Blood1:吸血ノ少女 part2
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階段をのぼって直ぐの所に、とある一室がある。
そこは放送部と呼ばれる部活が使っている日当たりの悪い部室であり、同時にそこは僕の所属する部活であり、現在進行形で僕がいる所だ。
部屋にいるのは僕を合わせて二人。
肩より下位の長さの黒髪の右横だけ三つ編みにした気品のある少女。
それが、僕の目の前に座っているクラスメイトの財前 由佳奈という、もう一人の部活人である。
財前家はここ、東雲町において圧倒的な権力を有する一族であり、彼女の性格もまたそこに類似した点がある。
さて、我々放送部の活動は学校行事や町内会の活動を撮影し、記録におさめることである。
が、しかしそういった機会はほとんどなく、大半はこうやって暇を持て余している位でしかなかった。
なので、僕が静かに本を読んでいても、由佳奈が携帯ゲーム機片手に白熱した戦いを繰り広げていても、なんら問題はないのだ。
そもそも活動する機会がないので、本来であれば部室に来る必要もないのだが、それでも僕と由佳奈は毎日のように、ここに来ては各自やりたいことを好きなだけやっていた。
単に暇つぶし程度の感覚である。
「ねえ、春斗」
突然、由佳奈が声をかけてきた。
読書に勤しんでいた僕は視線を本から由佳奈の方へと移す。
「どうした?またゲームの相手か何かか?」
「残念でした。これは一人用のゲームです~」
「じゃあ、何だよ」
「あっ、ちょっと待ってて。今、良いところだから」
自分から呼んでおいて、なんという身勝手ぶりだろう。
それに、今の言い方だと何だか僕が話をきりだしたみたいになっているではないか。
僕は単に本を読んでいただけだというのに。
カチャカチャカチャカチャ、というボタンを巧みに操作する音が室内に響くこと数分。
「あのさぁ…」
由佳奈が、ようやく口を開いた。
が、しかし視線はこちらを向いてはいない。
今現在、由佳奈の視線を独り占めにしているのは彼女の握る携帯ゲーム機だ。
全く……こいつはアイコンタクトという言葉を知らないのだろうか。
「春斗ってば、何回Yシャツ買えばいいわけ?」
「うん?」
「いや、だから」
と、由佳奈はゲームをポーズ画面にしてから再び口を開く。
「春斗は入学してから卒業するまで、いったい何回Yシャツを買うつもりなのって聞いてるの」
「し、知るかよ、そんなこと……ってか、お前に関係ないだろ」
「関係あるわよ」
短く言い放ち、由佳奈はゆっくりと部屋の隅を指さした。
そこには所々が黒く染まったボロボロのYシャツが、これでもかという程たんまりと入ったビニール袋の数々があった。
「部室のゴミ回収は週に一回よ?しかも昨日。なのになんでこう直ぐゴミを増やすのかしら?」
呆れたように、由佳奈は頭を抱える。
「仕方ないだろ…それに別にわざと増やしているわけじゃあない」
「仕方なくなーい。アレのせいでゲームに集中できないのよ。なんとかしなさい」
「できれば苦労しないっての」
「まったく…かれこれ3週間かしら?よくもまああの子も飽きないものね」
「僕は呆れかえってるけどな」
そういってから、僕は短くため息をついた。
というのも3週間前の、ある事が原因だ。
部活も終わったので、帰ろうと帰路についた僕は、部室の鍵を閉め忘れたことに気付いた。
別にとられてマズいものはないのだが、一応部室の鍵を閉めるというのは決められたルールなので、仕方なく僕は学校へと引き返したのだ。
そこで、ふと体育館倉庫の裏に何やら不思議な気配がした僕は行かなければいいのに、ついつい興味本位で行ってしまった。
すると、そこにいたのは小柄な体の一人の女の子だった。
みれば地べたにペタリと座り込んで顔を俯けていた。
グスン…グスン…と、一人寂しく泣いていたようだった。
見たことのない顔だったが、僕は気にせず声をかけた。
何とか力になってあげたかった。
すると、泣いていた少女は驚いたように立ち上がり……そして冒頭のシリアスシーンへと繋がるわけである。
「っていうか、今更だけど何で狙われてるわけ?一応、その子の誤解は解けたんでしょ?」
