結界
数年経った。南領は益々火霊であふれ、混乱が混乱を呼び、戦火が絶えることはなかった。デモフォルトはキリエの片腕となって南領中を偵察してまわり、火霊同士の争いを早期に見つけて調停することに奔走していたが、戦果で金品を得ている火霊たちに、調停の意味はない。
数か月ぶりにデモフォルトが城に戻った時、久しぶりに会ったキリエは、頬の肉が削げ落ち、眼光ばかりが鋭くなっていた。初めて出会った時に漲っていた精力は、怒りと苛立ちに姿を変えて、それらは熱い気となって全身から立ち昇っている。
その変貌ぶりに驚いたが、そんな素振りは露も見せずに、南領の混乱について、火霊
たちの横暴について報告する。キリエは玉座の肘掛を指でこつこつと叩きながら言った。
「南領の荒れようは予想以上だ。しかも、私が王になったことで、国中の火霊たちがこの南領に集結しているらしい。治安は悪化している。」
「私も、調停を試みてはおりますが、彼らは王の使いである私にも攻撃を仕掛けてくる有様です。そうなると私も戦いに参加せざるえない状況になるのです。火術に関しては大した技術の無い雑魚ばかりですが、何分、人数が多すぎます。」
「命が危険に曝されるのに、戦闘を好む理由が、私にはわからない。」
デモフォルトは、ふっと微笑んで答えた。
「何だ、デモフォルト?」
「いや、型破りと言われている陛下も、やはり王家の人間なのだな、と実感したのです。貴人には理解出来ないことですが、彼らの目的は金です。生活するには金が要ります。彼らは戦士として雇われており、戦闘に勝利することで金を得ているのです。さらに、戦死者の鎧や武器も売り飛ばすことで金になる。」
「何と、おぞましい。」
キリエが俯き、眉間を指で押さえている。
「北領はなぜ安泰なのだろう。」
「元々治安が良く、戦う必要性の無い地域です。戦士の需要がありません。大地も豊穣で水霊が多いだけに水も十分です。農耕に関する平和な仕事もあるのでしょう。南領では倒さなければ倒される。戦いたくない者も防衛のために戦わざるをえないのです。」
「金になる仕事か。」
デモフォルトが思い切ったように、一歩前に進み出て言った。
「陛下。陛下は、この星の将来をどのように考えておられるのでしょうか。」
「星の将来?」
「現在、北領と南領に分かれたラナで、明らかに南領の治安が急激に悪化しています。先代の王の治世では考えられなかった状況です。何故、このような事態になっているのか。今後、陛下の理想の星にするために何をすれば良いのか。そういうことを伺いたいのです。」
理想の星。王になりたいという叶わぬ夢を思い描くことだけで人生の大半を過ごしてきた。王になった今、理想の星とは何か。北領の地を出立した時、自分は、南領の治安を改善し、すべての民が安心して暮らせる国を作ろうと思ったはずだ。
「北領と同じように、民が安心して暮らせる国を目指したいと思う。火霊ばかりが集うのではなく、水霊も集って、皆で働き平和な暮らしを築いていけるような。」
水霊も集う…それは難しい、とデモフォルトは思う。キリエが水術を使えないことをいいことに、火霊が、特に、火術しか使えない輩ばかりが南領に集結しているのだ。水の力が弱いことで甘く見られていると言ってもいい。
デモフォルトの心を見透かしたようにキリエが言う。
「水霊の力を借りられないだろうか。彼らならば、すべての火を消すことが出来る。火霊と水霊の人口比率を半分にすることで治安が改善出来る気がするのだが。」
「水霊の力を疎ましく思う火霊たちがそれを拒むのではないでしょうか。あるいは、水霊と火霊の戦いが増すだけかもしれません。何分、現在、火霊の人数が多すぎます。」
「お前には何か良い考えがあるのか。」
デモフォルトは黙ったままキリエを見据えた。
