遥かに上回るよな?」

「ヒッ……」

 血肉にまみれた床へ突如として組み伏せられた朱莉は、背後に立つ男の手にする工具のような機械を目にして、これから自分が何をされるのかを悟った。極道の門に生まれた朱莉は何度か見たことのある、刺青器具だ。

 少女の柔肌をキャンバスの代わりとするが如く、針が縫い、墨が染めていく。カッターナイフで切りつけられるような痛みが背中を刻み、朱莉は苦悶の声を漏らす。そのたびに男たちは子供のようにはしゃぎ、笑っていた。

 刺青を彫り終えても男たちの“遊戯”は終わらなかった。弱冠9歳の少女には想像すらつかないような、ありとあらゆる恥辱を受けた。それから朱莉が開放されたのは、丸一日と半が過ぎた頃。

 無間地獄にも等しい辱めを受け続けた後、朱莉は遊び飽きた人形のように適当な路地裏に捨てられた。

 苦痛の余り、もはや五感の全てに痛覚だけしか感じられない。無慈悲に降り続ける雨だけが痛みを和らげてくれるような気がして、捨てられたままの姿でずっと雨風に打たれ続けていた。

 するとしばらして水溜りに背中の刺青が映りこんでいることに気がついた。

 背中に描かれた龍が、その凶悪な眼差しで朱莉を睨み付ける。龍の瞳の奥に恥辱と苦悶の数十時間が見えるようで、いてもたってもいられず朱莉は走り出した。

 あらん限りの力で走り続け、振り向いてはまた何処かしらに映り込む背中の龍からまた逃げる。

 どこまで逃げ続けても龍は背中に付いてきた。



 紫陽花畑の向こうに立ち込める雨雲は、この場と世界とを隔てる巨大な壁なのだろうか。

 オフィス棟の窓際に身を預け窓の外を眺める上福元紗雪の心は、深海の暗闇にも似た虚無感に塗りつぶされていた。縋るべき両親を亡くしたばかりの今の紗雪には、もはや明日どころか数秒前の過去すら考えていられない。

 背広を着たイタチに長々と講釈を受けた挙句、契約書にサインをしたところまでは覚えている。その後しばらく意識が途切れ、気がつけばこんなふうに壁にもたれかかるようにして寝かされていた。

 なにやら魔法少女になっただとか、仕事をこなして貰うかわりに生活は保障するだとか、そういった説明も受けたが全て耳を素通りしていったから、いまいち状況を呑み込めていないし興味もない。とどのつまり、紗雪は何も考えていなかった。

 晴れた空を眺めているうちはまだ、両親と頻繁に世界中を旅していた頃を思い出して気が楽だった。が、そんな空が雨雲に覆い隠されてしまったあたりから、思い出に浸ることも出来なくなり、次第に思考を放棄するようになっていた。

 何度か名前を呼ばれたような気もしたが、応じるのも億劫なので無視した。しばらくして、より大きな声がふたたび紗雪の名を呼びかける。

「上福元紗雪。あんたが、あたしのパートナーなんだって?」

「…………貴女は?」

「朱莉。苗字は訳あって口外できない」

「……何の用ですの?」

「寮の案内と明日からの仕事の説明をする。ついて来な」

 朱莉と名乗る少女はやたら無愛想だった。

 セミロングの髪の下に小麦色の肌が覗き、服装もTシャツにホットパンツというラフな出で立ちであることから、普段は活発的な性格なのだろうと窺える。だからこそ殊更に愛想の無さが鼻につく。

 ここで働く少女たちは皆、紗雪と同じような境遇の者ばかりだという。きっと両親の死をいつまでも嘆いている紗雪の姿が、朱莉にはよほど苛立たしいのだろう。

 嫌な女――――それが朱莉と出会った紗雪の最初に抱いた印象だった。


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