「ああ、僕は君の敵ではありませんよって感じでな。しかしながら、他の問題が浮上したわけですよ」
「どういう?」
「ヒントその一!僕の体!ヒントその二!彼女は魔払い師!」
「……そういうことね」
「そういうことです」
あらかたの事情を知った由佳奈は、ふーん。と適当に相槌をうってから、直ぐにまたゲームをピコピコとやり始める。
どうやら質問は以上で終わりらしい。
僕は栞代わりに挟んでおいた指を抜き、再び読書の世界へとのめり込もうとした。
その時だった。
ドンドン!と、部室の扉が唐突に叩かれたのだ。
僕と由佳奈の視線が同じ所に向けられる。
それから、僕は後頭部をガシガシとかきむしりながら、静かに立ち上がる。
「噂をすれば何とやら……ってか?」
「でも今回は覚悟を決めたんじゃないの?いつもみたいに暗殺まがいの行動じゃなくって堂々と扉を叩いて戦意を見せるだなんて」
「どのみち僕は気配で分かるよ。明らかに周りとは違う目立つ気配だからな」
「春斗は気配っていうよりは、そこに流れている生命力を察知できるんじゃなかったっけ?」
「似たようなもんだよ」
そう言い、僕はズボンのポケットから部室の鍵を取り出し、それを由佳奈に渡す。
「渡しとく。どうせ、戻ってこれそうにないし」
「朝昼夜と大変ね~。まぁ、メタボリックの心配はないみたいだから良いんじゃない?」
「他人事だと思いやがって……」
「だって他人事だもの」
楽しげに言ってから、由佳奈は部室の鍵を受け取り、またゲームのボタンをせわしなく押し始める。
こうなったら、もうなにを言っても反応はない。
「それじゃあ、また明日な」
帰りを告げ、僕は床に置いてあった薄っぺらい学生鞄をとって、部室の扉を開いた。
開けて直ぐにやられるのだろうか、という予想をしていたが、それは見事にはずれた。
というのも開けた扉の先には、しかし誰もいなかったからだ。
扉を叩いたのに隠れるとは……新手のピンポンダッシュもどきだろうか?
いや、しかし……と僕は思考に区切りをいれる。
先程の話にもでていたが、僕は他人の生命力を察知することができる。
当然、それだけでは誰が誰だかというところまでは分からないのだが、それでも周囲にいる生命体を自動的に、しかも完璧に確認することができるという点を考えればセンサーとしては有能な部類にはいるだろう。
さて、そうするとそのセンサーが反応しているということはどういうことか……頭の良い人であれば直ぐに理解が追いつくはずだ。
「隠れてる……ってことだよな。たぶん」
僕はポリポリと左頬を掻きながら、適当な推測をたててみる。
いや、この場合は推測ではなく確定事項というべきだろうか?
兎にも角にも、この近辺のどこかに彼女はいるはずだ。
全く…僕を殺そうとすることが、いかに無謀な挑戦なのか、恐らく、というか絶対彼女は理解できていない。
すべての力を使えば殺せる!とか。
禁術を使えば一撃で……!とか考えているのだろうが、それは全くの見当違いというものだ。
僕は死なない。
いや、死なないのではない。
僕は死ねないのだ。
生のしがらみに永遠に縛り付けられたら惨めな道化師。
それが、僕のポジションであり僕の運命のようだ。
さて、それでは無駄話もこの辺にして、そろそろ隠れているであろう暗殺少女を見つけることにしますか。
そう思い、足を一歩前に踏み出した……その時だった。
「喰らえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
反応する余地も無かった。
僕の耳に強烈な咆哮が音として取り込まれた、その直ぐ後だった。
ヒュオッ!!という空を裂く音を鳴らしながら、僕の頭上から一本の漆黒の槍が垂直に落ちてきたのである。
そして、それは僕の体を貫く。
より正確には、僕の体の一部である足に。
「い゛っ!?いってぇぇっ!!??」
何の予兆もなく、それこそ唐突に槍が突き刺された足が僕に猛烈な激痛を訴える。
廊下の端から端まで聞こえるであろう悲鳴を盛大に発した僕は、半ば反射的に足に刺さった槍を抜き取った。
そこから比喩でもなんでもなく、文字通り黒い血が後を引くが、まあ僕にとっては当然のことなのでそこには驚きはしない。
その代わりに、どうやら今回は上靴まで新調しなければならないという考えが頭をよぎった。