「確かに、火霊の勢いを抑えるために水霊を増やす政策は必要です。それは長期的な計画になるでしょう。もう一つ、争いの主な原因になっている“派閥”を解体するべきと考えます。」
「派閥?」
「この星は北と南に分かれたことで、王が二人いることで、ホスタ様を支持する者とキリエ様を支持する者の派閥が出来つつあるのです。恐れながら、私はそれが混乱の一因だと考えています。少なくとも南領については、ホスタ派を一掃するべきではないでしょうか。」
「そんなことをしたら、かえって反感を買うのではないか。」
いずれは北領のホスタ派も一掃すべき、という考えは言葉にせず、デモフォルトは黙ったままキリエの顔を見つめていた。
「まずは現状をおさえるために兄の力を借りるとしよう。」
キリエは悔しげに肩頬を引き攣らせると文をしたためるために奥の間に引きこもり、デモフォルトは次の争いを治めるために城を去った。
数日後、キリエの第一王子、ミュウが使者として北領の城に参内した。ホスタは初めて目にする甥の立派な姿に喜び、歓迎した。
「キリエが羨ましいことよ。余には娘が一人いるだけだ。このように立派な少年と、他にもう一人、王子がいるとは。」
キリエには、ミュウの他に二番目の王子、リョウがいる。ホスタには、リョウと同じ年齢のミヅキという名の娘がいるのみだ。後継者が悩みの種だった。
「ありがとうございます。伯父上、今日は父から願いがあって来たのです。」
ミュウはまだ十代にさしかかったばかりではあったが、王を前に怖気づくこともなく、堂々と、父からの手紙を両手で差し出した。
ホスタはその手紙を黙って読んでいたが、読み進んでいくほどに、足の爪先から震えが這い上がってくるような怒りと恐れを感じた。
南領がこれほどまでにひどい状況になっていたとは。しかも、それが、キリエを王にしたための治安悪化だとすれば、これは自分の責任ではないか。元々荒れている南領に、さらに火霊ばかりが集まってくるとは想像していなかった。キリエが水術を使えないのは確かだが、火霊が集まって来るのはキリエの無能が原因ではない。北領側で火霊の仕事が少ない現実もある。領地を分けてから新しい政策を何一つ考えていなかったことを悔やみながら、ホスタは自分の浅はかさに怒りを感じていた。手紙の中で、キリエは水霊の応援を嘆願している。
早速、ユリウスを呼び出す。ユリウスがミュウの後ろに跪いた。
「ユリウス、ここにいる南領の王子、ミュウに従って南領に入り、戦火の火を一掃してほしい。」
「私一人で、すべての戦火を消すのでしょうか?恐縮ながら、さすがにそれは難しいと思われますが。」
「百人程の優れた水霊をつけよう。皆、戦士として一流の訓練を受けた者ばかりだ。彼らを使って、まずは、すべての火を消すのだ。無暗に火霊の命を奪わないように用心してほしい。」
命を受けたユリウスは百人の水霊を伴って、ミュウに従い、火領へと出発した。
ところが、三日と経たないうちにユリウスは変わり果てた姿で独りになって帰ってきた。衣服には焼け焦げた跡が幾つもあり、美しい銀髪もところどころ縮れ、足元もおぼつかず、何とか立っている、といった風情である。
「陛下、申し訳ございません。」
「何があった?他の者はどうした?」
「はめられたのです。連れて行った水霊は一人残らず焼死させられました。私もこのような有様で自分一人の身で逃げて来るのがやっとで。大勢の火霊が待ち受けていたのです。」
「しかし、基本的に水は火よりも勝っているはずだが。」
「それは術のレベルや人数が同じ場合でしょう。国境付近で待ち伏せをしていた火霊の大軍ときたら、それはもう…。」
恐怖を思い出したのか、ユリウスは両手で自らの顔を覆って、ぶるぶると頸を振った。
「待ち伏せしていた火霊はそこまで大勢だったのか?」
「その数、数千。また戦士たちの技術が相当なものだったようです。中には私の火術よりも勝っていた者もあったようで。」
