Blood3:埋マラヌ溝 part1
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草木も眠る真夜中の頃、静寂が全てを支配する世界で僕は彼女に会った。
その出会いが間違いだったとは思わない。
その別れが間違いだったとも思わない。
ただ、その過程が間違いだったとは思う。
もしも僕が彼女の全てを知っていたとしたら。
もしも僕が彼女の求める全てを叶えてあげることが出来たのなら。
きっと、あのような出会いや結末にもいたらなかったはずだ。
彼女から全てを奪うことにはならなかったはずだ。
なぜ、そんなことを思い出してしまうのか。
そう考えてみる僕だが、きっとそれは鈴山さんが彼女に当てはまる部分が多いからだろう。
そんなことを思いながら僕はすっかり暗くなった夜の空の下、やっとこさ帰路につこうとしていた。
「さて…と。それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ。色々とありがとう、リリーさん」
僕は店内に捨てられていた自分の学生鞄を拾い上げては、別れの言葉を発した。
店内の一端にあるカウンター席の床のところに不気味な穴が開いているのは果たして何故だろうか。
なんだか、一気に情報を頭につっこんだせいで、ちょっとした脳内エラーが起こっているようだ。
「ありがとうだなんて止めてくれよ春斗君。頼み事をしているのは私の方なんだから、むしろこっちがお礼をいうべき立場だよ」
深紅に染まった長髪をなびかせながら、こちらに向かってくるリリーさんは、どうやらわざわざ僕を見送りにきてくれたようだった。
変なところだけは無駄に律儀な彼女である。
「今日、私が君に話したことはあくまで表面上の情報だ。その更に深い情報が欲しいのなら直接本人に聞いた方がいいだろう。時間もないところだし、出来るだけ早急に、ね」
「当然だ……と、言いたいところだけど…突然会いに行って詳しく素性を聞き出すだなんて出来るのかな?」
「と、いうと?」
「いや…リリーさんは知ってると思うけど、僕は鈴山さんに手をあげてしまったし、それになんだか隠していた身分がバレてしまったとかなんとか…」
自分にとって不利益となる事が一気に起こったということもあり、今の鈴山さんの心境は大変穏やかではないはずだ。
色々なものが混ざり合って混乱しているだろうことも予測はつく。
そんな状態の鈴山さんが、いきなりそういった話を易々としてくれるとは到底思えない。
それに加え、僕はただてさえ彼女に目の敵にされているのだ。
現にリリーさんが、今日鈴山さんに会いに行こうとした僕に話し合いになるどころか益々機嫌を損ねるだけだから止めておけと忠告してくれたくらいである。
鈴山さんに自身の素性を話してもらえるかどうかというよりは、そもそもまともな会話さえ成り立つかどうかといったところ。
こんな不安があっては流石にポジティブに物事は考えにくい。
そんな心配があるという旨を伝えたところ、壁に体を預けているリリーさんは鼻で軽く笑ってみせた。
「安心してよ春斗君。大丈夫、その心配は無いよ」
「でも、そんな簡単に事が進むとは思わないんだけど…第一、今の鈴山さんは精神的にも落ち着いていないんしゃ…」
「はぁ~……全く、君は相変わらず他人に対しては執拗なまでの心配を示すよね~。自分はなりふり構わず行動するくせに」
やれやれ、と首を軽く左右に振るリリーさんは、その調子で言葉を続ける。
「鈴山 山葵は君が思っているよりも強い子だよ。性格もそれなりだ。だから安心すると良い。それよりも私は君があらぬ地雷を踏む可能性の方が怖いよ」
人をトラブルメーカーみたいに言わないでもらいたい。
そう口にしようかとも思ったが、よくよく考えれば今回もそのあらぬ地雷を踏んだせいでこうなっているのであった。
客観的な意見は時に反論を言わせぬ特効薬である。
「まあ、とりあえず明日は聖安役所に行ってみると良い。時間はそうだなぁ……午前の11時23分の入り口前。そこで鈴山 山葵に会えるはずだ。明日は土曜日だし行けるだろう?」
「行けるは行けるけど……でも、なんで役所なんかに?」
「この前、君の学校で鈴山 山葵が倒した合成魔がいただろう?後掃除は頼めばやってくれるけど、合成魔を封印した札の鑑定は魔払い師が直接役所に赴かないといけないからね。場所についてはどうやら自力で調べたようだね」
言われて、ようやくそうだったなと思う僕。
その場に居合わせていない人物に、ここまで詳しく言われると何だか不思議な気分である。
「とにかく、分かったね春斗君。君の仕事は鈴山 山葵に吸血行動をとらせることだ。といっても無理矢理じゃなく、キチンと自分の意志でやらせるんだ。わかったかい?」
「分かってるよ……ところで、誰の血を吸わせるんだ?」
まさか、誰か一人血を提供してくれる人間を連れて行かなくてはならないのだろうか。
もし、そうなら結構な重労働である。
「ああ、それなら問題ない。鈴山 山葵には協会から血液を濃縮させてカプセル状にしたものが渡されているからね。仮にも魔払い師が、守るべき民間人の首に歯をつきたてて血を吸ったりなんかしたら大問題になるからね」
なる程、確かにそうだと思う僕は、しかし同時にこうも思ってしまった。
それって最早吸血行動とは言わないのではないのだろうか、と。
それをいったらなんだか本末転倒な感じがしたので、利口な僕は口を紡ぐことにした。
「じゃ、じゃあ僕は帰るね。それじゃあ…」
そういって、店の出入り口の扉のドアノブに手をかけようとした瞬間。
「あっと、忘れるところだった!」
今まで壁に体を預けていたリリーさんが、突然何かを思い出したかのように慌てて店の奥へとひっこんでいった。
一体全体なにを忘れたというのだろうか。
それを考えるための時間など与えられることはなく、すぐさま店の奥からリリーさんが出てきた。
その手には何やら古風な箱が握られている。
「ほら、これが甘辛の問題。といっても、この場合は問題というよりはプレゼントといったほうが良いのかもしれないけれど」
リリーさんは僕にその箱を手渡して、そう言った。
プレゼントとはどういうことだろうか。
和菓子かなにかだろうか?
とにもかくにも早速、手渡された箱を僕は開けてみた。
すると、そこには黒い文字で複雑な模様がかきこまれている一枚の真っ赤札と、日本刀の刀身だけを抜き取ったような柄と鐔だけで留まった日本刀のなり損ないのようなものが一本入っていた。
何も知らない人がこれを見たら、単なるガラクタにしか見えないだろうが、しかし僕はこの二つのことをよく知っている。
その価値の高さは、この身をもって経験済みである。
「リリーさん、これって……」
「そう。この前の事件で大破した霊刀・紡燕と、大けがを負っていた君の式だよ」
「な、直ったの!?あんなに粉々になってたのに…」
「霊刀は名のある修理屋に、式の方はその道の魔払い師に頼んだんだ。いや~、私も協力したんだけど、なかなか苦労し………」
リリーさんが話をしている最中であった。
唐突に、それこそ何の前触れもなく僕の手に持っていた真っ赤な札から淡い光が発せられたかと思えば、その直ぐ後に続くようにボワン!と白い煙が僕とリリーさんの間で発生したのだ。