「痛っ………くそっ!不意打ちなんて汚い手を使いやがって!!」
そう言って僕は抜き取った漆黒の槍を真上へと放り投げる。
その後だった。
「むぎゅっ!?」
情けない小さく、それでもって弱々しい悲鳴の後に、天井から何かが落ちてきた。
音源は調べるまでもなかった。
なぜなら悲鳴の後に上からストン!と落ちてきた人物こそが、音源であろうことは間違いがなかったからだ。
「………………」
僕は無言&無表情で、静かに下を見る。
すると、そこにはやはりというか何というか、僕に槍を突き刺したまでは良かったのだが、それから直ぐに僕が投げた槍の棒の部分が自分の顔面に直撃したという情けないほどに哀れな少女の姿が確かにあった。
というか、それは今の今まで隠れていたであろう暗殺少女だった。
「……どうやって天井に張り付いていたのかがスゴく気になるのは僕だけだろうか?」
「いたた……な、何するんですか!?いきなり物を投げるなんて無神経すぎます!!」
「人の頭めがけて槍を突き刺そうとした、どっかの誰かさんよりは紳士的だと思うけど?」
僕の意見は至極全うなものだ。
もっと言うのであれば、それは被害者が加害者へ向けた世間一般の常識を含んだ意見だ。
当然、そんなことを言われてしまえば言い返せるわけもない。
そんなわけで槍の持ち手部分が当たった額を撫でながら、僕の目の前にいる少女は、あうあう……と弱々しい声を出しながら、何も反発出来ずにいた。
はぁ……と、僕は息を吐く。
それは単に呼吸の為のものではなく、呆れからでたため息だということは言うまでもないだろう。
「全く……君はよくもまあ毎日毎日飽きることなく僕を殺しにかかってくるね…」
「あ、あう………」
「ここまできたら呆れを通り越して逆に律儀にさえ思えてくるよ。本当に毎日ご苦労様です」
「し、仕方ないじゃないですか!私だって好きで貴方を襲ってるわけじゃありません!」
「ちょっと待て!その言い方だと、まるで僕が君に襲ってくれと頼んでいるみたいじゃないか!?」
「そうじゃないですか!」
「そんなわけないだろう!?」
もし仮に、この少女の言うとおり僕が常日頃から襲ってくれと頼んでいたとしたら、それはとてつもないほどに哀れな変態行為だ。
が、しかし僕には生憎と、そんな奇妙極まりない性癖は存在しない。
あるとすれば、この何があっても絶対に死なないという狂った力だけである。
「……っていうか、なんで君はそこまでして僕を襲ってくるんだ?」
「勘違いしないでください。私は貴方を襲ってるんじゃなくて、殺そうとしてるんです」
「………………訂正しよう。えー、ゴホン…………今ここで通報されたくなかったら、さっさと謝れこのクレイジーガール!!!」
「つ、通報なんてしたって無駄です!私は魔払い師として、【合成魔】の疑いが色濃くある貴方を処理しようとしてるだけなんですから!」
「さり気なく出てきた処理というワードが、圧倒的に気になるところだが、その前にもう一度言っておこう!僕は合成魔なんかじゃないと!」
そう言い、僕は自分の体を大きく広げる。
「見ろ!この平凡きわまりない姿を!僕は普通の高校生で、普通の人間だ!」
「嘘つきです!!」
「即座に発せられた返答に疑いしかない!?」
僕の発言を真っ向から否定した少女は、ビシッ!と指を指して声高らかに異議を申し立てる。
「確かに貴方の姿は普通です。いや、根暗そうな雰囲気を考えたら普通とは言い難いけれども、それでもまあ姿だけは普通です」
「君は、いちいち僕の心に棘を差し込む発言をするねぇ!?どうしてだい!?ねえ、どうしてなんだい!!」
「でも!“心臓を刺しても、四肢を斬り離しても直ぐに元通りになる”のを普通とはいいません!」
正論だ。
言い逃れることは出来ない。
だって、この少女の言っていることは嘘でも何でもない事実そのものなのだから。
真実を素直にまとめ上げた純粋な事実以外の何物でもないのだから。
僕が、普通の人間ではないという決定的な違いなのだから。
「そ、それはだな……」
「言い逃れなんて出来ませんよ!さあ!いい加減に正体をあらわしなさい!」
言って、少女はそこら辺に転がっていた漆黒の槍を掴み取り、慣れた手つきで、その矛先を僕に向ける。