元はといえばユリウスも南方の出身で高度な火術を身につけている。そのユリウスよりも高い技術をもった火霊が何人もいるとは、少し見ない間に南領側の火の力は一体どれほどまでに強大になっているのだろう。そこでミュウの安否について初めて思い至って、身の毛が立つような寒気を感じた。
「ミュウはどうした?無事か?」
ユリウスは俯いて震えている。ミュウも焼死したのか。体中の血が泡立つような寒気を感じる。将来を有望視されていた、あの、立派な王子までもが火霊たちの内輪もめの犠牲になったというのか。
「陛下、違います。」
「何が違うと?」
ユリウスは俯いたまま、肩を震わせながら述べた。
「今回、我々、水霊軍を殲滅せしめたのは、そのミュウ王子なのです。」
「なんと…。キリエを悩ませている火霊の戦士たちに襲われたのではなかったのか?」
「違います。国境付近まで進むと、数千に及ぶ火霊の軍が待ち構えており、ミュウ王子の指揮によって、我々水霊軍に波のごとく襲いかかったのであります。」
突然の攻撃に、誰が味方かもわからない状態で水霊軍は全滅したという。ユリウスは水霊軍の屍を踏み越えて走りに走って逃げようとしたが、ミュウに追われ、やむを得ずミュウを斬り、命からがら逃げ帰ってきた、ということだった。
何ということだ。あの手紙は罠だったのか?私は今、王として何をどうすればいい?ユリウスが頭を上げた。
「陛下、恐れながら、今にも火霊軍がこちらへ押し寄せてくるかもしれません。何か止める手立てがございますでしょうか。」
その肩はいまだに震えていたが、しかし、口調はしっかりしたものだった。
ちょうどその頃、南領の城でも、もう一人の王が怒りと悲しみでおかしくなりそうな頭をかかえて、この悲劇の原因と、責任の在処を模索し続けていた。
ミュウが死んだ。未来に希望をもち輝きに満ちた瞳。バラ色の頬。私のために役立ち、国のために尽くす、と誓っていた美しい王子。その王子が、こんなにもあっけなく死んでしまった。
目の前には、ウサンという水霊が畏まっていた。キリエの命でデモフォルトが要員として山から連れてきた水霊である。大した術を持っていないが、現在の南領においては貴重な水霊だった。
「誰がミュウを斬ったのか。どうして、そのような無様な結果になったのだ。」
「わかりません。たまたま国境近くを偵察していた時に、立派な身なりをした少年が倒れている、とう話を聞いて、駆けつけましたところ、王子を発見したわけでして、事の顛末は皆目わからないのです。」
ウサンが発見した時、王子は身ぐるみをすべて剥がれて、全裸に近い状態で横たわっていた。他の負けた戦士や兵士と同様に、高価な衣類や装飾品は売り飛ばされるのだろう。
ミュウに付けた戦士たちは一流だし、帰りは水霊の精鋭を率いていた。こちらの準備は万端だったはずだ。国境で大きな戦に巻き込まれたのか。ミュウを直接、手にかけた者は何者なのか。知りたいことは山ほどある。が、既に死んだ者の死因にこだわるより、ここまで強大になってしまった南領の火の勢いを治めなければならない。
この星の未来について、ホスタと真正面から対等に話すべきだ、と、キリエは思った。そのためには自分が赴かなければならない。
「兄に会いに行く。とにかく水霊の力を借りなければ南領は死骸の山になってしまう。」
既にミュウもその山に埋もれてしまった。
デモフォルトがすかさず進言する。
「しかし、ミュウ王子が斬殺された経緯もわからないまま、王が向かうのは危険ではありませんか?謁見がかなうかどうかもわかりません。私が行きましょう。」
「いや、それでは意味がない。私と兄が直接会って話す必要があるのだ。これは一刻を争う。」
「では、せめて私にお供をさせてください。安全のため私が軍を率いましょう。陛下の警護をいたします。」
「止むを得ないな。」