ただでさえ禍々しいそれは、先程僕の足を刺したときについた黒い血と相まって更にギラリと怪しく黒光りしている。
なんとまあ、恐ろしい限りである。
「だあぁぁぁぁあっ!?待て!分かったからとにかく、その槍を何処かへやってくれぇぇっ!?」
僕はバッ!と、後ろへ大きく退く。
冗談じゃない。
何をやっても絶対に死なないといっても、別に痛みにつよいわけではないのだ。
再生能力でさえ異常であれども、痛覚といった単純なものまでは普通なのだ。
つまりは、焼かれても死にはしないが肉が焼かれる痛みはダイレクトに僕を襲うということだ。
死ぬことができないというのも、考え物だ。
なぜならどれだけ強力な火力で焼かれようと、どれだけ長期間海やら湖やらに沈められようと、死んで楽になることができないからだ。
そうなってしまえば永遠と、それこそ半永久的に僕は死ぬ辛さを味わい続けなければならないのだ。
不死身は不死身で楽ではない。
「と、取り敢えず刺すのだけは止めてくれ!いや、斬るのも止めてくれ!いや…えっと…とにかく攻撃という攻撃をするのは止めてくれぇぇっ!!」
「あ、あんまり大きな声を出さないでください!他の人に見られたらどうするんですか!?」
「人に見られたらマズいという自覚があるのなら、なおさらだ!頼むから穏便に済ませてはくれないものかねぇぇっ!?」
「だ、から……大きな声をだすのは止めてくださいって言ってるじゃないですかぁぁぁあっ!!」
恐らくは僕が今日聞いてきた声の中で一番の声量で、少女は声を発する。
それと同時に少女は、僕に向けていた槍を感情にまかせて勢いよく前に突き出す。
「危な____っ!?」
反射的に僕は横に転がり、少女が突き出した槍を半ばすれすれで避けることに成功する。
その直ぐ後に、ダンッ!という音と共に槍が僕の背後にあった壁に容赦なく突き刺さる。
避けることが出来ずに、まともにあれを喰らっていたら……そう考えただけで背筋を冷たいものがとおりぬける。
「ちょっ、ホントに容赦ないな君は!?今の威力も刺す場所も即死レベルだったぞ!?」
「だ、だから静かにしてくださいってば!そ、それにどうせ死なないでしょう!?」
「いやだから、そういう事じゃないんだってぇぇぇえっ!!」
叫び、僕は廊下を走る。
これ以上つき合ってられるか。
後ろから僕を呼び止める声が騒がしく聞こえたが、それら全てを無視してとにかく走った。
というか、僕に騒がれることをあんなに嫌っていたくせに、自分は大声を出しているなんて……。
自分のことを棚にあげているとしか思えない。
が、そんなことはどうでもいい。
とにかく今は、あの少女から逃げ切ることだけを考えなければならない。
現在、時刻は午後5時48分。
部活人さえいれど、その他の生徒は既に校内にはいない。
つまり、周りへの被害を考える必要性はない。
よって、他のことに気を回すこともなく、全力で逃走をすることができる。
ここは学校の西棟。
校門があるのは東棟なので、そこまで逃げ切ってしまえば後は簡単である。
なんせ学校の生徒に見られることさえ強く拒んだ位だ。
外にいる一般人の前となれば、尚更あの少女は僕に手出しすることは出来ないだろう。
そう思うことで、無理にでもモチベーションをあげようとするのだが……。
「待ってくださぁぁいっ!!」
背後から、聞いたことのある声がする。
僕は走りながら、その声の方を向く。
すると、やっぱりというかなんというか、そこには絶賛会いたくない人ランキング第一位のぶっ飛びクレイジー少女が槍片手に僕を追いかけてくるのが目に入った。
「くそっ……!冗談キツいって!」
舌打ち混じりに愚痴をこぼす僕は、しかし走る足を止めることはしない。
ここで足を止めたら、それこそ問答無用なKUSIZASI☆確定である。
だが、僕を追う少女の足は異常なほどに速い。
別に僕が運動神経が乏しいがために走るのが遅いとかいうわけではなく、単純に少女の走行スピードが僕を越えているという事だ。
「な……っ!?どうして!?」
驚愕する僕は、慌ただしい場面展開の中、とあるものを目にする。
それは黒タイツに包まれた少女の足に不気味に纏わりつく、同系色とは思えないほどドス黒いなにか。
それが少女の足全体を補助するかのように生物的な動きをなして、強引に走行スピードを飛躍させているということは即座に理解が出来た。
そのドス黒い何かの正体は、誰にでも存在するもので、あって当然の物であった。
そう、それは影。
人間、動物、植物、建物、ありとあらゆるものに存在する黒い影。
魔払い師になるような人の大半は特殊な能力をもっていると聞くが、彼女の場合はそれが“影を操る能力”のようだった。
といっても、それに気づいたのはつい最近のことなのだが。
「逃がしませんよ!」
そう言うなり、少女は急に足を止めて床に自分の手を強く押し当てる。
いや、より正確に言うと少女は床にある自身の影に手を押し当てた。
「【霊術:影縫い】!!」
少女の詠唱が聞こえた。
そう思うよりも速く、直後に変化は起こった。
ズオッ!!という何かがせり上がるような音に合わせて、少女の影から触手のような形状をした影(アレを影と言っても良いものか?)が何本も浮き上がり、それが僕めがけて一直線に向かってくる。
「ふざけんなよっ!?そんなのナシだろうがぁぁぁっ!!」
嘆き、全力で足を動かすが、それでも後ろから迫ってくる何本もの影から距離をとることはできない。
逆に、その距離が徐々に徐々に詰め寄られている。
あの技に、なんの効果があるのかは不明だが、とりあえず僕にとってプラスに働かないということは確かだろう。
「くそっ!古典的だけど……これくらいしか方法はないか……ッ!」
思ったことを口にするなり、僕は近くにあったゴミ箱を掴み、蓋を外すやいなや、それを力いっぱい少女に向けて投げつける。
蓋を開けてから投げたということもあり、中から缶やらペットボトルやらが解き放たれ、それらが一斉に少女を襲う。
と、思ったのだが。
「甘い……ですっ!!」
少女は僕めがけて一直線に放った触手のような形状をした影を瞬時に自身の近くに寄せ、それを使って自分に降りかかってきたゴミの数々を切り裂いていく。
やっぱり、当たって良いものでは無かったか。
「……と、そんなこと考えてる暇はなかったんだった!」
今ので僕を追っていた影との距離が一気に開いた。
これを好機と思った僕は、勢いそのまま再び逃走、もとい戦略的撤退を行使する。
「ぐっ……しまった!」
僕の作戦に遅ればせながら気付いた少女は、再び自身の足に影を纏わせ、逃走する僕を捕まえんと躍起になる。
なんとも諦め癖の悪い少女である。
「ハッ……ハッ……良し!もう少しで玄関だ!」
息も絶え絶え、僕はようやく出口のある東棟につき、そのまま階段を降りていく。
ここを降りることが出来れば、後は玄関目指して一直線に走るだけだ。
勝ったと思った。
いや、そもそも僕は戦っている訳ではないし、それにもし仮に戦っていたとしても逃走なんてものを勝利と呼んでいいのかは疑問であった。
それでも僕は勝ったと思った。
少女から逃げ切ることに成功したと思った。
が、しかし。
そんな思いは無惨にも易々と打ち壊された。
「【霊術:影壁】!」
少女が術を詠唱する声を僕は聞いた。
そう頭が理解する前に、異変は起きた。
僕の降りていた階段の二段先の床。
もっというならば日が傾いたことにより、本来であれば存在しなかった影が現れた床。
そこから唐突に、物理法則なんてものを軽く無視したドス黒い壁がズオッ!と現れる。
遮るように、進行を拒むように、それは壁としての機能を存分に発揮する。
つまりは、この壁のせいで僕はこれ以上、階段を降りることが出来なくなってしまったのだ。
「くっ……いったん戻らないと……」
「無駄ですよ」
声がした。
今日だけでなく、ここ三週間、何度も何度も聞いたことのある声だった。
それは僕の上にいる少女から発せられた声だった。
凶器片手に僕を襲っている少女の声だった。
マズい……。
そう判断を下すのに時間は長くはかからなかった。
なぜなら僕の後ろには壁があり、階段をのぼった先には黒い槍片手に悠々と佇む少女がいるからだ。
結論だけを述べるのであれば、僕は逃げ道を失ったのだ。
それこそ絶望的に。
それこそ回避不可能なほどに。
それこそ悲劇的に。
ありとあらゆるマイナスな要素を取り込み、僕の逃走は幕を閉じた。
そうなるはずだった。
このまま僕は槍でくし刺しにされるはずだった。
それなのに、そうはならなかった。
それはなぜか?