キリエは渋々承知し、デモフォルトと共に数千の大軍を率いて城を出た。
何かおかしい。何かが不自然だ。北端の城で、ホスタは先ほどから、水霊軍の全滅とミュウの死んだ経緯について考えているが、僅かな情報と大きな混乱のためにさっぱり真実が見えなくなっている。
国境方面を見張っていたユリウスが双眼鏡を手にしたまま叫んだ。
「陛下!来ました。火霊の大軍です。キリエ様が自ら率いています。」
「何?キリエが?一人ではないのか。軍は何人程だ。」
「…およそ三千。いや、五千か。」
キリエが裏切ったのか?南領だけでは飽き足らず北の領地まで奪いに来たのだろうか。
わからない。直接、話すべきだ。
やがて、城が揺らぐほどの大きな爆発音と豪雨を思わせる轟音が国中に響き渡った。
「何が起こっている?ユリウス!」
「国境で水霊軍と火霊軍が戦っています。先ほど、ラニアクス山の麓に水霊軍を配備しておいたのです。」
「それはいかん。犠牲者が増えるばかりだ。キリエと私で話しをしたい。遣いを出せ。キリエに一人で城に来るように伝えるのだ。」
「私が行きましょう。」
ユリウスが足早に部屋を出て行ったが、数分もしないうちに帰ってきてホスタに伝えた。
「申し訳ありません。攻防があまりにも激烈で近付けません。キリエ様、いえ、側近の者にさえ一歩も。」
一方、キリエの軍は、水霊側の猛攻を突破するのに必死の攻防をしていた。
最早、ホスタに直接謁見することが限りなく不可能に近いとわかった今、キリエは失望していた。
「もう良い。デモフォルト、撤退しよう。兄に会うのが目的だったのだ。戦うことが目的ではない。」
(兄は南領を治められない自分を見限ったのか。)という疑念が澱のように、心の底に向かってゆっくりと深く暗く沈んでいく。
その時、突然、辺りが森の中のように鬱蒼とし、激しい霧雨の音が一面に広がった。水霊も火霊も一瞬戦いを止めて空を見上げた。
「陛下。あれは?」
デモフォルトがラニアクス山の頂上を指す。山の頂上から、霧のような細かい粒子が無数に空に向かって昇っていくのが見えた。上昇しながら少しずつ左右に自らの幅を広げている。
「水の結界だ。」
キリエが呟いた。
「撤退を急げ。引くんだ!」
デモフォルトが軍の方向を変えた。
「陛下。結界とは?」
「私も初めて見たが、あれは水の結界だ。兄上が張ったのだろう。」
「水の結界ですか?」
「そうだ。あの水のカーテンの幅が大地いっぱいに広がれば、火術しか遣えない者は国境を越えられなくなる…。」
火霊が我先にとラニアクスの頂上に向かう。
絡み合っていた糸がほぐれるように、火霊たちが戦いの混乱から離れていく。
キリエとデモフォルトは、量を増していく水に追われるように山を駆け下りて南側の麓にようやく到着した。火霊軍の数は半減していた。
冷静になったキリエは現実に起きたことを反芻していた。ミュウは殺され水霊軍は自分たちを待ち伏せしていた。そして遂に結界が張られた。あれは北領側に自分たちを封じ込めるための手段だったのか。逆に北領側に侵入されないための防御だったのか。いずれにせよ、兄は自分を認めていない。兄に対する疑念は確信に変わった。キリエは、生涯忘れることの無い怒りと悲しみが黒い染みのように胸の中に広がっていくのを感じていた。
「これで一安心ですね。」
ユリウスが胸を撫で下ろした。
「無駄な犠牲者を出さないための応急処置といったところだが。」
ホスタは苦々しい顔で自分が張った結界を見つめている。すぐに結界は解くつもりだ。が、その前にキリエと話さなければならない。そしてあの水の結界を超えられるのはキリエではなく自分である以上、自ら南領に赴かなければならないと決意していた。
何か大きな間違いがあることにホスタは気付いていた。そして今、キリエが自分を疑っていることにも気付きながら自分を信じてほしいと心から祈っていた。