理由は簡単。
“そこに第三者が妨害に入ったからだ”。
ゴアッッッッッ!!という近くの壁を壊した破壊音と砂煙を伴って、それは僕と少女の間に割って入ってきた。
グリズリーのような大柄な体躯をした全身青色の血で染まった巨大で異質で奇妙なそれは、僕らが一般に合成魔と呼ぶ敵だった。
「________鈴山!!」
僕は、とある人物の名を叫ぶ。
それに反応したのは、当然ながら一人しかいない。
鮮やかな緑色のボブヘアーに血のような真っ赤な瞳をした、漆黒の槍を持つ少女。
先程まで、僕と追いかけっこをしていたクレイジーな少女。
合成魔を殺すことを生業とする魔払い師と呼ばれる職種に就いている少女。
鈴山 山葵という少女。
彼女は僕の呼びかけに反応するや、すぐさま漆黒の槍片手に突如として出現した合成魔に飛びかかる。
恐れることも、戸惑うことも、躊躇することもなく。
その手にある漆黒の槍を深々と合成魔の脳天に突き刺す。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
グジュッ!!という粘着質な音が鳴り響いた。
それに続いて合成魔の悲痛の叫びが僕の耳を叩いた。
しかし、そんなことなど気にもとめずに鈴山 山葵という少女は息を大きく吸い、そして声を張り上げる。
「【霊術:影縫い】!!」
詠唱のために叫んだのと同時。
鈴山 山葵は自身の影を複数の触手のような形状に変化させる。
後は考えるまでもなかった。
ザシュッ!グジュッ!!ズアッ!!!
複数の斬撃音を鳴らして、それは巨体な合成魔の体を切り刻んでいった。
見ていて決して気持ちの良いものではなかった。
が、しかし。
それが魔払い師としての、鈴山 山葵の仕事なのだ。
『ーーーーーッッッッ!!!!!!!』
言葉で表現することができない、それでいて耳を突き刺すような奇声が辺り一帯に響いた。
その直ぐ後だった。
グラリ………と。
その巨体が、まるで自分を動かすための糸全てを失った操り人形のように、ゆっくりと後ろに倒れたのだ。
ズズン……という倒れた音を最後に、それ以降は何の音も発さなくなったそれは直後に眩く光り輝く。
鈴山 山葵という少女は、それを見るなり自分の懐から一枚の札を取り出す。
そして、躊躇うことなくその札を光り輝く合成魔に貼りつける。
すると、光に包まれた合成魔の体は少女が貼りつけた一枚の札に、みるみる吸収されていく。
やがて合成魔の体を綺麗さっぱり全て吸収した札に、複雑な模様が浮き上がる。
そこに描かれているのは複雑な古代文字と、先程の合成魔の絵だ。
少女は、それを確認すると静かに懐に戻し、改めて目の前にいる僕を視野に入れる。
手に握られている合成魔の青い血がついた漆黒の槍を影に戻した少女は、それからゆっくりと口を開く。
「……役所に連絡をしてはもらえませんか?」
「なんで一般人の僕がそんなことしなくっちゃならないんだ?魔払い師である君がすれば良いじゃないか」
冷たくあしらう僕に、少女はふてくされたように頬を膨らませる。
「わ、私はここに来たばかりですから……その……まだこの町の役所番号を知らないんです……それに……えと…お世話になるのはこれが初めてですし…」
「へぇ……となると、今の合成魔が君にとっては初討伐ってことか」
「ち、違いますよ!この町で初討伐ってだけで、別に合成魔退治自体が初めてなわけじゃありません!」
「似たようなものだろ。まあ、そういうことなら代わりに連絡してあげても良いけど…………一つ条件がある」
「条件………ですか?」
そう、と僕は一旦話を区切る。
そして、もう一度口を開く。
「その条件っていうのは………………」